Like a Dog,As a Dog
採光窓から射す午後の光が、黒革のイームズチェアに沈んでいる若き男の眉間に触れ、静かに散った。零れる光の粒子が眼鏡のブリッジに当たり、彼の瞼の上に注がれる。
まだ深い眠りの中にいたその男にとって、それは単なる無意識下の刺激に過ぎなかった
林立する金属柱の四十二階が彼の全てになってから、どれ程の時が流れたか最早彼自身も覚えていない。
広々とした清潔で絢爛としたオフィスに所狭しと置かれた額縁と、巨きな机の中に鎮座している機械仕掛けの小箱。そして、彼の膝の上で寝そべっている彼の愛犬を除いては。
彼は所謂「成功者」の一人としては取り立てて特徴の無い男だったが、どういう訳か如何なる場面においても、この犬を側に置いておかなかった事は無かった。重要な商談や会議は元より、愛人との情事の場でさえも連れて行き、時に、まるで見せ付けるかの如き振る舞いをしてみせたりもした。
或る時、男娼の一人が彼に、何故犬と一緒なのかを尋ねた事があるが、その時彼は至極真面目な顔で
「みじめなものを側においておくと気分が良いし、何より犬は神に背くものだからさ。」
と、答えた。
それが彼の真意かは彼にしか判らぬ事だが、少なくとも件の愛犬は全くそう思っていなかった。
彼の愛犬は生まれた時から自由が与えられる事は無かった。
人に売られ、人と共に生活する事がその犬の定めであり、生まれる前から決まっていた事で、血統証の付いた両親と、優秀なブリーダーの家から彼の元に来た時も、それは変わらなかった。
彼はどういう訳かその犬を繋いでおく真似はしなかったが、その犬にとってはただ見えない鎖があるのと変わらなかった。
だが、犬は至極幸福であった。それが犬の生きる道であったし、何よりも側に同じ境遇の仲間がいたからだ。
己よりも遥かに多い鎖に繋がれ、その事に気付かぬ幸せな男。
彼が自分に投げかける言葉や見せる光景を思う度、犬は己の自由さと幸福さを再認識出来るのである。
そして何より嬉しい事は、彼よりも生涯が短い事であった。
天上から射す光がいよいよまばゆくなり、彼の眉間を外れて犬の鼻先へと延びてきた。
犬は黙ってその階に前足を載せた。
途切れる鎖。軽くなる身体。安らかになる気持ち。
温かい光と共に、犬はようやく至福の中に溶けていった。
雁字搦めの生に縛り付けられたまま解く事を赦されない彼の上に、無機質な抜け殻だけを遺して。
2001.11.06