Idol


 完全なアイドルであり、その頂点を極めた少女が、高層ビルから不慮の事故で転落して、早一年。

 再起はおろか、死亡説すらも飛び交う中、事務所は公然とその説を否定し続けた中、その『少女』は何事も無かったようにモニターの前へ還ってきた。

 

 静かなスタジオに流れる、伸びやかで張りのある女声。 
重厚なヘッドホンを付けて歌う『若い男性』が口を開く度、人智の想像を超えた可憐なビブラートがステレオマイクから、小さな立方体に01変換され刻まれていく。
 「いや、良い逸材を探してきたね。まさか、娼館上がりのカストラートを使うとは恐れ入ったよ。」
 濃い目のグラスをかけた
初老の男が、傍らの女性に笑いかける。
 「有難うございます。如何に以前とほぼ同じ『器』を用意したとしても、同等の歌唱力、まして声をカバーしきれませんからね。彼はその点廃棄処分寸前でしたから経費も10%浮きました。」
 「音楽的側面は良しとして、『ソリッド』の準備は出来てるんだろうな? プロデューサー。」
 イギリス製のハードなスーツを纏うプロデューサーが、ミキサー室の空きモニターにデータチップを挿入する。
 液晶に投影されたのは、何処と無く『人工的』な面影を持つ少女の容貌だった。
 「ボディ・バンクからDNA組成の酷似したパーツと、当時飛散した遺体から培養したクローニング部分とを厳選して合成しました。100%のクローニングでは、同じ素体に成長する訳ではありませんから。でも、これで脳の空き容量と神経細胞(スキル・ワイヤ)の延命処置が続く限り、彼女は再び、最高の『アイドル』として君臨し続けるでしょう。」
 初老の男は眼を臥せて、椅子を大きくグラインドさせる。
 「情報管制は取ったし、問題は、事故前の記憶と人格のコントロールだけだな。」 
 モニターの電源を落とす、プロデューサー。
 「指示通り製薬会社の株を抑えておきました。後は、市場での『天使』の復活を待つばかりです。」

 嘗て彼と一晩過ごすのに必要だった金額よりも、二桁低い額面で買われてきた『彼』は、ミキサー室の会話など耳に入る筈も無く、何かの手を待つように歌い、『歌』に殉じている。次々に紡がれる楽音は、あらゆる空気を叩き、レコーディングスタジオのある事務所のビル全体をも心地良く揺らした。ビルは音叉と化し、同じビルの遥か地下に設置された培養器で目覚めの日を待つ、『彼女』の身体と羊水を8ヘルツで揺さぶりつづけた。

 開かない彼女の眼から無機塩の混じった雫が、多糖塩類の海へと還っていった。

 

 ビルの壁面を覆う光化スクリーンのランキングに、彼女の名前が燦然と輝く。彼女は余りにも無邪気な容貌で、その数字を喜んだ。しかし、その顕わな感情表出は、最早人のものではなく、人の信仰を募らせんばかりの完全なる『アイドル=偶像』の姿を見事に体現していた。


2000.09.172002.03.31