Sincerity


 月の傾きが戯れに地を昏闇に染める。
 僅かな護衛を除き、城内の者が疾うに寝静まるのを待って、蠢く影があった。
 その数、七。
 所作に草の気配を漂わせているが、然に非ず。
 妖しの香が立ち上る廊下を音も無く忍び寄り、眼の霞みに首を傾げる衛兵の口を塞ぎ、袈裟斬った。
 襖に飛散した血飛沫が、雨音に似た響きを震わせる。
 七人は構わず、穢れた襖に手をかけ、部屋の主を確かめた。
 香の効果か、固く瞼を閉じ、横臥わる城主敏久。
 賊の内に潜む、城主と同じ顔の男はその無垢な寝顔に、この上ない至福を感じていた…。
 敏久とその家臣が賊に襲われたとの報せが城内を巡るのは、五分後の事だ。

 ───数日後
 城を去る数門の姿があった。
 敏久公に代わり、先代敏元の落胤を城主にと企てた家臣の家族が、刑場へ引き立てられる様であった。
 首謀者とされる家臣──敏久の懐刀で事件当夜殿の夜番を勤めていた川島衛門ら他数名はその場で斬り捨てられていたのだが、連帯責任により彼等の家族も同罪とされたのである。
 さしもの敏久も、これには恩赦を与える事が出来ず、涙ながらに天守から見送ったと、後世には残されている。
 そして、もう一つ城を去る者があった。
 馬番の兵馬の棺を担いだ家臣達である。
 賊の侵入の際に焼き殺された遺骸は、著しく炭化し、至極無残なものであった。
 普通、余程の家臣でもなければ、城主自ら城下の菩提寺に手厚く葬る事は無い。
 心優しい敏久公だからこその行いに、誰もが深く心を打たれたと、後世に記されている。
 歴史とは人の歩みに他ならない。
 それ故、歴史は人の手によって造られる。
 我々はしばしば、『その事』を忘れがちであるが。

 その晩、敏久は家臣達に、天守ではなく離れに僅かな供を伴って寝むと告げた。
 心優しい敏久公の心傷如何許りか、家臣達は敢えてその自由を許した。
 敏久の心を癒す自由を。

 行灯一つ無い闇に嘲笑う敏久。
 醜く笑う口許の先に見える、敏久と同じ顔の男。
 鎖で繋がれ、四肢の自由はおろか目・耳・口をも封じられた『人形』。
 「ご気分は如何ですかな、兄上。」
 弱りかけた生命の光を仄かに宿した眼に映る鏡写しの自分。
 「お前は…?」
 「もう心配はいりません。兄上は辛い公務を離れ、何不自由無くこの雛にてお暮らし下さいませ。
 御存知でしょう、先代、敏元公がその残虐なる性癖を慰めるのに使った離れに御座います。
 幽霊の噂もあるこの屋敷を、近付く者などありましょうか?」
 網膜で結ぶ朧な像は、慈悲深い笑みを湛えている。
 だが、次の瞬間、薬で痺れた声に、その顔を悲痛に歪めた。
 「…それも良いかも知れんな。
 そちならば、余の代わりも充分に勤まろう。元から余に、斯様な大儀は重過ぎた。
 夜叉子の片割れである事をひた隠しにしようとする、父とその家臣の無骨な工作に何も知らぬ振りをしながら、同じ肉を分けた弟を救い出す事も出来ず、今の今までのうのうと暮らしていた者に、城主の資格など無い。
 遅かれ早かれ、余に不満を持つ他の家臣が事を起す前に、そち自らが行動してくれた事、有難く思うている。」
 「…!」
 「どうした? 兵馬、いや敏久。
 如何に余が慈悲深き城主とて、真の馬の骨を雇う程愚弄ではない。
 自分の弟が解らぬ兄など、まして、同じ時を同じ場で過ごした同胞を取り違える者が、この世にいる筈が無かろう。違うか?」
 「まさか、兄上…。」
 「父の罪は子の罪。無関係な者を幾人も手に掛けて、ただで済む筈もあるまい。
 後の事は考えずとも良い、そちは城主敏久として、余の人生を存分に生きるが良い。
 光の傾きが、影を入れ替えた。ただ、それだけの事だ。」
 「然様に御座います、殿。さ、今宵はゆっくりお寝み下さい。
 明日は早くから、公務が控えております故。」
 反敏久派であり、この計画の協力者であった家臣の一人が、障子の向こうから囁いた。
 「皆、何もかも知っていたのか…その上で…?」
 「嘗て、夜叉子が生まれた時は、先に生まれた方を殺したという。
 後に生まれ来る者を押し退けて来る者は、即ち『鬼』だからだ。
 父がそちではなく、余を後継としたのは、その因習に倣ったに他ならない。
 鬼の子は鬼でなければ勤まらない。
 余は鬼だ。
 真の世継はそちだ。
 後の事は任せたぞ。」
 言うなり、敏久は口から血泡を吹いて唖黙った。

 地の底から射す陽光が天幕を青闇を蒸散させる。
 深い昏闇は次第に晴れ、稀に見る明るい蒼穹が城下を覆い始めていた。


2003.06.02