東海山岳会ブロードピーク登山隊 1993
TOKAI ALPINE CLUB BROAD PEAK EXPEDITION 1993
遠   征   の   記   録
 
       期  間  1993年6月28日成田発・9月5日成田着
       メンバー  田 辺  治  (32) 隊長/渉外・戦術・装備担当
              江 塚 進 介 (32) 副隊長/戦術・梱包輸送担当
              河 口  攻   (29) 会計・梱包輸送担当
              小 川 裕 正 (22) 食料担当
              三 野 和 哉 (28) 装備・医療担当
              中 村 貴 士 (26) 記録担当
              内 田 健 一 (25) 装備・医療担当
 
 
§1 登山隊の発足・準備期間
 

 1991年8月8日、パミール国際キャンプの帰りに立ち寄ったハバロフスクのホテルで、2〜3年の内に東海山岳会として8000m峰の遠征隊を出そうと酒の席だが話が出た。中国でシシャパンマかチョー・オユーくらいが適当かと具体的な話までなっていた。しかし、中国はその年登山料を急にあげ、中国国内での出費を考えると、個人の負担が大きくなりすぎるため、1992年春目標をカラコルム・ヒマラヤに移しパキスタンのブロード・ピーク峰(8051m)へ行くこととなった。1992年5月27日、河口宅で計画を練り、隊や準備の方針、役割分担等を決めた。6月の時点で田辺、江塚、小川、河口の4人が参加確定。7月にパキスタン大使館、外務省、日山協等に必要書類を提出し、手続きを行った。9月に内田、10月に中村・三野の参加が決まり隊員は7名となった。

 11月28日、藤内小屋で第一回全体打ち合せ兼顔合せ回を行い、準備、日程、タクティクス等の打ち合せをした。1993年3月6日再度藤内小屋で準備の打ち合せをする一方、日本から出るもう一隊のヒマラヤグリーンクラブの方と打ち合せ、ロープや装備は相互協力をすることなどを決める。4月の終わりには岳沢で打ち合せ兼トレーニングのミーティングを行い、5月から本格的な準備にとりかかった。

 エアチケットは当初Aツアーサービスで手配していたが、後にサカエトラベルで格安チケットが手に入るということで鞍替えした。アナカン別送品の輸送も当初知合いのS運輸で話を進めていたが、日通航空でSEA AND AIR で安く送れることとなり、こちらの方も業者を乗り換えた。キャラバン、ベースキャンプで使うテントやリエゾンオフィサー・コックに支給するシュラフ、その他の装備はディスカウントショップで安い物を購入する。食料は自分の近所のスーパーで仕入れ値くらいで売ってもらう。また食品会社からインスタントラーメンや冷麦、ベーコンなどをもらう。5月29日、こうして集まった装備や食料は大矢野さんの家に集められ、梱包作業を行った。プラパールを組み立て、装備・食品ごとに分けて梱包、パッキングリストを同時に作成するという手順で行った。途中足りない物が出てきて急に買いに走ったりもした。梱包作業は30日も引続き行い、その日の夜にはパッキングリストも出来上がった。場所を提供して下さった大矢野さん、手伝いに来てくれた工藤君に感謝!一般荷物はシンガポール経由の SEA AND AIR で26カートン・577Kgで\353,406.-、EPIボンベはロンドン経由の AIR AND AIR で25カートン、62.5Kgで、\137,233.-の輸送費がかかった。92年夏のとある登山隊のボンベ爆発事故でパキスタン航空は危険物の輸送はやらないとのこと、英国航空でわざわざロンドンを経由するという方法をとった。

 荷物を送るとひと段落、トレーニングにも熱がはいった。週末の藤内通いは勿論のこと、夜のジョギングにボッカ、時にはレペティショントレーニングと励んだ。出発前になるとハイキャンプで使うテントや個装の調達に手間取った。買うものはよかったが貰うテントが届かず、運送屋に電話をかけて物を捜すということもあった。またリチウム用の5.4Vの電球がなく、これまた捜すのに苦労した。結局すべての物が揃ったのは名古屋を出る前日の夜のことであった。