抄録;レム睡眠の役割は、覚醒時の情報を、危険の大きさを過去の記憶との関連付けにおいて仕分ける。危険に対する対処方法があることを実感した場合は情動が鎮まる。この対象方法が実感できないと、不安は「留保」として曖昧な処理をされることも多いが、この場合には不安は蓄積される。蓄積量は限界があり、許容量を超えると、不安解消システムが機能不全を起こし、その不安を呼ぶ危険の性質、蓄積の度合いなどの違いによって、多種の精神疾患となって発現する。これを予防するためには、不安の処理を進めるための言語的な問題提起の置き換えと、対人関係を利用した解決が有効であると考える。特に対人関係上の危険は、確実に繰り返されるという性質もあり、人間にとってその危険性が大きい。速やかな意識的対処が不可欠である。

1、レム睡眠について

私たちは、寝て起きて、朝が来て、目が覚める。夢は別として、眠っていたときの記憶は、ほとんどない。だから、意識していることではないが、眠りの質は、一様ではないらしい。(この章については、櫻井武「睡眠の科学」(講談社BLUE BACKS)の頁を括弧内に記す。)脳が活動を緩めるノンレム睡眠と、脳が覚醒時と同等に活動するレム睡眠とに大きく分けることができる。これらは交互に繰り返し、90分くらいのセットが4、5回繰り返されて、眠りが終わるということとのことである(P58)。

  レム睡眠時は、覚醒時と同様以上に脳が活動する。眼球が早く活動する。英語で言うとRapid Eye Movement ということでREM睡眠と名付けられた。この時、脳の感覚系や運動系が遮断される。例えば、雪山で眠ったら凍死するのは、レム睡眠時に、寒さに対応できないからである。また、奇妙な夢はレム睡眠時に見ているとのことであるが、運動系が遮断されているので、ゴジラになって暴れていても、となりに寝ている人を襲わなくても住むとのことである。(概ねP24以降)

  このレム睡眠の役割としては、櫻井武先生は、記憶の重要性に重み付けをして、情報の重要性を判断し、整理するシステムだろうと仮説を立てている(P224)。

  このレム睡眠の役割については、過労死のメカニズムの研究をされている佐々木司先生は、レム睡眠には情動を鎮める効果があり、特に「恐れ」という負の情動を解消することに貢献していると指摘する(月間保団連 2019.9No.1104 35~41 「現代労働者の披露の特徴を踏まえたうつ病者の睡眠と対策」)。このレム睡眠の効果は、4セット目、5セット目のレム睡眠がより効果的であり、まとまった睡眠時間の確保は情動を鎮めるためには必要であると、これは直接話しを伺った時に教えていただいた。このレム睡眠のメカニズムによって、血圧や脈拍数の低下等、体の日内変動がスムーズに行われ、副交感神経による体のメンテナンスが効果的に行われる。これがスムーズに行われないと、疲労が翌日に持ち越され、慢性疲労となり、疲労が蓄積されて、過労死の原因となるとのことである。

  もう一言付け加えると、情動とは、物事を認識した場合に生じる感情や、生理的反応として使われている。危険を感じた時の、恐れ、不安、怒りなどは情動の典型である。

2 レム睡眠の役割についての問題提起

対人関係学の立場からは、櫻井先生の、レム睡眠のファイル整理機能に注目する。脳が勝手に、記憶の仕分けをするならば、どういう理由で、どういう基準で仕分けをするのかということである。これは、対人関係学からは、比較的簡単に仮説を立てることができる。以下、そのことについて述べる。

3 弱いヒトは、危険に近づきコントロールして利用する必要があったこと

対人関係学では、人間を他の動物と区別するものは、人間は、危険に近づき、危険をコントロールして、利益を得ているという点にある。確かに、カバの歯に挟まったものをついばむ鳥や、魚などがいる。おそらくそれは、ひとつの種類の危険への対応ではないのだろうか。人間は、火や刃物を使い、現代では自動車や高層建物等を利用している。生きていくために、危険に敢えて近づき、危険をコントロールしている。

  他の動物は、危険に対しては、原則的に、逃げるという対処方法を採る。それでも十分生存し、種を残してきた。ところが人間は、逃げてばかりいると、食料を確保できない。しかし、周りは、自分よりも強い動物ばかりである。危険に接近し、他の動物を攻撃し、危険を利用して、他の動物や自然環境から身を守ってきた。

  このことが可能となるためにレム睡眠の役割が必要だったと思う。

4 危険をコントロールする脳の仕組み


この危険のコントロールは、動物としては矛盾に満ちている。

動物としての人間も、危険を認識すると、脳の中で、海馬という機関から扁桃体という機関に信号が送られる。扁桃体は、アドレナリンやコルチゾールというホルモンの分泌を副腎皮質等に命令する。これによって、血圧や脈拍が上がったり、体温が上がったり、筋肉に血液をより多く流し、逃走や戦闘を容易にする。交感神経が活性化されるということであり、これらは無意識のうちに行われる。

だから、火や刃物を見ると、本来扁桃体が活動を指令するはずなのである。ところが、それでは、火や刃物を扱えない。私たちが火や刃物を扱う仕組みがあるわけである。それは、火や刃物の、安全な取り扱いを学習することである。火や刃物も、使用方法を守れば、自分を傷つけることはないという記憶を定着させることである。この記憶のシステムは、言葉の力が大きいと思われる。そして、指令を開始しようとする扁桃体を、大脳皮質、海馬が、大丈夫だよと抑制する。こうして、交感神経の過剰な興奮を抑える。不安を解消するための学習のシステムである。

もう一言付け加えると、記憶は、このように危険の有無が中心であるから、記憶される範囲も、危険回避の役に立つ範囲ということになるだろう。


5 危険をコントロールする仕組みとレム睡眠

レム睡眠中に行われる脳のファイル整理とは、この記憶の整理のことだろうと対人関係学は考えることができる。

  覚醒時は、過剰な興奮はないにしても、交感神経が優位になっている。生きるために、食料を確保し、外敵から身を守る準備をしていることになる。この時は、自分の外の情報をなるべく多く取得し、何らかの対応が迫られた時に、より効果的に、速く、強く、反応しようとしている。言葉での情報整理は、ある程度なされる。しかし、危険を感じることは、言葉ではなく、潜在意識的な反応であるから、その点については未整理なまま、外界との対応に追われることになる。

  これに対して、睡眠時は、外界との情報交流を、覚醒時に比べれば比較的必要としない。(または、必要としない環境が必要だ。)そして、その極限の状態がレム睡眠という短い時間である。感覚系と運動系を遮断し、その時点までの情報、記憶の整理をすることとなる。

  即ち、覚醒時に入手した記憶が、危険な記憶なのか危険ではないのか、危険であるとすると、利用可能か利用不能か、利用可能な場合の使用方法、利用不能である場合の対処方法、こういうことが仕分けされていると考える。(この逆に、利益や報酬といった情報も整理される。)この仕分けの過程においては、情報入手時の状況だけでなく、過去の記憶を引っ張り出して、関連付をして、再検討が行われていると考える。この記憶の多くは、通常は意識に登らない、宣言的記憶としては忘れている記憶である。記憶の再検討、仕分けが行われているとき、大脳皮質、海馬、扁桃体といった機関の相互作用が活発になっているはずである。この動きをスムーズにするために、眼球が激しく動くのであろう。何かを見ているのではなく、その筋肉なり神経を動かすことによって、大脳皮質、海馬、扁桃体の相互作用を応援、誘導している仕組みとなっていると考える。

  そして、記憶の対象が危険であると評価されれば、次回にその危険に出会った時の対処方法を想定しなければならない。このため、危険に結びつく記憶は重要なものとして位置付にしなければならない。対処方法を想定できなければ、潜在意識的に危険を感じたままになってしまう。これに対して、レム睡眠時に仕分けをすることによって、潜在意識に働きかけが行われ、安心についての学習が完成されることによって、情動が鎮まるとは考えられないだろうか。以下、具体的な仕分けについて考えてみる。

  まず、危険でもなく、利益にもならないことは、記憶から消去される。しかし、おそらく、そのような消去されてしまう記憶は少なく、膨大な量の記憶が蓄積されていると思われる。ただ、意識に上がらないだけだと考える。これらの記憶も、関連付において意味がある場合があるので、一応保存されている。しかし、危険性と結びつかないため、それほど正確には保存されていないし、通常は意識に登らない。

次に、危険があると評価された場合、その危険を利用することが可能であるか不能であるかが仕分けられる。利用が可能だとなれば、その対処の方法を過去の記憶などと関連付けることになる。目が覚めると、対処方法が、自然と習得されることがある。

次に利用が不能である危険だとすると、危険の回避方法の有無を仕分けることになる。そもそも危険に近づかない方法があるか、危険に近づいてしまったら、逃げることができるか、逃げる方法は何か。それらについて、過去の記憶と関連付けながら、危険の回避方法を探る。そうして、回避方法を見つければ、腑に落ちて(納得して)、情動を鎮める。

この時の危険についての対応は、過去の危険があった時の対処方法ではなく、この次、同じ危険が来た時に備えた、いわゆる予期不安に対するものであると想定したほうが理解が容易になる。


6 レム睡眠時の仕分けの具体例

具体的に考えてみよう。

割り箸を割いている時に、刺が刺さったとする。割り箸は危険だという記憶が残る。しかし、割れたところに触らなければ、刺が刺さるということはなかったという過去の記憶が関連付けられて、割り箸の割き方を慎重に行えば、安全だということが学習される。最初は、慎重に、ゆっくり割いていくだろうが、どんどん経験を重ねるにつれて、スムーズに割くようになる。学習が進むということである。

映画でライオンに襲われた人を見たとする。人間の持つ共鳴力で、自分が襲われたような危険を感じてしまう場合がある。襲われる危険に対して、ある人は、テレビでしか起きないことだと感じて情動を下げることができるかもしれない。また、ある人は、ライオンは、自分の住んでいる周囲では、檻や柵の中にだけいて、自分の近くには来ないということを学習していき、安心感を獲得するかもしれない。

津波の場合、どうやっても逃げることができない。津波を見た場合、なかなか安心感を学習することはできない。最終的には、津波は、突然襲うことはない。一分以上の揺れが続く大きな地震がある場合に津波の危険があるとか、必ずラジオなどで情報がくるということで、危険が具体化する前に対処するということで、安心感を獲得していくということになるだろう。危険に対する対処の方法を学習することが予期不安解消の有効な方法であろう。しかし、ここで感じている不安は、潜在意識的な非陳述的な記憶である。言葉による学習が重要ではあるが、それがストレートには不安解消にはつながらない。潜在意識に働きかけていくことが必要である。


7馴化という合理性に問題のある仕組みと留保という暫定的システム


不安解消の学習は、合理的なものとは限らない。

  例えば、馴化という方法がある。アメフラシの研究で有名になったものである。アメフラシは、物理的接触に対して、反応を示す。これは危険に対する対応である。これを、人為的に続けていくと、接触があっても、反応が鈍っていくらしい。接触が安全であると学習してしまったわけである。これが馴化である。実際に安全かどうかとは、本来別物であるはずなのに、危険に対する反応が鈍ってしまう。

  これと似ている方法として、危険が具体化するまでには、まだ時間があるという留保の態度ということがひとつの方法だと考える。これは合理的な場合もあるが、思い込みが強いだけの場合もある。この場合は、深層心理的には、危険を感じているのだが、無理やりごまかしているという側面がある。ただ、すべての危険の対処方法が合理的に確立しなくても、危険が害悪を与えないことが多い。必ず合理的に不安が解消されなければならないとすると、不安から逃れられなくなってしまう。このような暫定的なシステムも大いに役に立っているはずである。


8 不安の蓄積 悪夢、PTSD 、うつ、解離


態度留保のシステムは、現実に生きていく場合に、合理的な仕組みである。しかし、このシステム対象となる記憶の危険性についての対応方法が解決されない場合は、不安は蓄積されていくことになる。

 そして、後日の仕分けが行われているレム睡眠の時に、過去の記憶と関連付けられているとき、対処しきれない留保された危険の記憶が蘇り、悪夢となって目覚める。
PTSD
のフラッシュバックも、こういうことなのかもしれない。言語による働きかけによって、表層的には危険が回避されたと感じても、深層心理の中で、危険を解消できないという場合なのではないだろうか。

  そのような過去の消えない不安の場合、スポット的に不安が再来することがある。その危険性が大きい場合は、対処の方法のない不安という潜在意識が全面に出ることになる。

  留保によって、不安は蓄積されていくが、人間の許容量の限界に達した時には、情報を感じる力を遮断しなければ、オーバーヒートということになってしまう。危険に対する不安解消のシステム自体が作動不全となってしまう。

  この許容量の範囲を超えて、危険回避のシステムの作動不全の状態が、生理的に生じた場合が精神疾患となるのではないだろうか。

  高所から転落した場合や、ライオンに襲われて気絶したような場合は、仮死状態となる。

  過去に、重大な危険を感じさせる出来事があり、留保のシステムが限界を超えて、その危険を感じた状態が蘇る場合がPTSDではないか。それほど重大な危険ではなくても、留保の状態が十分機能せず、なかったことにして対処しようとする場合には解離が生じる。

  また、留保の許容量がその人の限界を超えて、生理的な変化を起こした場合がうつ病エピソードということにならないだろうか。


9 精神疾患の予防のための方法 正しい問題提起を納得させる


精神疾患が発症してしまったのならば、適切な治療を受けるしかない。しかし、健康と疾患がこのように連続しているのであれば、あるいは健康と評価される状態の中に疾患の芽が存在するのであれば、これに対処することが、予防の観点から必要だということになるはずである。

  安心感の獲得の方法として、あるいは危険を利用するために、ヒトは言語を発達させた。逃げるという自然的な反応を回避しなければならないヒトは、言語の発達が不可欠だった。非陳述的な記憶だけでは、危険に対して逃げるという反応をすることはできても、コントロールして利用するということは不可能だったろう。要するに、許容量が限界を超えてしまうはずだからである。

  ひとつの方法として、言語を利用して、予期不安をおこしている危険の捉え方を、組み替えることである。

先の津波の例であれば、「津波が来たら」という問題提起を排除する。「一分以上続く強い地震が来たら」という形で、組み直す。そうして、危険に押しつぶされない方法を繰り返し、言語的に説明する。但し、言語的な理解をしたからといって、ストレートに情動を鎮めるわけではないから、これは繰り返し、時間をかけて行うほかはない。馴化という方法も、事実上働いているのであろう。

しかし、これは、必ずしも高度の訓練を要するものではない。母親が子どもに、自然に教えていることである。

テレビのライオンが怖いから眠れないとぐずる子どもに対して、母親の慰め方として、「お父さんがいるから大丈夫だよう。お父さんとおかあさんといっしょにいれば大丈夫だよう。」というかもしれない。これは、「ライオンが今襲ってきたらどうするか」という問題提起から、「両親とはぐれないようにしよう。」という問題提起にすり替えをしたわけである。

10 精神疾患予防のための言語的な働きかけ以外の働きかけ、アプローチ


今の例で、テレビのライオンが怖いと言って眠れない子どもに対して、母親は、あれがテレビのことだから嘘なんだよと教える。子どもの問題提起は、「ライオンが今襲ってきたらどうするか」というものである。これに対して、「母親は、ライオンは襲ってこない。」と答えているわけである。子どもは、言葉で安心するだけでなく、母親が心配していない様子を表情や声の調子で共鳴して、安心を獲得していく。言葉以上に、母親の様子を感じ取って、子どもは学習するわけである。

  ヒトの情動を鎮めるメカニズムとして、このような非言語の作用、対人関係上の作用が上げられなければならない。

  一つは、今述べた母親と子どもの関係のように、有効な対人関係を使って、不安を沈めていく方法である。

  もう一つは、説明の視点を変えただけかもしれないが、有効な対人関係に帰属することを実感することによる不安の解消を目指すということである。この説明はさらに二つの側面がある。対人関係学的に言えば、安心できる群れの中にいることを実感することは、それ自体が、安心感を獲得し情動を鎮めると考えている。もうひとつの側面としては、自分が群れの中で尊重されているということから、群れのために行動するという意欲を生じさせ、高めるということである。

  二つ目の側面は、群れにいることが危険の対象方法ではないけれども、群れのために活動しようとすることが、危険に対する反応を鈍らせる、抑えることができると考える。人間が生きる意欲を示すということは、個体として交感神経と副交感神経のリズムを整えて活動するということだけではなく、群れの中で役割を果たしながら相互作用を感じることでもある。個体としてのせいのモチベーションが下がる危険のあるとき、群れとしての社会性を高めることで、個体のモチベーションも回復させるということは可能なのではないだろうか。群れが個体に働きかけることが、個体の置かれている袋小路からの救出となると考える。

11 対人関係上の危険が深刻であること


対人関係上の危険は、物理的な危険よりも、個体に与える影響が避けられないという特徴を持つ。

  第1に、その危険が、学校や職場といった、毎日繰り返されるものであれば、予期不安は各自に現実化することとなる。危険の程度が小さくても、確実に起こる不利益は耐え難い。

  第2に、そうだとすると、留保のメカニズムはそれほど期待できない。家に帰れば大丈夫という留保のシステムは、次の登校時間、出勤時間が確実に来ることによって、わずかな時間の慰めにしかならない。結局、その個体は、常に不安を感じ続けていくことになる。

  第3に、翌日の侵襲は、新たな危険としての認識となる。仮に、留保のシステムがわずかながら作動したとしても、新たな危険の認識が襲ってくることになる。これでは、扁桃体が作動し続けることになり、作動のための資源が枯渇してしまうこととなってしまうだろう。

  第4に、対処方法がないにもかかわらずに、危険に近づかなければならないということは、生きる意欲を持ち続けることと明らかに矛盾する。生きる意欲を低下させなければ、対処ができないのではないだろうか。

  第5に、対人関係学に限らず、人間がどこかに所属したいという生理的要求があることは、広く承認されている(Baumeister [the need to belong])。対人関係が安心できる場所であるにもかかわらず、危険が確実視されるということは、潜在意識下に混乱を生じさせる。

  第6に、対人関係学的には、群れからの排除を想定させる、尊重されない体験は、やがて来る確実な死を予期させるほどの危険を潜在意識的に感じさせる。

  対人関係上の疎外感は、人間にとって、極めて有害なものであるから、速やかな意識的対処が不可欠となる。


平成26年1月27日

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