<江戸っ子が育んだ庶民の味 蕎麦 >

<4>.....商人が縁起をかついだ「年越し蕎麦」....

ところが、江戸時代に江戸の人々に好まれていた蕎麦が全く売れなくなる出来事が2度も起こっている。
その原因は流言飛語や噂話の類だったが、被害を受けた蕎麦屋はさぞ苦労したことだろう。

最初は明和6(1769)年のことで、
蕎麦粉に毒があるという噂がたち、江戸の町で蕎麦を食べる
人がいなくなったという。 噂はやがて収まり蕎麦も食べられるようになったが、その年の数え歌に
蕎麦屋の苦労が
「七つ難儀な蕎麦の沙汰」とうたわれた。

文化10(1813)年の騒動はさらに大きく
「蕎麦を食べた何処の何人が死んだ」「あそこの町の誰某
は即死だった」
と噂を呼んで江戸市中に広まり、また絹畑のあとに植えた蕎麦に毒があるとかはなかなか
収まらず、蕎麦屋は店仕舞いをするところまで追い詰められたという。 
根も葉もない噂なのだが
「手打ちとぞ聞いたらそばへ立ち寄るな命二つの盛りかへはなし」という落首も出るほどの騒動だった。

また
「年越し蕎麦」や「引っ越し蕎麦」といった風習も江戸時代に江戸の町で生まれた
「年越し蕎麦」は何ごとにも縁起をかついだ江戸の商人から始まったものだ。
大晦日は一年の締めくくりとして商人はその年の商売の出来不出来すべて計算する習慣だった。
一年の背負う倍の善し悪しがここでわかるのだが「来年もさらに翌年も、商売が長く続きますように」
という願いを、
蕎麦の音「蕎」の字に高くそびえるという意味があるのに託して「年越し蕎麦」
食べるようになったという。  当初は関東の三長者の一人といわれる増淵民部の家で行われていた
習慣だった。最初は大晦日だけでなく毎月曜日にも蕎麦を食べていたが、これは当初の商売が月締めの
掛け売りだったからだ。 
増淵家の商倍繁昌にあやかろうと、江戸市中の商家が「年越し蕎麦」を
食べるようになり、やがて職人など庶民にも広がっていった。

こうした蕎麦が縁起物だという意識が、末長いおつきあいをと近所に配る「引っ越し蕎麦」にも影響
している。 江戸の町では天明(1781〜89)の頃まで、転居した隣近所にあずき粥を配ってから
挨拶回りを行っていた。やがて
あずき粥に替わって蕎麦を配るようになり、江戸末期の
嘉永(1848〜54)の頃には「引っ越し蕎麦」が一般的になったという。また、年末の厄払いのあとや、
芝居の初日と千秋楽に蕎麦を食べたのも同じ意味合いだろうといえるだろう。 

江戸の町で縁起物として、庶民の手軽な食べ物として親しまれた蕎麦だけに、落語や小咄にも数多く
登場している。  良く知られているのは
「時そば」だ。さわりを紹介すると、夜鷹蕎麦を食べた男が
さんざん蕎麦を誉めたあとで勘定を払う。16文の支払いを「銭はこまかいよ」と一文銭をだしながら
「一つ、二つ、三つ......、七つ、八つ、今何時だい?」「九つで」「とお、11、12....」と、うまく一文
を、誤魔化して行く。これを見ていた男が翌日小銭を用意して夜鷹蕎麦を食べる。さて、勘定になって
「一つ、二つ、三つ.....七つ、八つ.....今何時だい?」「四つで」「五つ、六つ......」と反対に損をするという話。

九つは今の夜12時、四つは10時にあたる。

また、「そば清」とか「そば羽織」という落語もある。
江戸の町人、清兵衛が信州からの帰り道、おおきなうわばみが人を呑み込んだのを盗み見た。
そのうわばみが赤い草の葉をペロペロナメルと、あら不思議、膨らんでいたお腹がだんだん小さく
なっていくではないか。この草は食べ物を消化する薬草に違いないと思い込んだ清兵衛さんは、
こっそり摘んで江戸に持ち帰った、さて、蕎麦の食べ比べに参加して負けそうになったところで、
座を外して隣室にいって例の薬草をこっそりペロリ。なかなか戻ってこないので障子を開けると
そこに
清兵衛さんはいなくて「蕎麦が羽織を着ていた」というもの。 清兵衛さんがなめたのは
人間だけがとける薬草だったので、蕎麦と羽織だけ残ったというわけだ。 大阪では、「蛇含草」
(じゃかんそう)という題で、食べるのは蕎麦ではなく餅で、夏の落語として落ちは「餅が甚兵衛を
着ていた」となっている。 先の「時そば」も大阪では夜啼きうどんっを舞台にした「時うどん」と
題されている。   小咄の題材としても蕎麦はたくさん使われている。
「出前道具はかけだよ」
いうもの。江戸時代の支払いは一般的には晦日払いの掛け売りだったため、かけ蕎麦とかけたわけだ。

また、これは実際にあった話しをもとにしたというもので、「けんどん蒸し蕎麦切り」と看板の
かかった店で、無銭飲食しようと茶碗のなかに蠅を入れて文句をいった男に、亭主は
「看板に蒸し
(虫)蕎麦とございましょう」
という。腹を立てた男は「蕎麦切りとあるから、側の人を切るぞ」
凄んだところを
「手打ちにてござい」と散々に打のめされ、ますます腹をたてた男に、亭主は
「けんどん」と答える---。    などなど数えあげればきりがないほど。   


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