flower


 「おクスリ出しときましょ。」
 そう言って、医師は私に微笑んだ。心なしか、目は笑ってないように見えた。
 彼はカルテを看護婦に手渡しながら、
 「なぁに、直ぐ良くなりますよ。貴方が見たという怖い夢もじきに見なくなるでしょう。」
と薄く笑って、次の患者の名前を呼んだ。
 釈然としない診察ではあるが、私一人がいぶかしんだ所で症状が良くなる訳でもないのだろうから、言われるままに薬を処方されて、病院を出た。
 薄曇だった外は霧雨に変わっていた。
 傘も持たずに来てしまった私は濡れて帰るほかない。
 寒々とした気持ちで、身も心も凍えながら家路を行くと、黄色い雨具を身に着けた子供が沿道に蹲っていた。
 熱心に地面を見ている様なので、距離をとって後ろからそっと覗き込むと、スコップと両手を使って、丁寧に土を弄っているのが解った。もしかすると、大事にしていたペットのお墓でも作っているかもしれない。ならば、余りその場にいるのは悪いだろうと思って、立ち去ろうとすると
 「おねえさんもおはなにきょうみある?」
と、背中に予想だにしない回答。
 踵を返すと、子供は同士を見つけた嬉しさを惜し気もなく顔に顕しこちらに眼差しを送っている。汚れた指。足元には、今しがた植えられたであろう種の痕跡。
 「こんな雨の日にお花植えたりして、枯れちゃわない?」
 子供は首を横に数回振り
 「ううん、このおはなはあめのひにうえないとうまくさかないんだ。このおはなはね、かなしみをすってそだつはななの。だから、おそらがないているようなかなしいひでないと、うまくそだたないんだって、パパがいってた。」
と告げて、私の胸元に手を伸ばしてきた。広げられた掌には白いカプセルに酷似した、円筒形の種子が数粒載せられている。
 私は思わずその種を手に取った。
 「それあげるから、おねえさんもおうちにかえってうえるといいよ。」
 子供は無『邪気』な面持ちで、手を後ろに組み可愛らしく背を曲げた。
 「どんなお花が咲くの?」
 私は貰った種をティッシュに包みながら尋ねる。
 「しろくて、ちいさいおはながいっぱいいっぱいさくんだよ。そのおはながさくと、しあわせになるっていわれてるんだ。」
 子供は両手を大きく広げて、『いっぱいいっぱい』を表現する。その様子から察するに、かすみ草のような感じの花が咲くのだろう。花のある生活も悪くない。今の冷え切った私には良い緩和剤になるかも知れない。
 彼女はそう思ったのか、包みをポーチにしまうと子供にお礼を述べ、先刻よりも軽そうな足取りで去って行った。
 子供は、その背中を本当に無『邪気』そうに見送っていた。

 帰宅後、彼女は処方された薬を服用し、子供から貰った種をベランダの鉢に植えた。
 土を弄り、芽吹いた後の花弁を想像するのは、彼女にとって良い気分転換になっただろう。
 やがて、彼女は軽い疲労と眠気に誘われて、自室の寝台に身体を預けた。

 翌朝、彼女は初めて無断欠勤した。
 会社の同僚は生真面目な彼女の性格を考え、事故にでも遭ったのではないかと心配した。

 数日立っても姿を見せない彼女。
 これは確実に事件か事故かという事で、彼女の肉親を含む関係者等は、彼女の部屋を訪れた。
 管理人に頼んで開けて貰った室内は、ふかふかとした黴の如き
白い花で覆われており、それは彼女の全身を覆い尽くしていた。
 仰天して、転倒する両親。弾みでテーブルの上にあった腐敗した水の入ったコップが倒れてしまった。
 零れた水が、数日前に処方された薬袋に滲む。
 ほんの少し透けた袋の内側から覗く白い種!
 だが、その場にいる誰一人気付く筈も無かった。

 安らかに眠り続ける彼女の表情は、最早、悪夢に魘されてなどいない。うっすらと開かれたままの瞳の中には、幸せそうに広がる一面の白い花畑が在った。  


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