Summer
寄せては返す波間。
白く砕ける波頭を手で掬い上げる。
掌中にあるのは、透明な海。
気紛れに、両手を観音開きにして、砂浜に落とす。
素早く粒子の隙間へ浸透する水分子。
そんな他愛の無い事をしながら、彼女の脳裏にふと閃く旧い記憶。
まだ、彼女が自分の知る範囲だけが世界だと信じていた頃。全てが、いつまでも伽話のように普遍で、安らかなものに満ち足りていた、幸せな時代。
海辺から吹き抜ける風を頬で感じながら、過ぎ去り逝く時間を初めて惜しんだ、あの夏。その法則が酷く不条理なものに思えて、どうする事も出来ず水面と向き合ってただ滂沱していたその時。
何処からとも無く祈るような歌声が聞こえてきた。
甘美かつ繊細で、無情な響き。
いつしか、彼女は泣き止み。そして、何かを受け入れた。
あれから、幾歳を重ねたかもう思い出せなかったが、移ろい逝く時の中で形を変え、彼女の中にあり続けたその声。
今にして思えば、ラヂオから流れた流行歌なのかも知れない。
彼女は、口の端を歪めて掌を軽くはたくと、再び波間に視線をくれた。
すると
あの声が再び降臨した!
彼女は驚き、そして耳を澄ます。寸分違わぬ往時の歌が鼓膜を震わせた。
彼女は目を閉じて、波間に立つ。
両耳から零れ落ちる血が、彼女の白い衣服を汚している事にも気付かずに。
1999.10.07