Midnight Scool


 僕は真夜中が近付くと、そっと鞄を持って学校へ向かう。
 その学校は昔、ちょっとだけ通っていた事がある。
 その頃、僕は学校が好きでも嫌いでもなかった。そこは、法律が定めた『義務』を全うする為だけに拘束される監獄のようなもので、ある一定の年齢の者達が囚人として一定期間服役する場所だった。その事に感情を挟む余地などある筈も無い。
 獄囚達は─大抵の者は平和に刑期を謳歌するが─多かれ少なかれ鬱屈を抱え、数少ない刺激と娯楽を作り出し、それを満喫する事を由とした。
 かつて、僕もそこに収監されていたのだが、税金の無駄遣いを憂いて脱獄してあげた。

 それから何年もの間、僕は色々な所を転々とした。
 誰の目にも止まらず、自由に何処でも行けるのは思ったより楽しかった。あのままなら生涯知らなかっただろう貴重なモノも見せて頂いたし、無干渉なのが何より嬉しかった。

 そんな或る夜。
 巡り巡って、とうとう昔住んでいた土地に戻って来た僕は、あの学校の側を通りかかった。
 丑三つ刻にも関わらず、校舎は煌々と灯りが点り、穏やかな談笑が止まない。
 知らぬ間に夜間中学でも開校したのだろうか?
 僕は二度と足を踏み入れないと思っていた空間に、再び侵入した。

 夜露で冷え冷えとした廊下から、そっと教室を覗くと、年齢も性別も服装もまちまちの集団が熱心に黒板に向かっている。退職した教師がボランティアで勤めている様で、白髪で古めかしい国民服を纏った老父が旧仮名まじりの文字で板書をしていた。
 仄明るく、影の無い生徒達のくったくなき笑顔。
 僕が知っている時間の流れ方よりも緩やかな空気。
 打算も義務も無く、純粋に学ぼうとしている眼差し。
 脱獄囚である僕には、最早味わう資格などあろう筈も無かった。
 僕はまた、いたたまれない気持ちで踵を返そうとした

刹那

 誰にも見えない筈の僕の背中に声が投げられた。
 肩越しに映ったのは老教師。
 彼は微笑みながら僕に向かって
 「ここは、何らかの事情で通えなくなった人達が学ぶ所です。勿論、『君の様な生徒』もいます。気が向いたら、また来て下さい。」
と告げた。
 廊下と教室を隔てている硝子の向こう側では、生徒達がにこやかに僕に手招きする。

 赤ん坊を背負った着物姿の子供。

 縫い取りのあるもんぺ姿の少女。

 古めかしい学生服の青年。

 引き千切ったような革のリストバンドをはめ、オゾンロックスの上下を着こなした女の子。

 みんな、透けるような笑顔で僕を見ていた。

 それは生まれて初めて知った『目』だった。

 その日から、僕は再びあの学校に通っている。
 深夜に始まり、明け方に終わる真夜中の学校。
 そこは時間に追われず永遠に学び続ける事の出来る僕らだけの楽園。
 僕はようやく生きているという実感を持って、やっていけるようになった。
 そして、これからも、ずっとこの気分が味わえる事を、初めて心から感謝した。


2001.02.09