ブルックナー協会初代会長でもあるヨッフムのブル7。恐らくノヴァーク版使用。まず SKD の響きが実に美しい。次に第2楽章の盛り上がりと美しさは当盤が随一である。この盤で初めて第2楽章の本当の美しさを聴き、緩徐楽章嫌いの私が大好きになった。何度も聴くならまずこれだろう。


生前はいろいろありながら、今はすっかりブルックナーの里みたいになっているウィーンのVPOと、ジュリーニとの演奏。記載ないが恐らくノヴァーク版使用。VPOの音色も優美。晩年のジュリーニらしい、中音に重きをおいた悠然たる演奏。ただ同じコンビの第8とかと比べて少しVPOが乗ってないような響きもする。綺麗なんだけど、なんか音楽が流れていかず響きが凸凹している。ただ私の気のせいかもしれない。音質はセッション録音でもあり大変いい。


日本が世界に誇るブルックナー指揮者・アサヒナの第7。ハース版使用。ブルックナーの本拠地聖フローリアン教会による演奏で、残響がありすぎで余り音楽のエッヂがこちらに出てこないが、本来もっと下手なはずの当時の大阪フィルが十全な演奏を見せている。勿論ファースト・チョイスではないが図書館にあったら是非借り出して聴いてみるといい。アサヒナ嫌いも恐らくこの場に居たら感動すると思う。

 ▽ Anton Bruckner
Symphony No.7 in E-dur
交響曲第7番 ホ長調


■作曲 1881.9.23-1883.9.5
■初演 1884.12.30 ライプツィヒ
      ニキシュ指揮 ライプツィヒ歌劇場管弦楽団による

《楽器編成》
Fr. 2 Ob. 2 Cl. 2 Fg. 2
Hr. 4 Tromp. 3 Trb. 3 Wag.Tuba4 Tuba
Tim.
1st Violin 2nd Violin Viola Cello C.bass
Triangle Symbal


■概要
 1881年9月、交響曲第6番を完成させたブルックナーは、立て続けに第7番の草稿を作成しはじめる。まだこの時点ではブルックナーが世間に受け入れられているとはいいがたいが、この年の2月、ようやくウィーンで行われた交響曲第4番(改訂版)の初演は、聴衆には好意的に迎えられ、また同年、弟子ヨーゼフ・シャルクの尽力でワーグナー協会で行われた弦楽四重奏曲の初演もまた、成功裡に終わった。手応えを感じただろう彼は、先に述べた第7番に着手するとともに、既に1881年に手を付け未完成であった宗教曲《テ・デウム》も平行して作曲活動を進める(《テ・デウム》のほうは1884年に完成する)。
 1883年、多忙のなか第7番の作曲活動を続けているブルックナーに訃報が入る。2月13日、体調を崩してヴェネツィアで療養生活を送っていたワーグナーの死である。当時交響曲第7番第2楽章をかなりの部分まで書き進めていたブルックナーは悲報に心を打たれ、「それから私は巨匠のために心からの葬送音楽を書いたのです」とのちに回想している。
 この作品交響曲第7番はその年の9月に完成をみる。先に述べた、弦楽四重奏曲の初演でも功あった弟子、ヨーゼフ・シャルクだが、続く第7交響曲でも不遇続きの、しかしいま少しずつ世間に受け入れられつつある師への骨折りを惜しまない。翌1884年2月27日、ピアノ連弾という形に編曲し、フェルディナント・レーヴェとともに自らピアノを弾いてベーゼンドルファー・ザールにて全曲初演演奏を行う。それと前後して彼ヨーゼフはウィーン以外での管弦楽版演奏を模索し、ライプツィヒに、のちの大指揮者・若きアルトゥール・ニキシュを訪ねる。興味をもったニキシュは、ブルックナーと手紙のやりとりを行うようになり、ついに同年1884年の年末12月30日、作曲者臨席のもと、ニキシュの指揮で、管弦楽版初演がライプツィヒにて行われる。そしてこの初演は、ブルックナー作曲生活にて最大の成功をおさめる。楽章が進むごとに拍手の数が増えてゆき(ということは楽章間で拍手が起こったということだ)、全曲演奏後は「終了後15分間拍手が続きました」とブルックナー自身が述べている。
 世界的作曲家の「誕生」、というよりは「発見」である。
 翌1885年3月、同曲はミュンヘンのヘルマン・レヴィにより取り上げられ、演奏が行われる。当初は一部のみの予定だったが、結局全曲がとりあげられた。大成功。地元新聞には「作曲者は再三再四、嵐のような喝采に呼び出された」と書かれた。なおヘルマン・レヴィは去る1882年にバイロイトでワーグナーの《パルジファル》初演タクトもとった指揮者である。
 この曲は初演から遅れること2年の1886年3月21日、ハンス・リヒターの指揮により、ついに彼の本拠地ウィーンでも演奏が行われる。ウィーンの聴衆の保守性、「反動性」(ブルックナー自身の言葉)に対し、受け入れられるかどうか危惧を抱いていたブルックナーだが、ハンスリックをはじめとした反ブルックナーの批評家は辛辣な批評をしたものの、聴衆は極めて好意的で、やはりここでも彼ブルックナーは楽章ごとに賞賛の拍手で引っ張りだされた。さらに彼が帰宅後、「演奏会に感動した」旨の一通の電報が届いており、差出人はヨハン・シュトラウスと書かれていた。

■内容

 第1楽章 アレグロ・モデラート ホ長調。2分の2拍子。やはりこの曲も、「ブルックナー開始」すなわち幽かな弦のトレモロから始まる。姿を現すのはホ長調の分散和音。チェロ、ビオラ、ホルンを用いて、ゆるやかに上昇してゆく。夢の中で友人ドルンが示唆した、といわれるこの第1主題はどこまでも雄大である。ゆるやかに転調が行われ、属調であるロ長調にて第2主題があらわれる。トニカを用いた雄大な第1主題と異なり、この第2主題は上昇半音階進行をベースにしており、人間臭さを感じるというか、どこか素朴で民俗的である。ロ長調で出たもののすぐに転調を繰り返し、主題が木管から弦に受け渡され、さらにホルンに移るあたりはオーロラのように色彩が変わっていくようで大変美しい。低弦がG♭の音を4分音符で繰り返すなか、頂点が一度現れるが、突然静かになり民俗舞曲のような第3主題が現れる。金管のファンファーレが鳴り響いたのち、展開部に入る。第1主題、第2主題がそれぞれ反行型で奏され、第1主題が転調しながら受け渡されるが、ホ長調に戻るに至って再現部となる。コーダは主音ホによるティンパニの乱打の上にコーダが組み立てられる。なお、ここでハース版は落ち着いたままで進行するが、ノヴァーク版では次第にテンポを早める指示が書かれている。

 第2楽章 アダージョ 「非常に厳かに、そして非常にゆっくりと」 嬰ハ短調。4分の4拍子。主要楽節と副次楽節が交互に現れる。A-B-A'-B'-A'' の形式。またブルックナーはこの楽章で初めてワーグナー・テューバを用いた。冒頭から低音で実に重々しく、荘重に主要主題が奏される。ワーグナーの死が知らされるのはこの第2楽章の終わりまで書き進めていた時だが、ブルックナーは作曲中すでにワーグナーの死を予感していたともいわれる。主要主題後半には彼ブルックナーの《テ・デウム》の楽句が現れる。テンポがモデラートに変わり、4分の3拍子で嬰ヘ長調の副次主題。主要主題がヴァイオリンによる対旋律を伴って現れる。再度現れる副次主題は変イ長調で出る。次に主要主題が再現する際には変奏的展開を見せる。ハ長調に至り頂点を形成する。更にテューバによるコーダ。ここはワーグナーの死後書かれた部分であり、ワーグナーへの葬送音楽である。最後の楽節は聖浄な長三和音に解決される。

 第3楽章 スケルツォ 「非常に速く」 イ短調。4分の3拍子。8分音符2つ、4分音符2つ、という舞曲のような弦の前奏から、すぐにトランペットで動機が現れる。この動機は一説によるとブルックナーが朝の雄鶏の鳴き声から着想を得たともいう。リズム構成はそのままに頂点を形成する。トリオはヘ長調。牧歌的な曲想。中間部は主題動機の反行型も用いられ、一種展開部的にも構成されている。フルートのソロから再現部となる。

 第4楽章 フィナーレ 「動きをもって、しかし速くなく」 ホ長調。2分の2拍子。第1楽章第1主題を符点を用いて鋭く変形した第1主題をヴァイオリンが出す。すぐに転調転調を重ねる。この辺りは、オルガン即興演奏の達人・ブルックナーを見る思いがする。コラール的な第2主題がヴァイオリンにより登場するが、やはり調性の転調はとどまるところを知らず、ついで第1主題に基づく第3主題が激烈に現れる。第1主題にも明白に関連しながら展開をしていくので、まさに即興的な曲想である。第3主題がロ短調で帰ってきたのちは強奏にて頂点が形成されたのちに、総休止をへてピアニシモで第2主題が現れ、のち第1主題が再登場、雄大なカデンツが形成される。短いコーダが第1主題をベースに現れ、第1主題が金管を中心に力強く奏されて音楽を終える。

■付記

 ブルックナーらしさというと、総休止、金管強奏によるコラール、オルゲルプンクト上に構築される大伽藍、などだが、鬼面人を驚かすそれらの要素を少し抑えて、かつ交響曲第2番が完成した頃から言われている「長いから少し短くしろ」という周囲の声も(特に第4楽章に)多少取り入れられているように見えるこの曲は、自分らしさを残しながら当時の観衆に受け入れられる交響曲にすべくよく練られているものであるように思う。それでいて実に美しい、雄大な頂点をきちんと形成する長大なアダージョがあるところ辺りは、やはりブルックナーである。
 朝比奈隆はこの曲を「ブルックナーの最も優美な言葉」と呼んだ。

(up: 2014.12.29)
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