2004年あけましておめでとうございます
本年もよろしくおねがいいたします
今年は甲(きのえ)申(さる)年
猿は明朗快活、賢く機敏に動き回ります。そのような事から、申年は社会が活発になり
変化が激しくなるといわれています。今年は、お猿のように明るく元気に過ごせる年とな
るといいですね。しかし、毎年暮れの話題のメインとなる干支ですが、そもそも干支とは?
干支とは、十干十二支(じゅっかんじゅうにし)のことをいい、中国で生まれました。
このうち十干とは、一ヶ月を三分割し10日(旬)を1サイクルとした時のものを、日を数える
呼び名として考え出したものです。そして十二支は、一年を季節によって十二に分け、その
月ごとに付けた名称が十二支の始まりとされています。時代が経つにつれ、動物名で十二
支を呼ぶようになったようです。
日本では十干十二支のうち、十干をはぶいて、十二支だけで表した年を子年、丑年、寅年
などの動物で表しています。この十二支の動物を形にした置物は、その年の一年間の縁起物
・厄除けとして、古くから年ごとに飾られる風習となり、長い時を経て受け継がれています。
近年あまり見掛けなくなりましたが、新年を祝って家の門口などに飾られる「門松」とは、その年
の神さまをお招きするための目印であり、また、神さまがお降りになったときに宿られる場所
(依代(よりしろ))を表すものです。
始まりは、唐の時代の中国で長寿を象徴する松を家の門に飾ったのが最初とされ、日本では平安初期
にはこの風習が始まり、室町時代には更に万年の長寿を意味する竹も添えられ、現在の門松の原型と
なったとされている。もともとは、松・杉・椎(しい)・榊(さかき)といった常緑樹を用いていた
ようですが、いつしか主として松を用いるようになり、そのことから門松と呼ばれるようになりました。
門松の「門」とは、その昔南の庭を「かど」と言い、そこに松を1本立てて神様をお迎えしていた。
現在の門松は、竹三本を松で囲み、荒縄で結んだ形が一般的ですが、関西方面では松の小枝に半紙を
巻き、それに水引きをかけたり、紙垂(しで)や橙(だいだい)、柊(ひいらぎ)などで飾られた門
松もあります。
正月の祝い物、飾り物としてその形態もさまざまです。伊勢市や富山県など地域的に門松を立てない
地区もあり、この風習は民間から広まったため、古来京都の上流社会では行わないことになっていて
今でも皇居には門松は立てません。
門松を飾る時期には注意が必要です。昔は門松の準備を始めるのは12月8日か13日とされていて
一家の主人が山に入って、門松用の松を切りに行くのが「松迎え」という行事。29日は「苦立て」
で苦がつき、31日は「一夜飾り」といって葬儀などの突発的で一夜準備になることに通じるという
こと等から避けたほうが無難である。だいたい26日から28日ごろが適当とされている。
また、門松や注連飾り(しめかざり)などの正月飾りを取り除く日については、1月7日に定めている
地方が多く、正月をひと区切りする意味で元日から7日までを「松の内(うち)」といいます。
7日と言えば・・・
正月七日の朝に七草粥を作って食べる風習は、平安時代に宮中行事として始まり、後の江戸
時代に将軍以下が食べるようになった頃から庶民にまで広がったとされています。
当初は七草は草ではなくてもよく、七種の穀物をかゆにして食べたといわれていますが、鎌倉
時代にはいつしか七種の野草に変わったようです。
春の七草は「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(大根)」
ですが、これを前日に野山に出かけて摘んでくるのが本来の習わし。
七日の朝に七草を食べるのは、餅腹を休めるためや、正月の不摂生を好転させ1年間の無病息災
を祝うため、冬枯れの時期に青いものを捕食するためなど、諸説ありますが、七草の効能から古人
の健康への知恵が利にかなっているため、廃れる事なく現代にまで受け継がれたのでしょう。
春の七草には、増血作用、利尿作用、消化促進作用のあるものが多く、お正月にほとんど動かず
に贅沢な食事を続けた身体に益多い食べ物であり、不摂生を解消をしてくれる効能に満ちています。