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2005/2/12
・MMORPGは自己実現のゲームだ! (ゲームが満たしてくれる欲求)

 ゲームは人間のどのような欲求を満たしてくれるのか。「欲求」とは何かということに触れてから、今までのオフラインゲーム、オンラインゲームと「新しいゲーム」であるMMORPGとの違いについて考えてみます。

欲求とは
 ゲームは楽しい。でも楽しいってのは何なのか。言い方は色々あると思いますが、正確なものはまだどこにもないはずなので、ここでは「楽しい=欲求が満たされる」という観点で話を進めます。でも、「欲求」って言葉はわかるようでわからないので、辞書を引っ張ってくると・・・

欲求:
1.強く欲しがって求めること。
2.心理学で、生活体に生理的・心理的な欠乏や不足が生じたとき、それを満たすための行動を起こそうとする緊張状態。要求。

だそうです。1.は読んで字の如くですが、2.を見ると人間に本能的に備わっているものという印象です。つまり、ゲームが楽しいのは人間が本能的にもっている「欲求」を満たしてくれるからと言えそうです。

マズローの欲求階層説
 欲求にも種類がある。しかもそれは階層になっていて、人間は下位の欲求が満たされるとより上位の欲求を満たそうとするとしたのが心理学者のマズローです(下表)。

表:マズローの欲求5階層説
5 自己実現の欲求 自分にしかできないことをやりたいというもの
4 承認の欲求 地位や名声を得たいなど他人に自分の価値を認めさせたい尊敬されたいというもの
3 所属の欲求 家族や組織の中に居場所が欲しいなど集団に所属したいというもの
2 安全の欲求 危険・苦痛から逃れたい、住居・衣服が欲しいなど生命を維持しようとするもの
1 生理的欲求 食欲・性欲・睡眠欲など生存に必要不可欠なもの

 「1.生理的欲求」はゲームとは無関係なので置いといて、ここで注目して欲しいのは(2)〜(5)です。それぞれが、どのようなゲームで使われてきたのかを見ていきましょう。
 「2.安全の欲求」は古くからゲームで使われてきたもので、例えば、襲いかかってくる敵を倒したい(シューティングゲームなど)というものです。緊張と弛緩という広く使われる手法ですね。この本質に迫ったものに「バイオハザード」があります。
 「3.所属の欲求」と「4.承認の欲求」は最近では多くの場合セットになっていて、例えば、ある組織に入った主人公が仲間に認められ、やがて英雄的な存在になっていくというようなものです。「勇者ロトの血をひく者よ!」と初めから英雄としてスタートするよりも、徐々に名声を得ていく方が楽しいわけです。この手法は「他人」を表現することが難しくなくなってからは、幅広いジャンルのゲームで使われています。
 さて、いよいよ本題の「5.自己実現の欲求」が出てくるわけですが、これを使ったゲームは存在しませんでした。なぜなら、プレイヤーが自分にしかできないことをやりだすとそもそもゲームが成立しないからです。すべてのプレイヤーは作り手の期待通りに遊ぶ必要があります。そのために、わざわざ1時間もかかるようなチュートリアルを用意したりするわけです。

オンラインゲームの登場
 「5.自己実現の欲求」をゲームに取り入れるのが難しいのには他にも幾つか理由がありますが、そのひとつとして「他人」の表現があります。「自分にしかできないこと」を見つけるには、まず「自分以外の誰か」を知る必要がありますが、従来のオフラインゲームに登場する「他人」は同じことを繰り返し言うだけだったりとリアリティに欠けました。生身の人間であるプレイヤーの比較対象になり得なかったわけです。
 しかし、その壁を撃ち破るゲームが登場します。オンラインゲームです。オンラインゲームに登場する「他人」は紛れもなく本物です。このことは「自分にしかできないこと」をする楽しさ・喜びを鮮明にします。相手プレイヤーの戦法を崩す新たな戦法を編み出したり、まだ誰も知らないようなテクニックを発明したりするのは快感とさえ言えるでしょう。そのため、オンラインゲームは新しい魅力を持ったゲームとして盛んに開発が行われ、広く認知されるまでになりました。
 オンラインゲームは部分的に自己実現の欲求を満たしてくれると言えそうですが、残念ながら重大な問題があります。それは、自己実現の欲求を満たすためには特別な環境や才能が必要になるということです。これでは一部の人しかゲームを楽しめません。反射神経のような限界が目に見えやすい能力が必要となれば、オンラインであるがゆえにかえって遊ぶ動機を削ぐことになるからです。

MMORPGの登場
 この問題を解決するためにはどうすればいいのか。私はMMORPGがその答をもっていると考えています。すなわち、自己実現のゲームを創るためには「他人」を用意するだけでは不十分で、「他人」とは違う「自分」と、多様な欲求を生み出すのに十分な「世界」を用意する必要があるのではないでしょうか。
 多くのMMORPGではプレイヤーが「他人」と「自分」との違い―個性―を出せるように配慮されていますし、その個性を決めるのはプレイヤー自身の「能力」ではなく「意志」によるところが大きい設計になっています。また、戦闘だけでなく経済にも焦点をあて、傭兵になるも商人になるもよしという世界を創った作品も見られます。MMORPGは自己実現のゲームとなる資格があるのです。

自己顕示から自己実現のゲームへ
 しかし、近々サービスが開始されるというようなMMORPGを見ていると、そのほとんどは方向性を見誤っている気がします。詰まるところ、MMORPGは承認と所属の欲求―目立ちたいだとか集団の中で認められたいという欲求―を満たすだけのゲームになってはいないでしょうか。本質的には過去のオフラインゲームと全く同じで、「他人」が本物である分、単に刺激が強いだけなのではないでしょうか。刺激の強さを追及したために、深刻な問題が発生しているのではないでしょうか。
 技術的にも商業的にもかなりの困難が予想されますが、私は自己実現のゲームの出現を信じたいと思います。もし実現できれば、それは今までに存在しなかったゲームだと胸を張って言うことができるはずなのです。

補足
 最後に、ファイナルファンタジーXIは自己実現のゲームとしての条件をどの程度満たしているのかを見てみましょう。

自己実現のゲームの条件(今後修正する可能性あり)
1.プレイヤーの意志によって個性を獲得できる「自分」
→×(理由:極端に言えばFF11には6種類のキャラクターしか必要ない)
2.「自分」や「世界」に影響を与え続ける「他人」
→△(理由:レベルが離れた人と関わる機会がほとんどない、ギルや経験値の面での単純な利害関係しか生じないなど、影響の頻度・種類ともに不十分と思われる)
3.多様な欲求を生み出すことのできる「世界」
→△(理由:できること自体は多いが、突き詰めればすべてがレベル上げに行き着いてしまう)

このように、厳しい評価をせざるを得ないでしょう。もしかしたら、ここにFF11が「MOでよかったのに」と言われてしまう理由があるかもしれません。