夫婦と離婚

 

 離婚、ないし家庭という分野は、対人関係学の最も取り組むべき分野である。しかし、離婚に至る経緯というものは、単純ではない。夫や妻の不貞や暴力という典型的な例よりも、妻が夫との対人関係を放棄し、離婚を望むという図式が多いように実感する。

 ウォーラースタイン博士は、離婚に至る事情というか、むしろ婚姻を継続する事情についても調査を行い、検討している。

 ウォーラースタイン博士は、順調な夫婦は「私たちにとって良いことか」という発想をし、離婚する夫婦はこの「私たち」という意識が薄い、あるいは全く意識していないことすらあるとする。そして、夫婦の第1番目の課題として、生まれ育った家庭からの自立を上げている。

 弁護士の実務経験から見ても、的を射た考察だと思われる。

 妻側が、離婚を決意するときは、妻は、夫との対人関係に見切りをつけている。夫婦という群れに帰属しているという意識はなくなっている。そして、はっきりした理由のない、いわゆる性格の不一致という理由の離婚は、この帰属意識の減弱が婚姻生活にわたって累積していっていることをいうようである。

 一度は結婚しようと思って結婚した男女であり、子どももいる場合であるのに、どうして所属意識が希薄になっていくのだろう。

 もちろん、はっきりした理由もなく、ホルモンバランスの変化で、コルチゾールの分泌が低下したのではないかという病的な原因もあるかもしれない。しかし、大部分は何らかの理由、少なくとも妻の言い分が有り、それに対して夫は気づいていないということが多いように思われる。

 妻の言い分とは何か、これを言葉にできる当事者は少ない。当事者が離婚を決意した段階では、言葉にする必要性を感じず、とにかく、生理的な嫌悪というしかないまでに夫を極端に拒否するようになる結果だけがある。実家に身を寄せると、それは決定的になる。ただ、それまでの間、妻は確実に傷ついているようである。

 どうやって、夫婦というチームへの帰属意識を優先させるか。それは、相互に尊重し合うということにつきる。気持ちの中で尊重するのではなく、形に表すということである。一番は、日常の肯定的表現である。無理に「愛している。」という必要はない。何かの行為に、「ありがとう。」と付け加えること、提案に対して「それはいいね。」と肯定することが基本である。いちいち言葉にすることが肝要である。言葉にしなくてもわかっているという意見もあるかもしれない。しかし、無反応の積み重ねは、自分の行為、努力が、評価されていない、自分が尊重されていないという危機意識を潜在的に抱かせるようだ。男性は、収入を得て妻に渡している場合、役割感、達成感を感じているので、この危機意識は抱きにくいかもしれない。

 相手の話を共感的に聞くということも、なかなか大変なことである。相手が嫌に思っていることを、聞くこちらも辛い。できれば、なかったことにして欲しいという心理が湧いてしまう。「それは、感じ方がおかしいのではないか。」と感じても、まずは、「あなたにとっては、当然そうだよね。」と言ってみよう。発言者が、一度、自分の気持ちが肯定されたと感じたのであれば、次のあなたのアドバイスは、何倍も効果が上がるはずである。

 なぜか、夫婦のあいだでは、対抗意識が出てしまったり、相手に対して、あたかも子どもが親に対して抱くような反抗心が出てしまったりするようである。無理を承知で言えば、相互に、相手の親のような庇護的な立場に立つことも、時々はある方が良いようである。

 このようなことにプラスして、夫婦なり家族として、一つの目標を持つことが、帰属意識を高めることになる。何でも良いようだ。子育ての目標でも良いだろうし、貯金額でも良いだろうし、食べ歩きの全店制覇の類でも、何らかの達成感のあるゴールを作るということは、自然と協力し合う体制ができてくる。仲良くしましょうと話し合うより、よほど現実的方法のようだ。

 家族は、自分が尊重されていると思うと、帰属意識が高まり、その結果として尊重してくれる家族のために役に立ちたいというモチベーションが上がる。家族は自分とは違う第三者ではなく、「私たち」という意識になるからである。

 比較的わかりやすいと思われるが、離婚を防止する方法は、マイナスを埋めるというのではなく、積極的に充実した家族の生活を作り出すことが最も効果的なことなのである。それには、ちょっとした努力、続けることで楽しくなる努力が必要だということになる。対人関係学の基本がここにある。



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