Good Sacrifice
真っ白な室内。
広めの寝台に寝かされたクランケ。その身体は無数の管と接続されており、まるで集積回路に積まれたCPUのようであった。
傍らに設置されたモニターに映るのは、何本もの平坦なライン。
白衣を着た者達は、それら『集積体』を前にしながら、マニュアル通りの確認作業に励んでいた。
室外に出されている、血縁者達の事は考えずに。
やがて、彼らは顔を上げ、頷き合うとその内の一人が冷え切った廊下へ向かった。そして、そこに立つ父子に何かを告げ、部屋に招き入れる。
「今から五分間が最後の対面になります。どうぞ、悔いの残らないように。」
『規則』により酸素と最低限の循環器維持装置だけが付けられた状態で昏り、未だ健在な新陳代謝により生暖かさを保つ妻。その額に触れる夫。
「我々には悲しむ暇も与えられないのですか。」
慌しく片付けを始めている一団の一人が、済まなそうな表情を浮かべる。
「残念ながら規則ですので、私共にはどうする事も出来ません。」
「そうですか…。」
夫は辺りのただならぬ気配を敏感に感じ取って立ち竦む子供を抱え上げ、
「お母さんに会えるのは今だけだから、ちゃんとお別れをしてあげようね。」
と言って、寝台の隅に座らせる。
決して瞼を持ち上げない母の顔を不審げに覗きこみ、その頬に触れた。
子供の体温に比べれば低温であるものの、その表皮は生命活動を続けている細胞の軌跡を留めていた。
廊下の果てから迎えに来る車輪の音が遠く響く。
「お母さんはどうなったの?」
掌を離さずに、呟く子供。
「お母さんは、眠っているよ。…ほら、みんな、疲れると眠くなるだろう? お母さんも病気と戦って疲れてしまったんだ。だから、眠っているんだよ。」
「いつ起きるの?」
「うーん、それはお父さんにもわからないなぁ。」
「それまで待ってても良い?」
「お母さんは結構頑張り屋さんだったから、大分眠らないと駄目なんだ。だから、今はお母さんの好きなだけ、ひとりでゆっくり寝かせてあげないかい?」
「良い子にしてるから。」
「…大丈夫だよ心配しなくても。おうちに帰って、お風呂に入って、早く寝れば、お母さんに会えるよ。」
「どうして、寝るとお母さんに会えるの?」
「寝ると夢を視るだろう? それは、眠っている人は誰でも夢の国にいるからなんだ。お母さんは、たくさん眠らなきゃならないから、目を覚ますには永い永い時間がかかる。けれど、お母さんはその間夢の国にいるんだから、お前も眠ればお母さんと会えるよ。」
「…ふーん。」
車輪の転がる音が近付き、部屋の前で停止する。
ノックと共に扉を開け、滑車付き寝台を運び込む白衣の者達。
「お別れはお済みになりましたでしょうか?」
父は、彼らの方に向き直り、子供をそっと寝台から抱えあげた。
名残惜しそうにしていた、掌が引き離される。その瞬間、子供の眼には一抹の寂しい光が宿っていた。
「はい。では、宜しくお願い致します。」
父は、子供を連れて部屋を出ると、そのまま帰る事は無かった。
白衣の者達は、慎重に生命維持装置ごとクランケを新しいベッドに移し、長い廊下をひたすらに進み行く。冷たく不気味に白い道程を往くと、大きな観音扉が現れた。一団は、そのまま部屋の奥に進んだ。
間も無く、扉の上に設置してある『処置中』と書かれた電灯が点る。
電灯は長い間、明かりを絶やさずその間、銀色のケースを持った人が幾人も出入りした。
やがて、灯りが消えると、空になったベッドだけが運び出され、その室内には何一つ遺っていなかった。
2000.02.08→2000.02.14