という感情

芸術作品への感動という感情



芸術、特に詩についての感動という感情

 

あくまでも、対人関係学の説明のために、対人関係学の立場から考えるとこうなるという話であり、哲学とか芸術論という大それた話ではありません。

 

精神科医に言わせると、世界的に著名で、歴史的に著名な詩人や文豪の多くが、何らかの世親的な障害があるということになってしまいます。パーソナリティ障害だったり、発達障害だったり、解離なんていう方もいらっしゃいます。しかし、対人関係学的に言えば、「障害」という言葉は、必ずしも適当ではないと考えます。「その人は、群れに対する協調性が強くない。」という理解の仕方をすることで足りる場合が多いと思われます。

それにしても、もし、精神的な障害のある人たちの作品であるならば、どうして多くの人の心を打つのでしょう。感動をする多くの人は、一般的な人たちであるはずです。むしろ協調性の志向が強い人が多いはずです。

私は、どんな人にも、程度の差はあるにしても、群れに協調したいという気持ちと、群れから飛び出したいという気持ちが併存しているのだと思います。あたかも月と地球が、遠心力と引力とが釣り合いをとっているようなものだと思うのです。

その人の「群れから独立したい」という気持ちは、「群れに協調しなければならない」という環境に、絶えず抑圧されていることになります。その言葉にならない気持ちが潜在意識に蓄積されているのだろうと思います。その潜在意識が、孤独感や疎外感の一つの要素になるのだと思います。

詩人が、群れに協調できずに、悩み苦しみ、詩を編み出すわけです。それを読み手の心の中の言葉にならない孤独感、疎外感が、その芸術のこころに共鳴するのだと思います。自分が大事にしているもの、価値観は、常日ごろ誰からも受け入れられない、理解されないと感じている。ところが、出会ったこともない詩人から、芸術を通して承認してもらったということになるのでしょう。それは、自分自身が受け入れられているという気持ちを与えてくれるでしょう。この感情が詩や芸術の感動の大きな要素なのではないかと、対人関係学は考えます。


平成26年1月30日

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