松本便り    宿場続きで、今度は“下諏訪宿”に行ってみました
      平成29年10月15日 第312号       次回更新目標日:平成29年11月1日頃
 好天続きで…、となるとまたまた出掛けたくなります。朝食をすませた後からの思いつきでしたから、やはり近場でとなります。で、“下諏訪宿”に行くことにしました。前回お話した“和田宿”の流れで言えば、江戸に向かう皇女和宮の“前泊宿”ということになります。松本からは、国道20号で塩尻峠を下った諏訪湖にあります。
       
 “下諏訪宿”は新宿から甲府を径由してここ諏訪で終わる“甲州道中(街道)”と“中山道”とが合流する場所で、諏訪明神のお膝元、また温泉のある宿場、ということから、江戸時代大変賑わいを見せたといいます。
 <左>:写真の道路を左に行くのが“甲州街道”、右から来て奥に向かう道が“中山道”で、、ここが二つ街道の接点になる場所。合流の碑が建っていました。今でも一番宿場らしい雰囲気があります。
 <右>:“旅籠”の面影を残す喫茶店。この辺りは明治7年に大火事があり、20数件が消失したそうで、この建物もその後の再建。その際、宿屋だけに許された“出梁造り”(一階の梁を外まで突き出し、その上に二階をのせる建築様式)、細かい格子の“縦しげ格子”は大切に踏襲されているのが見てとれます。
       
 <左><右>:宿場当時の民家を“歴史民族資料館”としたものでて無料公開しています。
 “出梁造り”の様子お分かりいただけますね。なお、この出梁造り二階建ては明治に入って一般にも許可されたのでこの商家にも見られるとか。“縦しげ格子”もよく分かりますね、じっと見ていたら二階と一階とでは格子の本数が違うようでした。一階はとくに外から見え難いようにという配慮なのでしょう。荷物が多い時はこの格子を外すそうです。
    
 <左>:“本陣”岩波家。和宮の宿泊所となったところです。本陣とは原則として幕府の公用で旅する人の泊まるところで、門、玄関、書院を許された格式ある宿泊所なんです。
 門を入りましたら、玄関までの庭に所狭しと大小の植栽が“茂って”いるのです!! 玄関で本陣を預かる若い女性に説明を受けて納得したのですが、今も個人的な維持・管理だと。それじゃあ“茂る”のもしょうがないか、と思うのでした。 ですから――
 <中>:小堀遠州作の、まるで京都にある庭園のような立派な庭も、やっとの手入れだとか。振り返ると立てかけてある屏風は絵がくすみ、剥げ落ちていていたり…。 市に委ねると自分の住むところがなくなるようでした。
 <右>:“関札(せきふだ)というそうです。宿の前に掲げ、誰がどのような形で宿泊するかを示すものです。気を付けてご覧ください、関札の下の文字が違いますね。右端の“宿”は宿で食事を全て用意っしてもらう泊まり方。二番目の“泊”は材料全てを持参し場所だけ提供してもらう泊まり方。三番目の“寓”は、食事なしで泊まるだけということ。右から二番目の札を読み解くと、「10月3日に、米沢藩の中将が食料持参で泊まります」ということになります。本陣には、このような関札があらかじめ送られてくるのだそうです。我々の“予約”ですね。気になっていた「宿代は?」と伺いましたら、公用の場合は“支払いはない”とのことでした。

 今回私は宿場のほうに興味がありましたが、一般的関心といったらやはり諏訪大社ですね。で、そちらの方も…。
       
 諏訪大社は諏訪湖周辺に4か所の神社があり、ここ下諏訪には“下社に2社(秋宮と春宮)あります。なぜ近くに4つもの神社があるのか不思議でなりませんが,ともかく全国各地にある諏訪神社の総本社であり、日本にある最も古い神社の一つと、誇らしげに案内マップにありました。
 <左>:下社“秋宮”の“幣拝殿”です。参拝者が参拝したり、神職が祭祀を行ったりする建物で、彫刻がみごとです。1781年建立。
 <右>:下社“春宮”の幣拝殿。1780年建立。二つの幣拝殿がよく似ていると思ったら、秋宮と同じ図面で手が違うとか。
 神様は正面から撮ってはいけないそうですね、そのせいで右端に7年に1度建て替える“御柱”が入りました。
       
 <左>:秋宮の“神楽殿”。神に雅楽や舞を奉納する建物。幣拝殿の前にあります。太い注連縄は長さ13メートル、出雲大社形としては日本一の長さといわれているとか。
 <右>:春宮大門通りの“下馬橋”。屋根つきの太鼓橋で、春宮参拝時には殿様といえどもここで駕籠や馬から下りなければならなかったそうです。下社最古の木造建築とか。
       
 諏訪大社といえばなんと言っても“御柱祭”ですね。春宮の裏手少し上に、
 <左>:御柱の“木落し坂”があり、坂の上に、<右>の写真のように巨木が坂に向かって突き出して飾ってあります。
この樅の木の大木にまたがって、この急坂を下るのですね。その後、人力で道中を曳いていき、二つの社殿の四隅に建てるのです。長さ17メートル、直径1メートル、重さ10トンだそうですよ。春宮の一の柱(春宮・幣拝殿の写真の右端に建っています)の後ろを見ましたら、引きずった証拠の傷が痛々しく残っていました。
   
 春宮まで来ると、自然と“万治の石仏”に誘導されます。赤い橋を渡って少し行くと、畑の中にその石仏はあります。
       
 <左>:高さ2メートルあまりの半球状の自然石に、小さな頭が不安定に乗った石仏、これが“万治の石仏”。
 <右>:その大陸的な顔!、かの岡本太郎が感激して絶賛したと言いますが大いに理解できます。万治3年(1660年)と刻まれているので、およそ350年もの間“鎮座し続けている”とか。とすると、参勤交代の大名たちも見たのでしょうか、そんなことを想像するとなんだか愉快です。


 
 13日はマサトの最後の“乗峰祭”でした。研究発表や音楽発表はありますが、地域やPTAを巻き込んだ“息抜き的”要素が加えられていました。“まとまる”“協力”の学習なのでしょうか。最後ということで、よく写っている写真を記念に2枚。
       
 <左>:11人ずつ新聞紙の“地面”に乗り、他のチームとジャンケンをしあい、負けたら地面を一枚剥奪されるというゲームです。リーダーのマサトと父親も写っています。
 <右>:フルーツバスケットとか言っていました。よく分かりませんが、中心の人物が何かを言うと、それに該当する人が急激に椅子を変えていました。
 
 昼の休憩時間が2時間近くあったので、昼食がてら高原に行ってみました、雨模様でしたが、秋の美しいこと!!
       
 <左>:お馴染みのオオモミジ周辺です。 <右>:園地に向かうサイクリングロード横です。
 高原は今が最高に美しい時。こんなと時に「お越しいただけたらな〜」と思いながら、午後の音楽会に向かいました


 「季節はいいのに閑」といったら、親戚や友達が来てくれてそれなりに慌しく、今回も、“小文”お休みいたします。ということは、遊んでばかりいるということになりますので、反省も頻りです。   それでは。
 
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