道徳と人権

 

 道徳教育の復活の動きに対して、道徳教育はけしからん、人権教育をおこなうべきだなどという議論があるようだ。

 対人関係学では、道徳と人権、そして対人関係学はほぼ同じの概念である。

 まず、対人関係学においては、人権とは、「対人関係の中で、尊重され、安心して帰属していられること。」ということになる。もちろん、法学的には0点である。権利は、国家概念を抜きにして語れないというのが法学的には正しい。ただ、国際人権規約を考えてみると、国家が人権を普及啓発しなければならないという形で、人権という言葉が使われている。その場合の人権とは何かという概念が不明確では、「道徳ではなくて、人権」ということを述べても、あまり力にはならないと思う。その人の生を充実したものとするためには、国家の力だけでは足りず、むしろ、私人の対応こそが決定的であることが多いのではないだろうか。表現の自由や、選挙権の平等についても、国家、あるいは政府、あるいは他の国民との関係で、ひとりの人間として尊重されるために不可欠な権利であると構成することは可能であると思われる。

 道徳については、語る知識を持ち合わせていない。ただ、対人関係学を広めようと、このようなホームページを制作したり、講演活動を行ったりすることは、どこか孔子が諸国を行脚する姿を想起させて、一人で悦に入っているところがある。それはともかく、人間の脳をはじめとする体の仕組みや、精神構造、歴史等がここまで明らかになった以上、それにふさわしい人間の倫理が提案されなければならない。現代に求められる道徳とは、科学的な、人間が、生を充実して送るための提案ということになるだろう。群れの共存は、群れの構成員が、尊重されることによって、より充実したものとなるはずである。

 対人関係学は、生きるということを価値基盤とする。第1に、生物として生きるということである。第2に、群れと共存して生きるということになる。そもそも、ヒトが、群れと共存してしか生きられなかったことから、群れの中で尊重され、安心して群れに帰属して生きることが、人の潜在意識に働きかけ、充実と安心を抱かせる。充実した生を生きることができる条件だと考える。お互いを尊重し、お互いの生を充実させる、これが対人関係学の理念であり、道徳である。さらに、どんな逆境、災害であったり、不況であったとしても、対人関係の力で乗り切っていく、充実した生活に変えていくということを実現させていくことである。

 そして、尊重される対人関係の中でこそ、人間は、自己の能力を最大限発揮し、より高次の充実を勝ち取ることができると考える。自分のためにというよりも、自分を含めた群れのためにというこそことが強いということである。


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