東 海 山 岳 会
パミール国際キャンプ登山隊 1991
TOKAI ALPINE CLUB PAMIR CAMP EXPEDITION 1991
遠  征  の  記  録
 
 
              期  間  1991.7.8(月) 〜 1991.8.9(金)

 
隊 員
 
田 辺  治 (30)
 
隊長・渉外・戦術
 

 

 

 
江 塚 進 介 (30)
 
副隊長・戦術
 

 

 

 
河 口  攻 (27)
 
会計・食糧・装備
 

 

 

 
小 川 裕 正 (20)
 
記録・食糧
 

 

 

 
河 西 貴 史 (21)
 
医療・装備
 

 

 

 
橋 口  徹 (21)
 
装備
 

 
 
 
 §1 登山隊の発足
 

 東海山岳会は1968年の設立以来、国内において、冬期登攀を含む数多くのルート開拓を行い、東海地区のパイオニアとして、岩登りを中心とした活動を行ってきた。海外においても、各会員の単位で1987年ヨーロッパ(ミディ南壁)、1988年ヨセミテ、カナダ(スコミシュ)、ヨーロッパ(モンブラン)等の成果をおさめてきた。1989年には東海山岳会としてはじめての登山隊を、ソ連天山山脈のハンテングリ峰(7010m)に派遣しその登頂に成功した。しかし、より高みへという希望は、更に強くなり「ゆくゆくは東海山岳会として8000m峰に登りたい。」というところまできた。

 しかし、いきなり8000m峰に出かけたところで登れるわけはない。それなりの高所登山の経験を積み、それに必要な知識と体力を身につけなければならない。そこで計画されたのが今回のパミール国際キャンプへの参加である。パミール国際キャンプはソ連のスポーツ委員会(ソフインタースポーツ)が主催する国際キャンプで、夏期に毎年開催されている。高度が手ごろなうえ現地までの交通の便がよい。ベースキャンプでは食事が出るし、そこで物資の調達もできる。世界各国から登山者が訪れ、登頂率も高い。こんなにいたれりつくせりの山域は、7000mを超す高所では、ここしかないであろう。

 ということで山域が決定し、話が具体化してきたのが1990年の春であった。パミールの7000m峰3座連続登頂、群馬岳連の次の冬のエベレスト南西壁のためのトレーニング、高所登山経験者の育成の3点を目的として、今回隊長となった田辺氏を中心に、小川君と自分の3人で資料を集めて準備を進め、徐々に隊員も集まってきた。夏に田辺氏はカラコルムのガッシャーブルムU峰に登頂し、新しい高所順応の方法も研究してきた。冬には東海山岳会の内外から10名(田辺、江塚、田中、花井、赤松、河口、小川、小久保、河西、橋口)の隊員が集まった。

 1991年1月19日、三重県御在所岳藤内小屋で顔合わせを兼ねて準備会を行う。しかし、このとき集まったのは8名。田中氏は会社の都合がつかず、また小久保君も訳があって遠征に参加できなくなったとか。早くも戦力2人が脱落した。その夜、打ち合せの後ささやかな宴会が催され、隊員は一度で意気統合した。翌日αルンゼへ氷登りに行くが、息もぴったりあって、いい雰囲気であった。しかし、その直後、赤松氏が谷川岳でアイスクライミングの途中に墜落し足を骨折してリタイア。春には花井氏の奥さんが入院し、先方の家への体裁もあって参加できなくなった。ということで最終的に遠征参加者は上記の6名となった。