Juvenile
「東京か…何もかもが懐かしい。」
半ズボンから脛毛をはみ出し、不似合いなネクタイとチェックのジャケットを羽織った、往年の少年は既に自分が立ち入る隙の無い、大都会の真中でそう呟いた。
左手には、先端が球状になった二本のアンテナが伸びる、風呂桶ほどの黒い箱を大事そうに抱え、寂しげに通りを歩く。道往く者達が、彼の事をあからさまに指差して、話題にする。しかし、彼はそれら雑音に耳を塞ぎ、電車を乗り継いでいつしか川のほとりに辿り着いた。
川にはうち捨てられた木造船が何隻も寄せられている。
彼は迷わずその内の一隻に乗り込むと、訳知り顔の親爺に渡し賃を握らせ、上流へと向かった。
川を遡って行くと、両岸にハイテク日本への過渡期のまま取り残された、『地図に無い町』が走馬灯のように巡ってくる。
三丁目のたばこ屋では、割烹着姿の老婆が白黒TVの画面に興じていた。
とうふ屋の喇叭が響き、ベーゴマを合わせる金属音が響く。
やがて、船はモノクロームの艀に到着し、彼は川を後にする。
住宅街とおぼしき白黒の街並みを進むと、やがて古ぼけた大きな屋敷が見えてきた。
周囲の風景に溶け込むのを拒絶するかのような、強固な塀と門扉。大層な看板が掲げられているが、『工学研究所』と読むのが精々で、残りの文字は擦れてしまっていた。
男は、表札の脇にあるブザーに指をかける。
不明瞭なスピーカーから
「X」
と、声がした。
彼はすかさず
「123」
と答えると、入りたまえ、という仰々しい物言いと共に門が軋んだ。
背中で閉ざされた扉の音を確かめながら、巨大な屋敷へ入ると、そこには古代ギリシアの議会を牛耳るかの如き年齢の者達が、幾人も集っていた。彼らは何故か、いずれも白黒で描かれたのセル画のような平面形をしている。
「良く来たね、S太郎君。」
「O塚所長!」
旧式の制服を一糸乱れず着こなす署長。だが、その笑顔にも老いが忍び寄っていた。
「昔は、君の運転する車で砂漠の国を旅したりしたものだが。」
「今では、探偵と言えど、満足に発砲すらできませんからね。つまらぬ時代になったものです。」
「寂しい事を言わないで下さい!」
首にスカーフを巻いてべスパに跨り、シェパード(当時とは微妙に違うフォルムからすると、あの犬の後胤らしかった)を連れた往時の少年は、二人の肩を叩き、励まそうとする。犬はスピスピと鼻を鳴らした。
「そうです。これでは何の為の集まりなのか解らなくなってしまうでしょう?
さ、早く席につきたまえ。」
ハンティング帽に仮面(舞踏会などで用いられる半面のもの)を付けた、かつての少年はS太郎らを円卓の席へと促す。
円卓には、探偵、記者、海底人間、刑事、ロボット、サイボーグ、快傑、快男児、〜キッド、〜仮面と称し、東京と言う街の中で持て囃され、消費されてきた好漢達が既に着席し、遅れてきたS太郎を待っていた。
「エヘヘ、僕が一番遅かったのか。」
頬を紅潮させ、椅子に腰掛けるS太郎。それを確認すると、議長である美中年がやおら立ち上がった。かつて或る探偵の助手を勤め、探偵団を結成して怪盗を追っていた男だった。
「さて皆様、本日は御忙しい中、御集まり頂き、誠に有難う御座います。世紀も跨がんとするこの年に、わざわざ足を運んで頂いたのは他でもありません。実に悲しむべき、いや本当ならば我々が最も望んでいた事態が訪れてしまったのです。…御手元の資料を御覧下さい。」
一斉に机の上の資料を捲る音がする。
「非公式ではありますが、この度、『怪盗』並びにそれに準ずる『悪の手先』といった往時の『怪人』達の撲滅宣言が出されてしまいました。」
会議場に由々しきざわめきが波立つ。
「そして、我々もまた絶滅危惧職種ではあったのですが、この宣言と同時に『少年探偵』以下、少年と冠する職種及び、それに準じた呼称と活動は事実上の消滅、言わばアンダーグラウンドな職種への転換を余儀なくされたのであります!」
「では、我々は最早、誰からも必要とされなくなってしまったという事なのか!
今に至るまで、日本の治安維持に尽力してきたというのに…。」
「今や犯罪は深い心理性を帯びたものとなり、理由が無いという理由による凶行が主流を占め、その担い手は大人から少年へと移行し、ロマンやスタイルを追求するような華麗な犯行、いわば美学のある犯罪は失われました。更には、個人設立によるあらゆる研究所はほぼ壊滅。民間或いは国家が管理する所の『確実な成果』を成し得る象牙の塔と化し、彼らの心に浪漫の灯火あろうとも、我々との協力体勢は望めない状況になってしまったのです。」
「世界に『色』が付いていくに従って…か。」
「そう、全てが具現化され、想像性の余地が無い世界となってしまった今では、白と黒のように明確な善と悪は存在せず、我々のような職に就いている者達と、法を犯す者達の間は最早、何の違いも無い。薄ら寒いただの『人間』同士のやりとりでしかないのです!
御覧下さい、手の中のアンチヒーロー像を。」
低く、重苦しい呟きがあちこちから漏れる。
「しかし、僕達に何が出来ると言うのだい?
若者達に受け継がれてしまった未来を勝手に変えるのは、僕らが本当に成すべきことなのか?」
「いや、だが、こうした混沌とした時代を正しい未来へと導いて行くのが僕達の仕事だったのでは無いのですか?
秩序無き今に鉄槌を下すこと。それが、僕らの最後の任務なのかも知れません。」
「そうは言っても…。」
ウームという擬音と共に考え込む、正義の使徒達。
痺れを切らした議長が、机上に大きな一斗缶を叩きつけた。凄まじい衝撃が、テーブルの間を伝導し、議場を一瞬にして静まらせる。
「K林君、それは?」
「これこそ、S島博士が発明した総天然色溶液なのです。」
呼ばれてもいない、S島博士が何時の間にやらK林中年の傍らに立ち、説明を始める。
「これを町のあちこちにふりかけるだけで、総天然色と化した世界を瞬時にしてグレイスケールの懐かしいモノクロームの世界へと変貌させる事が出来ます。人の心理は、色や形といった環境の変化によって大きく影響されるもの。複雑な色取りによる、カオスの世界はやがて、倫理的に秩序だったモダンで健康的な明るい社会へと変っていく事でしょう。そうすれば、犯罪もまた不可解で根深く病んだものから、昔のように単純かつ明快で、スリルと浪漫に満ちたものになるのではないでしょうか?」
大胆なS島博士の論説に誰もが感嘆し、聞き入った。だが、彼らはそれでもなお渋った。事がさほど単純に解決するとは思っていなかったからである。しかし、時代と共に埋火の如く散るよりはと、一人、また一人と溶液を手にして議場を後にした。
2000.07.31→2001.09.11