Poet


詩人の本当の仕事は、言葉の意味を再発見する、そして時にそれらを解体し、新しい意味を付与させて
言葉を漫然と常用する者達に再提示する事だと言われている。
だからこそ、詩人の記すテクストは難解で、
筆者の及ぶべくもないインタラクティブな独立体として慄然とするのであろう。
だが、詩人は─こういった事を恐れない者もいるが─文字の配置や使い方といった
「記号的」な意味を重視する傾向があるのにも関わらず
例えば、白紙或いは空白の記号・情報を己のテクストとして提示しないのであろうか?

空白は情報であり、それ自体意味を持つ独立したテクストである。
故に、物理的に生成し、消滅し、観念的な意味合いを含むのに、だ。

それは「空白」がその詩人の残した作品・記したテクストとは出来ない、
つまり、空白全てがその詩人の作品とする事は出来ない
─作品の同一性/非同一性が証明し得ない─
からなのではないかと思う。

つまりテクストは、情報であると同時に物質に付与されたものであるという、二重の束縛があるからだ。

だが、テクストは恐ろしい事に、
他の媒体を通じてフラット─表層的─な意味のみに投影された鏡像・虚像となっても
その独立性を失う事は無い。

何故なら、テクストとは
ある言葉/記号/文章から独立して、独自に解釈されてしまっている意味の部分そのものだからである。

そして、その意味を求める行為が、即ち『情緒的な死と再生』の儀式なのである。


2000.03.282001.02.09