「はみだしっ子」シリーズは、1975年から1981年まで、少女マンガ雑誌「花とゆめ」に掲載された、単行本全13巻からなる作品である。私が、この作品を初めて読んだのは十数年前だったが、既にこの時でさえ初めの方の絵柄の古臭さは否めなかった。しかし、この作品の持つ重苦しいほどの求心力は、いまでも決して衰えていない。
本作品は、グレアム・アンジー・サーニン・マックスという4人の少年達が、各々の理由で家を出て旅を続け、やがて定住するまでの中で起こるエピソードを描いたマンガである。 私は、同シリーズの―ひいては三原順の主要作品全てに共通する特徴として 1 緻密に計算されつくしたストーリー展開 2 全登場人物の人間性について善悪両面から捉える視点
3 成長する主人公
以上の3点を挙げたい。
<緻密に計算されつくしたストーリー展開> 「はみだしっ子」シリーズは、雑誌掲載1,2回分ほどの短いエピソードや、単行本数回分の長いエピソード、さらには番外編までもが複雑に絡み合って全体を形成している。したがって冒頭と結末を除外して読んでも、全体を飛び飛びに読んでも、番外編だけ読んでも一応それなりに楽しめるのだが、通読すればその小宇宙のような世界に驚嘆せざるを得ないだろう。巧妙に仕掛けられた伏線は、すぐに明らかになるものから、何と数年後になってようやく明かされたものまである。さらには、本編での脇役を主人公に据えてのサイドストーリーまで計算して伏線を張っているのだから、脱帽する他ない。
<全登場人物の人間性について善悪両面から捉える視点> 三原順の作品に完全な善人は登場しない。「はみだしっ子」シリーズの主人公グレアム・アンジー・サーニン・マックスでさえ例外ではない。初登場時には少年と言うより、まだ幼児であった彼らだが、それでも作者は彼らの純粋さ・もろさ・ひたむきさ・優しさ等と共に、エゴイズムや狡さまで余すところなく書き込んでいる。また、彼らを理解し、優しさを示す人々についても、状況次第では平気で社会規範を侵し、他人を傷つけることさえ辞さない姿を描いている。 逆に、どんな悪役であっても、必ず同情すべき一面を見せている。この作品には、主人公達に酷い仕打ちをする人物が何人も登場するのだが、いずれも家族や恋人に対しては愛情深く優しい好人物であることも併せて描いている。 だからこそ、三原順の作品には、綺麗事では済まされない本物の現実があるのだ。
<成長する主人公> グレアム・アンジー・サーニン・マックスの4人は、「はみだしっ子」シリーズ初登場時はほとんど幼児だったが、やがて年齢を重ね少年になり、最後には青年と呼べるまでに成長する。それは、単に時間の経過に併せて、登場人物の年齢を増やしただけではない。 まず、主人公を取り巻く環境が変わる。当初は寄せ集めの4人がしっかり結束して当てもなく放浪していたのが、ある大きな事件によって離散し、今度は自分達の明確な意思によって仲間を探し出し4人組に戻ることを選択する。さらには、4人は一緒に養子縁組し、定住することを選ぶ。 また、人間関係も変わる。当初は4人以外の人間との関係は次の地へ移るまでだけの付き合いだったが、やがて永続的な友人が登場し、最後には両親まで出来る。 そして何よりも、主人公達―特に最年長グレアムの思考や行動が次第に大人びたものに変化する。それに伴って、物語のテーマもより高度で深遠なものへと変化していくのだ。 本シリーズ最後のグレアムの台詞は、愛読者の間でも何を意味するのか議論になる、謎の多いものである。私は、グレアムはこの台詞を発することで自ら大人への通過儀礼を果たしたのだと解釈した。この作品は少年達が一人前の大人になるまでの痛みを描いた作品であり、グレアムが大人になったことによって完結したのだと思う。 三原順氏は、1995年3月20日、病気により享年42歳で永眠した。生前には、「はみだしっ子」シリーズ続編執筆の構想も語っていたと聞く。不世出の天才マンガ家の余りにも早過ぎた死がつくづく惜しまれてならない。哀悼の意を表する。
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