デイヴィスとSKDの演奏。SKDの、特に木管の音はつや消しがかかっている実に渋い音。同じ伝統あるオケでも、鈍く輝くVPOの音色とはまるで違う。そしてそのSKDに愛されたデイヴィスが、その木管の音を大切にして丁寧に作ったシューベルト全集のなかの一曲。奇を衒わないイギリス人指揮者と、伝統の渋い音色を誇るオケとの素晴らしい仕事だ。


古楽演奏家インマゼールとアニマ・エテルナが作ったシューベルト全集の中のもの。小編成で古楽器を用いた素敵な演奏だが、全体的にテンポが速いのだけはいただけない。まだロココからさほど隔たっていない時代なのだよ?
 ▽ Flanz Schubert
Symphony No.5 in B-Dur
交響曲第5番 ホ長調 D.485


■作曲 1816.9-1816.10.3
■初演 1816 秋 ハットヴィヒの私邸
     ハットヴィヒ指揮 私的合奏団による(私的初演)
      1841.10.17 ウィーン、ヨーゼフ・シュタット劇場
     指揮者不明(公的初演)

《楽器編成》
Fr. 2 Ob. 2 Fg. 2
Hr. 3
1st Violin 2nd Violin Viola Cello C.bass


■概要
 1808年、シューベルトはウィーンの帝室宮廷礼拝場合唱児童として採用され、同時に帝立王立寄宿神学校の生徒にもなっている。寄宿舎では学生オーケストラもまた組織されており、ピアノのみではなくヴァイオリンにも天賦の才を発揮したシューベルトは参加後まもなくコンサートマスターの役割を任されるようになり、また指揮もしばしば行ったとされる。1812年に変声期を理由として合唱団を退団するが、オーケストラ団員としてはさらに1年在籍し、1813年の終わりに教員として働くようになる。
 1816年はシューベルトにとって豊穣の年である。というのも、1815年にも教員として働きながら精力的に作品を生み出していたが、翌16年に教員をやめ、ついに彼は――貧困にあえぎながらでは、あるが――「一日中作曲」ができる身分になったからである。有名な《ます》の歌曲版第1稿や、歌曲《さすらい人》(のちにこの歌曲の主題をとったピアノ曲《さすらい人幻想曲》を作曲した)などがこの年に作曲されている。1816年といえばまだシューベルト19歳であるが、31歳で不慮の死を遂げる彼にとっては、あと12年しかこの世の時間が残されていない。

 この交響曲は小編成なもので、端正でソナタ形式を逸脱しない構成はモーツァルトやハイドンに擬せられている。

■内容

 第1楽章 アレグロ 変ロ長調。2分の2拍子。木管による4小節の導入から、春の小川が流れ行くような第1主題がすぐに現れる。旋律はこまめにヴァイオリンと低弦で呼応が行われる。その間をフルートをはじめとした木管が自由に行き交う。いっぽう第2主題は最初はヴァイオリンに現れるが、すぐに木管合奏と呼応が始まる。低弦に冒頭導入の動機が出て木管が動機断片を鳴き交わすところから展開部で、遠隔調にすっ飛ぶということはやらないが微妙に転調していくロマン主義的・シューベルト的色彩変化が見られる。のち変ホ長調にて第1主題が再現される。木管のオブリガードが美しい。同じように第2主題が続き、終結部に至って第1主題後半部の反行型が弦で力強く奏されて、清潔に楽章を終える。

 第2楽章 アンダンテ・コン・モート 変ホ長調。8分の6拍子。ABABA の2部形式。主要主題はまさしくハイドンのような動機で、跳躍進行と順音進行を組み合わせたものが優しくヴァイオリンにより演奏される。副次主題は32分音符の弦および低弦が奏する絨毯の上を単純な歌謡的な旋律が乗るだけのものだが、シューベルトらしく変ハ長調からロ短調、ト短調、主調の変ホ長調と次々に色合いを変えていく。

 第3楽章 メヌエット アレグロ・モルト - トリオ ト短調。4分の3拍子。冒頭の主題は、同じト短調でもあり、モーツァルトの交響曲第40番第3楽章冒頭にそっくりであると言われる。調性が一緒で音型が似ているので、多少音感があればすぐにピンと来る。しかし単なる模倣では無論なく、この曲は実にシューベルトらしい。特にいつまでも楽器間の呼応が続きそうな、庭の小さな森に迷う楽しさを現したかのようなト長調のトリオ。曲全体の主調が変ロ長調なのだから平行調ト短調を使うのはわかるが、そこから力技でトリオをト長調にしているのが如何にもおもしろい。

 第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ 変ロ長調。4分の2拍子。軽快な第1主題と、休符ののち属調のヘ長調でヴァイオリンに出るやわらかな第2主題を基礎に、ソナタ形式を逸脱しないように構成されている。構成と動機はとてもハイドン的である。第1楽章冒頭の動機を力強く変形したような動機が何度も出る。展開部は第1主題をベースにシューベルトらしい展開を見せる。再現部はまるでソナタ形式の卒業課題のように模範的に構成されている。

■付記

 30分ないような小交響曲――シンフォニア――だが、シューベルトらしさがよく出ていて大変すばらしい。たとえば未完成交響曲や大ハ長調交響曲は世紀の名曲で、あれらはあれらでとんでもない曲だが、シューベルトには歌謡性に富んだ佳曲を作る、シューベルティアーデ(シューベルトを囲んだ小さな音楽会)の主催者としての顔がある。この第5番は、そちらがわのシューベルトの顔を大いに表現し得ている、とても素晴らしい曲だと思う。

 なお、ピアニストのグレン・グールドは、現代音楽ピアノ曲のインタビューを受ける最中、「この(現代音楽の、ある)曲は悲しげですね」と水を向けたインタービュアー(ブルーノ・モンサンジョン?)に対し、「全く悲しげではない。悲しげな曲というのはこういうのを言うのだ」としてこのシューベルトの交響曲第5番第1楽章を弾いてみせたことがある。悲しいというより、寂しいということだろうか。確かにこの愛らしい旋律には、人間の雰囲気がない。誰も居ない中、アルプスの麓の美しい雪解け水が走るのをじっと見ているような、一種の寂しさがある。

(up: 2014.12.29)
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