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『月も星も無い夜は、月に一度の闇の夜。』
とは、誰かの小説にもあった言葉だが、今夜は真に、それに似つかわしい色をした空が、一面に広がっていたのだ。
一見、芸術家風の男が、通りの端に車を寄せた。
車載してあるトランクの中身が、鈍い音と共に動く。男は慌ててトランクの中を確認しに車を降りた。あちらこちらからのネオンの灯りが、青白い蝋人形様になってしまった足首の山が崩れている事を、世間の目にも明らかになる様に照らす。が、世間の目は、全くこちら側に注がれてくる事が無いので、安心だ。もう、腐敗臭もしなくなった足首の詰まったトランクをさっさと閉める。
男は車に戻って、かけてあるCDの続きを楽しみながら、今夜の予定を立てていた。夏休み前の小学生の如く、あれこれと夢想して、それを反芻する。一時的な脳内化学基質の働きによって、疲れが取れる幻想を得られる。
それに飽きると、今度は助手席のロックの掛り具合を、いちいち確かめた。
そして、車内に灯りを点けて、目立たないように、上着の内ポケットに仕込んであるワイヤーを、憑かれた様に磨き始めた。
この儀式にも似た一連の動作が終了する迄、男は何時も、自分の嗜好品を求める為の行為を開始する事は無い。
車の時計に目をくれる。
狩りの時間。
男は車から降りて、ひたすら『待ち』の姿勢に入った。 以下の条件による選別を行う。
壱、自分のA−10神経を十分慰めるに値のできる人間。
弐、自分の嗜好品として、自分に相応しい条件を兼ね備えた人間。
参、何よりも、自分の話術に引っ掛かってくれる人間。
漸く、視神経がそれとおぼしき人物を捕らえる。
男は真剣に慣れた手口で、目標に接触し、捕捉をする事に全力をかける。当事者達ですら気付かない、それは紛れも無く、生命の駆け引きである。
結果。駆け引きには男が勝利した。
車に乗る様に促す。止めてあった車の助手席のドアを丁寧に開閉してやり、シート・ベルトを締める様に冗談を交えて忠告迄した上で、今度は自分に対する軽口での警告を、ご丁寧にもやってのける。
相手は、流石に笑った。
そうして、化学の恩恵を受けた灯りから、果てしない片道運転を始める。
2000.08.23