Body Feeling
身体性と言う言葉がある。
実にぴんと来ない言い回しである。
ヒトは元来バーチャライズなシステムである。
そのヒトにとって、『身体性』という概念を用いる事が的確なのかどうか判断しかねるからである。
ヒトが記号という情報パッケージング─その顕著な例は文字/言葉─を獲得して以来、
ヒトがヒトとしてのシステムを発達させる成長過程で自身のOSを、言語を基準に組替えてしまう程に
言語という観念的情報 ファ
イリングに依存している。
観念的、つまり独り歩きしているテクストは、完全な再現性を持たないのにも関わらず、だ。
だが、ヒトというシステムは一人一人が似通ったスペックのマシンとして物理的に構成されているが、
その配線図─遺伝子や脳神経─が等しいという事は有り得ないのである。
つまり、同じ情報を享受した時、同一再現性を持たないが故に
配線図の共通部分を用いて一定以上の情報処理を可能にする為に
記号と言う概念が必要になったのではないかと思われる。
例えば、最近の研究によると感覚や色彩のメモリは、全部何処かで獲得したものであり、
外から入れられた経験によって、遺伝系を書き換えてしまっているらしい。
つまり、個人が垣間見ている世界そのものが原体験によって異なると考えられ、
医学的見地から或る物質の情報を記憶している細胞が記憶している色彩を調べると
各人、全く異なっていると考えられる。
そうなると、身体性というのは回路の共通部分のみで通用する性質を指差している概念と言える。
身体性を失い、一切の情報においてのみシステムを動かそうとする「人」というのは
かなりプリミティブな存在ではないだろうか。
2000.03.30→2001.02.13