児童虐待

 

児童虐待に限らず、痛ましい事件は多い。素朴な感情として、加害者に対して怒りは沸くし、被害者に対しては同情する。理不尽であればあるほど、その感情は強くなる。それは対人関係学でも当然のことである。

問題は、その後のアプローチである。対人関係学でも、秩序の回復は必要である。刑罰を否定するということにはならない。(但し、徹底すると、刑罰のあり方については疑問を呈する考えも出てくるかもしれない。)しかし、刑罰を科することは、不可避的に、刑罰を執行する人間、容認する人間への生のモチベーションに対する侵襲が生じてしまう。それややむを得ないことだとしても、対人関係学的アプローチは、重罰優先ではなく、原因探求こそが、まず行われることだと考えることである。児童虐待を知ること自体が、生のモチベーションを下げる効果があり、拒否反応を示すことは自然の理である。しかし、重罰を科することによって、次の被害を防ぐことにどれだけの効果があるか疑問である。

ヒトの20万年かけて培われた感情に逆行する行為は、必ず何か理由があるはずである。その理由を探求し、次の誰かの虐待を防止するために環境を整備することこそが、対人関係学のアプローチである。このためには、加害者の行動、行動に至る経緯、環境と加害者の個性に対して、部分的にではあれ共感を示しながら検討を重ねなければならない。極めて、生のモチベーションが下がる危険な行為ということになる。そのことを、十分自覚しながら、ことを進めなければならない。


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