Pop Children?
Collaboration Special
around songs of SANO MOTOHARU

the color RED & Silverboy Club

5th.contrast;
Seasons


natsuko's Review Silverboy's Review

猿岩石に「昨日までの君を抱きしめて」のタイトルで提供した曲のセルフカバーである。猿岩石のヴァージョンとは歌詞に少々変化がある。私はそれを「佐野仕様」と呼んでいる。
猿岩石のヴァージョン、私はリアルタイムで聴けたわけではなかった。しかし、少し後(今の学校に入学した年の初夏、だったと記憶している)に入手して以来、この猿岩石のヴァージョンを気に入り、佐野さん自身のアルバムStones and Eggsに収録されると聞いた時も嬉しかったし、期待も裏切られなかった(歌詞を変えているのも佐野さん独特のひねりだし)。というわけで、このアルバムの中でも文句なしに most favorite である。

この曲がひどく気になりだしたのは、しかし今から1年ちょっと前。'99年の梅雨頃だった。ふとした時に聴きなおして以来、もう1年も経つのにずうっとへビーローテーション。猿岩石ヴァージョンも佐野さんのも両方。多分これからもまだしばらくは私のポータブルプレイヤのヘッドホンからは鳴り続けているんだと思う。

なんかずうっと私ってばおかしいのは多分その時期からじゃないかな。(前からその気がなかったわけではないけれども)、必要もなくふらふらする病気がついに発症した。「行方不明になる」という方法を用いることを知った。断絶すること、自体は意外と簡単だった。所詮今では文明の利器にみんなが多分に頼ってしまっていて、”それだけ”の繋がりなんてもろいものだ。ということにも気がついたし。
それは、そういう時期にたまたまこの曲が直接響いてきただけかもしれない。でももしかするとこの曲のせいで今のふらふらな私があるんじゃないかとも思ってしまう。本当はどっちなのかやっぱり分からない。しかし断絶は、中毒症状に似たものになることもある。リハビリは大変である。なんとかスイッチを切替える、自分を制御できるようになるので精一杯ではある。
そして、今はまだこういう風に、それでも自分の好きなときにスイッチを勝手に切替えちゃえばよいわけだけれども、そうもいかなくなる日がいずれ私にも訪れる。絶対。それを思うとたまらなく気が重くなる。そういう諦めがつくのは、自分が一人のときなのか。誰かと二人でいるときなのか。多くの人たちと関わっているときなのか。ということも最近ふと考える。

孤独でいるのが一番楽だと私も思っていた。そう信じていた。そりゃ一人は誰かといるよりずっと気楽だ。時間を無理やり捻出して重ね合わせなくていいし。でも、一人でいる限り、残念ながら私なんてこんな風にうじうじ重箱の隅つついて、勝手に穴掘ってたりしてる。結局それではあかんと思ってるからなんとか復活できるのだろう。1日家にいると食欲なんて沸かない。家でおかゆ無理やり食べても吐いちゃえと思えばいくらでも吐ける。誰も見てないから。

結局我々は人と関わりあって、人の目も気にしながら生きている。それはうっとうしいんだけど、結局そうしないと、自分自身が維持できなくなる。街の中に出ればその目は無数にある。もちろんそれも自分にとって重要だ(とりあえずは自分にとって、重要だと思う側面だけつまみ出せばいいんだ)。それに、自分を気にかけてくれている目もあるんだという事実と、その実感も多分必要だ。少なくとも私はそうらしい。その上で、自分はいかにすれば、私自身として見てもらえるかということを日々考えながら生きている。だから少々天邪鬼なところもあるのだが。
そして、誰よりも信じることのできる、あるいは自分はそれに見られているんだという目。そして自分はそれによってなんとか維持されているんだから、自分の目もその人にとってそういう大事な存在にならなきゃという、ある意味「衝動」かな。そういうものが沸く相手。やっぱり…弱い私には必要らしい。

自分一人で出口を見つけられるさ、なんて、そんな大それたこと私は言えない。態度にはいまいち表れてないかもしれないけど、本当にそう思ってる。参考までに、いつか 君はどう考えてるのか教えて欲しい。
多分君もまだ出口を探してるんだと思う。季節をいくつ超えても変わらない何かを探してるんだと思う。私はそんなもの、見つかると思っちゃいない。見つかってしまったらおしまいだよね?多分君もそんなもの見つかりゃしないと思ってるよね?でも、君も探さざるをえないんじゃないかな、私はそう思うのだけど。
一応言っとくけどもちろん君と私のそれぞれの出口らしきものが同じところにあるなんて思っちゃいない。そんなことに縛られてお互いの方向を失うなんてナンセンスもいいところだよね。でも、自分の今いる場所、これまでたどってきた道を見失わないためには相対的な何かが必要じゃないのかな?

君はただのナルシストじゃないと、私は、信じてる。

電車の中でヘッドホンを耳に挿してこの曲を聴きながら、ぼおっとそんなことをとりとめもなく考えている。

この曲はもともと『昨日までの君を抱きしめて』というタイトルで猿岩石に提供されたものだが、この曲をアルバム「Stones and Eggs」に収録するにあたって、佐野元春はタイトルだけでなく、歌詞も何カ所か変更した。

「さよなら」と昨日までの君を抱きしめて
こどもに近づいてゆく不思議な気持ちさ

猿岩石に提供された歌詞ではここが「大人に近づいてゆく」と歌われていたのだ。

大人になること。そのことを考えるたびに思い出すのは、僕が20歳になったばかりの頃、ガールフレンドのために書いた短い物語のことだ。1985年の秋、僕はひとりの女の子と知り合った。彼女は僕よりひとつ年下で、僕と同じように佐野元春や伊藤銀次の音楽を愛していた。何度か会ううちに僕は彼女にひかれていった。僕たちは一緒にライブに出かけたり、レコードの貸し借りをしたり、ドライブに行ったりした。

その年の冬、彼女に贈るために、僕はクリスマス・プレゼントとして一編の物語を書いた。もちろん今ならそんなことは気恥ずかしくてとてもできないだろう。でもその時の僕にはそれがとても必要なことのように思えたのだった。僕が考えていること、僕が最も切実に伝えたかったこと、僕が彼女と分け合いたかったこと、僕はそんなふうにして短いストーリーを書いた。

「Chiristmas Time in Love」。それがそのストーリーのタイトルだった。クリスマス・イヴの深夜、雪の積もった夜の特別な静寂に目を覚ました主人公の枕元にサンタクロースが立っているところから物語は始まる。サンタクロースは主人公にプレゼントを届けに来たのだという。プレゼントは「大人になること」。無垢な心を持ち続けたいと願う主人公に、サンタクロースは「大人になること」の意味を教えに来たのだ。

サンタクロースは、このリアルな世界で無垢な心を持ち続けるたいと願う者こそ、だれにも増してタフでなければならないと説く。ナイーブな子供のままでは無垢な心はすぐにぺしゃんこにへこんでしまうだろう。無垢でありたいと願うなら、空想的な夢のいくつかは消されなければならない。でもその代わりに鋼鉄のような強靱な知恵を手に入れることができるなら、僕たちは無垢な心を持った大人になることができるはずだ、と。

僕は自分のウェブ・サイトを始めてから、この物語をサイトに再録しようとその原稿を探してみた。でも見当たらなかった。たぶん日本を出るときに、トランク・ルームかどこかにしまいこんできてしまったのだろう。だからこのあらすじにも不正確なところがあるかもしれない。でも、当時僕が最も真剣に考え、思い悩んでいたことはまさにそんなことだった。僕はそれを彼女と分け合いたいと望んだ。そしてそれは叶えられた。少なくともしばらくの間は。

僕たちはそれから何年かつき合い、結婚を考えるようにもなった。佐野元春のライブにも何度も一緒に出かけた。だけど僕が大学を卒業し、就職してしばらくした頃から、僕たちの関係はどこかぎくしゃくしたものになり、ほどなく僕たちは別れてしまった。僕たちはナイーブすぎるカップルだった。僕には結局大人になることの意味なんて分かっていなかった。鋼鉄のような知恵もなかった。僕はただ、賢者を気取ってカッコつけているだけのガキに過ぎなかった。

「さよなら」と昨日までの君を抱きしめて
大人に近づいてゆく不思議な気持ちさ

今、僕は果たして大人になっただろうか。鋼鉄のような知恵を手に入れただろうか。彼女と過ごした数年間を思うたび、僕は激しく混乱してよく分からなくなってしまう。自信を持っていたはずのものがとても危なっかしく思えてしまう。僕は結局今でも賢者を気取ってカッコつけているだけのガキに過ぎないのかもしれない。教えて欲しい。大人に近づいてゆくってどんな気持ちなのか。僕は今、こどもに近づいてゆくような不思議な気持ちがしている。


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