スバル情報館スバル情報館
スバル情報館では、現在販売中のスバル車(レガシィ、インプレッサ、フォレスター、トラヴィック、サンバー等)情報から、
スバル旧車情報(スバル360、SVX・アルシオーネ等)及びスバル関連ニュースをご提供いたします
HOME > スバル遍歴
■ Menu ■ スバル遍歴
スバル情報館 HOME
スバル情報館
  
スバル系譜
富士重工業
レガシィ(LEGACY)
インプレッサ(IMPREZA)
フォレスター(FORESTER)
トラヴィック(TRAVIQ)
R2
プレオ(PLEO)
サンバー(SAMBER)
SVX・アルシオーネ
小型車(旧車)
  (SUBARU 1000,LEONE...etc.)
軽自動車(旧車)
  (SUBARU 360,R2,VIVIO...etc.)
 
スバル情報
SUBARU News
イベント・展示会
スバル最中(伊勢屋)
スバルデータ
東京スバルラリーチーム
東京スバル創立3周年記念祭
東京スバル武蔵野店
Impreza Sports Meeting
  (2001.11)
群馬制作所本工場祭 2001
スバル関連本
スバリストミーティング
  (16PS Official Site)
スバル WRC情報
  (SSUBARU Official Site)
スバル車リコール情報
  (富士重工業 Official Site)
 
スバル以外の情報
イベント・展示会
データ・資料
 コラム
コラム (」スバル情報館 -Blog-)
旧コラムblogへ移行)
過去のコラム(スバル関連)
過去のコラム(スバル以外)
 スバル情報館 リンク
スバル関連
スバル以外
 
プロフィール
管理人プロフィール
スバル情報館について
 
お問い合わせ【準備中】
お問い合わせ
  (質問/相互リンクなど)
掲示板




リンクアイコンはこちら
11.24 NEW!!
スバル情報館Blog
(管理人の日記)

<FONT size="1">http://blog.so-net.ne.jp/subaru/index.rdf</FONT>
http://blog.so-net.ne.jp/subaru/index.rdf
(注) まず最初にお断りを。文中に不適当な表現が出てくるかもしれませんが、あくまでも著者の独断と偏見の下、適当と思われる言葉で表現しておりますので、不快に思われた方にはお詫びいたします。まぁ、あまり感情的にならずに、「こんな奴も世の中にいるのだなぁ」程度に流して頂ければ幸いです。m(_ _)m
はじめに
 
 全くもっておかしな話ですが、そもそもクルマというものは好きではなかったのです。というのも、クルマ酔いがひどくてクルマに乗ることが苦痛で仕方なくて、どこへ行くにも電車を利用する電車小僧。(^-^ゞ よく写真なんかも撮りに行ったし、鉄道模型を集めたりしてました(今は実家の兄が保管)。それがどこでどう間違ったのか、今ではクルマ無しの生活が考えられないほどのクルマ野郎になってしまい、一度はクルマ業界にも足を踏み入れてしまうという暴挙にも出ました。
 ここでは、略史で紹介しきれなかったことを少し披露させて頂きます。興味の無い方は元のページへ戻りましょう。(^^)/~
 
 

免許取得に向けて
 
 さてさて、そもそもクルマに興味を持ったのは浪人時代(1993年)。今になっても何故かよくわからないのですが、「とりあえず身分証明書代わり」にと思って免許取得を決めたのだと思います。丁度、免許制度改革で免許取得費用が上昇する直前ということも一つの要因かも。
 まぁ、浪人生というものはいろいろいて極論として2つのタイプに分けると、目的の大学へ入学すべく猛烈に勉強するものもいれば、なんとなく時代の流れで大学でも行って4年間遊んでこようという不届き者(親不孝者とも言う)のタイプに分かれるのです。自分は当然のことながら「後者」。みんなが休みでない時も休める身分(?)だし、せっかくだからこの機会に取ってしまおう!ということで決意。とは言うものの浪人生の身分でお金などある訳なく、少ない脳みそをフル活用・・・。
 それまでは、お正月の郵便配達より長い期間働いた事なく(だいたい1日〜3日で飽きちゃう(汗))、まとまったお金と忍耐力を必要とする免許取得に向けて、「はて、どうしたものか?」と考えた末、「とりあえず、嫌になってもすぐにやめられない合宿免許の予約をしよう」ということで早速予約をしてしまいました。その後、アルバイトとして選んだのが、当時としては割の良かったガードマン。勤務先は代官山近くの山手通りだったが、交通費を稼ぐ為に杉並区某所(荻窪から北へ2kmほど)から毎日自転車で通勤していたのです。当時は若かった・・・。
 無事に1ヶ月のお勤めを果たし(刑務所じゃないですよ)、3月の下旬に教習所へ入校。合宿場所は山形県米沢市にある某教習所。今考えると、この教習所はある意味凄かった。めちゃくちゃ凶暴(に見える)な教官やグリコ森永事件のモンタージュ犯に非常に似ている教官、教習中に隣で寝ている教官とかいましたからね。最終的には、同時期に入校した生徒全員揃って無事卒業・・・「おいおい本当に大丈夫かよ?」って感じでしたけど。
 ここでの約3週間の合宿生活と合宿費を稼ぐ為のアルバイト生活が、自分のクルマ人生に一つの影響を及ぼしたのは間違いないと思います。良い意味でも、悪い意味でも・・・。嫌な事に対する忍耐力がついたのは◎。といっても、今はその忍耐力の面影の粉末すら見当たりません・・・。あと、何が何でもクルマ第一になったのは×ですね。
 東京に戻ってきて、大学受験の時には考えられないような練習問題へ取り組んだので、筆記試験は一発合格。この気合で大学受験も頑張れば多分合格したと思うのですが、人間それほど都合よく出来てないというのがその後の我が人生で証明されました。
 
 

スバルとの出会い
 
 1993年4月12日、念願の免許交付!あの嬉しさは今でも・・・あまり覚えていないですけどね。
 前記のごとく、貧乏浪人生の身分でクルマなど購入することなど出来るはずも無く、我が家のクルマを週末だけ拝借するクルマ生活が始まりました。そのクルマが「LEONE MAIA II」。これが運命的な出会いとなろうとは、誰が想像できたでしょう。自分が自覚するまでは相当の時間を要するのですが、今になって考えてみるとこの時のファーストカーが今の自分を作り上げたと言っても過言ではないでしょう。
 さて、このクルマがどのようなクルマかご存知の方はかなりの「スバル通」です。このページを見ているような方だから、一般大衆よりも認知度が高いかもしれませんが、「スバルを知ったのはレガシィから」とか「インプレッサでスバルを初めて知った」という方もいらっしゃると思いますので簡単にご説明申し上げると、この「LEONE MAIA II」というのは、レオーネからインプレッサに移行する少し前の特別仕様車で、我が家の仕様は「セダン、1600cc、2WD、3速オートマチック、色はガンメタ系茶色とでもいうのでしょうか」。詳しい事は忘れてしまったので、とりあえずこんな感じということで。
 平日は親が通勤でクルマを使用していたので、週末になると待ってましたとばかりに愛車「LEONE」を繰り出して、奥多摩湖や山中湖、河口湖周辺を徘徊していました。しかし、よく近所や車庫で擦ったりして、余計な修理代を払ってもらっていたような記憶が・・・。ちなみに、合宿教習で免許取得に励んでいた為、大学は見事に全滅!当たり前ですけどね。
 毎週末レオーネを乗りまわしていて、いつしかスバル独特の排気音(正確には排気干渉音)に魅了されていったのは言うまでもありません。でも、この時はまだ「スバルは4WDが売り」ということなどつゆ知らず、「きちんと走れば、4WDやターボなんていらない」という考えでクルマに接していたので、技術的な事は一切タッチせずに運転する歓びに浸っていました。
 
 そして時は一年が流れ、このような生活を続けていたた為、浪人生活に終止符を打つことが出来ず、これまた親不孝を重ねる事になりました。もうこうなってくると、何をやろうかと考えるのではなく、とりあえず生きていこうという思考回路になってしまいました。
 何をするでもなくしばらく過ごしていた時、やはり自分のクルマが欲しいという気持ちが抑えられず、またまたアルバイトを開始。早朝の宅配荷物の仕分けをやることにしました。で、頭金が貯まった段階で遂に念願のマイカーを購入。この浪人生はなんとも無謀なことをしたものです。
 クルマを選定するにあたって、この時点では「スバル限定」という訳ではなく、「1800ccクラス」の「セダン」で「マニュアル車」、「2WD」、「価格は込みで60万円程度」という、何とも曖昧な希望で車種を選定してました。結構いろいろな選択肢がありましたが、中古車雑誌を目の前に悩んでいる時、ふと目にとまったのが「レガシィ“セダン”1800cc、Ti type S」。早速、世田谷にある某スバル&いすゞ車専門店(F)へ電話をしたら、「既にそのクルマは売れてしまったが、直ぐに希望に添った車両を探します」とのことだったので、希望を伝えて探してもらうことにしました。実は、この前に東村山にあるディーラー系の中古車屋に行ってクルマを探してもらっていたのですが、頼んでから2週間以上も一切連絡が無く、対応に不満があったのでお店探しで苦労していたのです。
 F店で希望を伝えた時、「えっ!?2WDでいいのですか?」という自分にとっては何でそんなに驚くの?というのが記憶に残っていたのですが、後々考えると至って普通の反応だったのかなと思います。我が家では、歴代のスバル車を乗り継いできているのですが、一台として4WDのクルマは無かったので、自然と「2WDで」と答えたのだと思います。
 さてさて、電話をしてから半日もしない間に「見つかりました」との連絡があり、今までのディーラー系のお店の対応に200%の不満を感じていたのであっさりと契約。当然のことながら、実車を見に行っていろいろと確認をしましたけど、基本的に事故歴や消耗部品の交換等の確認と交渉だけしてすぐに購入手続きをしました。記念すべき第1号車は「LEGACY Sedan 1.8 Mi-extra(平成3年式・白・BC2C)」。
 2度目のスバル車との出会いとなり、マイカーとしてスバル車を手に入れたということもあり、「スバル」を意識するようになっていきました。ここでスバル車を購入していなかったら、今はきっと違った人生を歩んでいたんだろうなぁなどと思いますが、これが自分の人生なのだから、きっと人生をまっとうするときに「よかったなぁ」と思えると“強く”信じている今日この頃です。(^^;;
 
 

スバルとの共生
 
 レガシィを購入して間もなく、「このまま目標も無く大学を目指していてもきっとこの繰り返しだ!」という気持ちになり、今でもよくわかりませんが、何故か自動車整備の専門学校へ行こうという結論になりました。そこで、いろいろと資料を取り寄せて検討した結果、「家から近い」という理由だけで中野にある専門学校に決定。なんとも不純な理由のようですが、これ結構重要なんですよ(って単なる屁理屈ともいう)。最終的には、「自動車整備科」ではなく「自動車マーケティング科」という得体の知れない(?)学科で3年間勉強する事になりました。何でそうなったかはご想像にお任せします。結果的には、とても良い選択でした(と信じているのです)。ちなみに、その科は今現在存在しておりません。(汗)
 この「自動車マーケティング科」に入ったことにより、より一層「スバル人生一直線」になっていってしまいました。というのも、一緒につるんでいた連中が世間一般で言う「クルマ馬鹿」でして、いろいろと話しをしているうちに「スバル4WD」に興味を持ち始めたのです。そこで何を思ったのか、ローンの途中であり、わずか一年半の「Mi-extra」を下取りに出し、「RS type R(平成2年式・黒・BC5B)」を中古で購入。これでターボと4WDを一緒に手に入れてしまいましたが、一種の衝動買いだったと思います。この日から2台分の車両代を支払うという生活が始まりました。これによって、スバルとの共生が名実ともに確立されたのでした(自分でもよく意味がわかりませんが)。
 
 一緒につるんでいたのは、ちょいと癖のある連中ばかりでして、「ディアマンテ」の“マニュアル”に乗ってたり、「パジェロ」の“オープン”(正式名称忘れた)、「フェアレディZ」の“NA”、「シルビア」の“Q's”(一番普通かな?)、“リッター1km弱”しか走らない「コルベット」(確か自分が生まれる前の年式)、そして「レガシィ」の“セダン”という布陣をとっていました。この6台が事あるごとに集結し、北へ西へと奔走してはクルマ談議に花を咲かせていました。というか、お昼休みも含め、見る本はクルマ雑誌ONLY。話しのネタもクルマしか無かったという方が正しいかもしれません。
 出かける時は、前日の夜に集合してただひたすら走り続けるということも数多く、ちょっとした寝泊りはクルマの中。そんな楽しいドライブ(?)生活を送っていたので、必然的にマイカーに愛着を持つようになり、「スバル」についていろいろと調べるようになっていきました。調べれば調べるほどスバルの技術やクルマの素晴らしさなどがわかってきて、更にスバルに興味を持っていくという好循環(?)へとなっていきました。もうこうなってくると誰にも止められなくなってしまい、研修先ではスバル車が掲載されているページを開きながらにやにやと爆睡(^-^;;。課題があればとりあえず「スバルネタ」。卒業制作も「スバルについて」のものをやるなど、知らない人が見たら単なるスバル馬鹿状態でした。俗に言う「スバリスト」への第一歩といったところでしょうかね?(本当のスバリストの方々、スミマセン!)
 あと、在学中の出来事といえば、いつだったかなぁ?友人と夜中に走りに行った帰り、一瞬眠気が・・・と思った瞬間に停車中のトラックに左フロントを突っ込んでしまい、修理費用60万円也・・・(ToT)(不幸中の幸いで、自分の車のダメージ以外は皆無に等しかったです)。ホイールを新調して一ヶ月経つ前でした。ホイールは全くの無傷だったのですが、これで車両代×2+修理代を毎月支払っていく生活へ突入してしまい、違った意味で「スバルとの共生」が浸透していったのです。
 
 卒業間近の頃は、さすがに健康センターに一泊したりして、余裕を持たせたドライブになってはきましたが、やはり学生の身分で高速道路を長距離使うことは非常に厳しく、ほとんど下道を使っての移動でした。
 日帰りで伊豆半島を観光しながら一周したり、喜多方にラーメンを食べに行こうと言って、前の日の夜に集合してひたすら喜多方を目指し、昼過ぎにラーメン食べて直ぐに退散とか、結構無茶して意味なさそうなことをしてましたが、あれはあの時にしかできない貴重な経験だったと思います。そのお陰か、宇都宮や静岡程度なら、今でも下道で気軽に行く気になりますよ。近所みたいなものですからね。ただ、体力的には最近は辛いかも・・・(^-^ゞぽりぽり
 
 

更なる一歩
 
 学生生活の終焉を迎えつつある11月末、「RS type R」が車検の時期となってしまいました。そこで何を思ったのか、遂に新車を購入することになりました。既にレガシィのフルモデルチェンジが決定していたのですが、どうしても「今販売しているRS(BD5)が欲しい」という気持ちと、初期投資がほとんど必要なくクルマを購入できる状況下(車検費用以下)にあったのが大きな要因でしょう。購入時には、ボディカラーでとても悩みました。気になっていたのがB型のカタログでとても綺麗に輝いていた「ディープレッド・マイカ」。C型になって追加された「カシミヤイエロー」。そして無難(?)な「ロイヤルブルー・マイカ」。最終的には、C型になって密かにカタログの写真が差し替えられてしまった「ディープレッド・マイカ」に落ち着きました。希少性がありつつ冠婚葬祭(特にお葬式)でも使えるクルマということでの選択でした。
 それにしても、ろくな支払能力が無いのに新車を買うなんて、とってもとっても無茶をしたものです。
 初の新車購入&新車での年越しとあって格別な喜びがありましたが、年が明けてすぐに災難が襲ってこようとは・・・。1998年は近年では珍しく東京に大雪が降ったのですが、その雪が固まった氷状のものが、駐車場に止めてあったレガシィのルーフを直撃!運転席の上を中心に1/4、見事にへこんでしまいました。自宅の屋根からの攻撃だったので、何と表現していいのやら。雪に備えてタイヤチェーンは準備しましたが、さすがに上からの備えまでは出来ませんでした。直ぐに近くのディーラーへ持ち込み修理を依頼。フロントマン「これは、ルーフ交換ですね」。自分「・・・・・お願いします・・・・・」。確か40万円弱の費用がかかったと記憶しています(にこにこNICOSの6回払い)。
 ルーフ交換の支払いも終わらぬ前に、いよいよ社会人デビュー。お約束?という訳ではないですが、仕事はスバルディーラーの営業マン。世の中で一番嫌いなクルマの営業(営業の方ゴメンなさい)をあえて選んだのは、単にスバルに関連する仕事がしたいということでした(これまた安直な考え)。学校の求人の関係や、食わず嫌いは良くないから、一度は経験しても損は無いのではないか?ということも少しは考えていましたけれどね。でも、最大の決定要因は社長セミナーかな?応募するかしないかといった段階で、東京スバル自動車(株)の社長(現在は既にメーカーに戻られたようですが)が我々学生を相手に講演(?)&質疑応答をするといったものです。これはかなり衝撃的でした。質問も何でもOK!ということで、「何とも物好きな・・・」と思ったのが正直なところでした。また「どうせ大したことないのだろうなぁ」などと期待せずに行ったものだから、その反動も大きかったのかも・・・。なんだかんだ言ってちゃっかり質問させてもらいましたけどね(^-^;;
 結果的には非常に良い経験になったのと、とても良い人間関係を築くことが出来ました。まぁ、それでもやっぱり肌に合わないというのも正直な感想で、約2年のお勤め後、クルマを嫌いになる前にそそくさと転職をしてしまいました。今になって思うと、もう一つ辞めた理由があったような気がします。会社の統合で、社長が交代してしまったというのもあるのかなぁ・・・。入社する時に、「この社長の下で働きたい」という気持ちはありましたから。別に辞める時の社長が悪いとか言うわけではなく(良く知らないし)、なんとなくベクトルが変わっちゃったのかなという感じを受けたのも事実です。でも、会社である以上、そういうことはあっても当たり前といえば当たり前なのですけどね。
 ここで得た教訓は、「趣味と仕事は別の方が良い」ということです。世の中には、趣味が仕事というとても幸せな人もいますが、仕事でストレスを感じる人の場合は、ストレス解消法が一つ減ってしまうのであまり良くないなぁといったところですかね。また、自分の場合にはこんなことも感じました。「自分の適正というものは、よくわからないものだ」と。というのも、「自分で考える仕事への適正と、周りの人が見る自分に対する評価には大きなギャップがある」ことが判明したのです。自分では「クルマの営業は向いてないなぁ」と思っていたら、ある人からは「天職だね」とか「向いてるよね」と言われたりしましたから。もう少し頑張っても良かったかなとも思いますが、過去は過去、今はこれから先の人生に向けて頑張ることにしています。
 
 転職してスバルに対する考え方が変わるかな?と思いましたが、この思いとは裏腹に今まで以上にスバルに対する興味が増しました。ディーラーでの経験が無かったら、これほどまでに興味が増すことは無かったかもしれません。ただ、クルマ嫌いになっていたら、今の自分が無かったかとも言えます。
 2001年、スバル関連のオーナーズクラブに所属し、「スバリスト」として恥ずかしくないだけの知識に磨きをかける努力をしてます。って、別に特別な努力をしている訳ではありませんが、スバル好きな方々と情報交換することによって、一人だけでは得られなかった知識を吸収できるようになりました。余計な知識もいろいろと身についていますけど・・・(^-^ゞ
 その前に、仕事しなくちゃ・・・(^-^;;
 
   
 (2001年11月)

(C) 2001-2004 スバル情報館 All Rights Reserved