Chuckle
翌朝。グズ夫は目覚し時計のアラームより、一時間早く起床した。
未だ就寝中の家人に気付かれぬよう玄関を開け、ポストに突き刺さった朝刊を抜き取る。そして、足音を立てずに自室へ戻り、震える手で新聞を開いた。
鼓動に呼応するかの如く、身体の中央から鋭い痛みが走る。
は汗ばんだ指先で紙面を捲り、TV欄を除いた全ての記事に、入念に目を通す。だが、彼が懸念している記事は何処にも書かれていなかった。この朝刊は三刷りなのでTVのニュースや夕刊、事によると向こう一週間は主だった報道メディア全てをチェックしなければならないが、一先ず今朝の登校に支障が出る事は無さそうだった。
安堵の呼気を漏らすグズ夫。
気取られぬように新聞を元に戻すと、彼は母親が起こしに来るのを、冷えた蒲団の中で待った。
やがて、彼を呼ぶ声が遠くから聞こえてきた。
重い瞼を擦る振りをしながら、階段を降りるグズ夫。食堂の扉を開けると、普段と変わらない素振りで食卓に着き、嬉しそうに朝食を摂りながら、朝の国営放送に集中する。が、ここでも彼が懸念していた報道はされなかった。
死体がまだ発見されていないか、余りにも衝撃的過ぎて報道管制が敷かれたのかもしれない。或いは己にあの変身道具を授けた男が揉み消しているのだろうか。
いずれにしても、答えはいずれ解る筈だ。
脳裏から薄暗い心配を追い出して、グズ夫は昨日と同じ通学路を通って、登校した。
少し早めに家を出たので、珍しく遅刻せずに教室に辿り付けた。
ランドセルを下ろしながら周囲を見回す。ゴリ太等の机上に特に変化は無かった。級友達の会話の中にも、それらしい内容は窺い知れない。グズ夫は頭を振って、椅子に腰掛ける。
すると、仄かな石鹸の香りが鼻腔を擽り、ピンクのワンピースが視界を遮った。
見上げると、小さな花の如く可憐な少女が微笑んでいた。
「おはよう、グズ夫さん。」
かおりくみこと荘真由美と岩男潤子を足して四で割った声が、ころころと響く。
「お、おはよう、みるかちゃん。」
「今朝は遅刻しなかったのね。やればできるじゃない、グズ夫さん。」
「うん、まぁね。」
彼女の前に出ると、いつだって上手く言葉が出てこない。尤も、それはグズ夫に限らず、クラスの男子の大半に言える事であったが。
みるかは、凡百が霞む程の笑顔を見せ、グズ夫の前の席に着いた。ショートボブの髪から垣間見える白いうなじと、胸元に時折僅かに確認出来るなだらかな起伏と突起、傷一つ無い陶器の如き肌とすらりとした両足は、小学生には充分過ぎる程のセックスアピールだった。その所為だろうか、彼女は余り女子の友人がいないらしく、トイレも一人で行っているし、休み時間や放課後は人の少ない図書館で本を読んで過ごしている。
それは朝の会の始まりを待つ今も変わらない。
不意、鼻の下を伸ばすグズ夫を諌める様に、始業の鐘が鳴った。
緊張感の漲る教室。慌しく生徒達が着席するが、独特の中分けにした担任はなかなかやってこない。
暫くすると、別のクラスの先生が顔を見せ、一時間目は自習だと黒板に大書して去って行った。
胃の辺りに熱を感じるグズ夫。多分、三人の事に違いない。
果たして、その予感は的中した。
三時間目も半ばを過ぎた頃、ようやく現れた担任教諭が三人が昨日亡くなった事だけを教え、そのまま父兄が迎えに来るのを待つ事になったからだ。
「先生は事故だって言ってたけど、おかしいよ。あたし、何だか怖いわ。」
校庭で体育座りをして親を待つ間、グズ夫の隣に座っていたみるかは震えながら呟いた。
グズ夫は誰にも見えないように、そっと彼女の手を握ると
「大丈夫だよ、何かあったら僕が守ってあげるから。」
一度は言ってみたかった禁断の台詞の一つを口にした。半ズボンのポケットに忍ばせた変身道具が、鼠径部で転がる。
みるかは、こくんと頷いて、グズ夫にそっと凭れ掛った。
首筋にうっすらと縄の跡の様な痣が浮かんでいる。だが、グズ夫にはそれが一体何なのか判らない。
みるかにそれを尋ね様か考えあぐねている内に、インポート物のスーツを着こなしたみるかの父親が彼女を連れ帰り、ほぼ同時にエプロン姿のままで駆けこんできたグズ夫の母親も、彼の名を呼んだ。珍しく真剣な面持ちをしている辺り、父兄には少し事件の説明をしたのかもしれない。
帰宅したら、今履いているズックも念の為処分してしまう事にしようと、思った。(つづく)
2001.10.16