渦巻偽典

人で無し


 『人で無し』とはその名の通り『人』に在らざるもの、『人』に成らざる前の存在・事象の総てを指す。『人』の定義とは『人』の心を持つものであり、必ずしも『人』のかたちを成すものではなく、生命の有無も無関係である。従って、犬猫などの動物にも『人』は居るし、『人』のかたちを成す蟲や妖怪、魑魅魍魎、『人』とはかけ離れた姿をした機械、事物、自然現象、遠く煌く星星に至る迄、『人』を取り巻く森羅万象に『人』は遍く存在する。

 時に『人』の心を理解しているかの如く振舞う諸現象を、『人』は神仏の御業と認識しているが、その多くは誤解である。中には、真の神仏の奇蹟に因る現象も存在するが、大抵は『人』の認識の及ばぬ森羅万象の高遠・枢奥に棲まう『人』と『人』とが、『人』の心を理解し、『人』の希望を叶える為の努力・行為の結果だと云う事を努々忘れてはならない。その意味に於いて、神仏もまた優れたる『人』と言えるだろう。

 寧ろ、一般に『人』と呼ばれる生命体――人間の中にこそ『人で無し』は多く存在するのだ。『人のある中に人なし』と云う故事成語は、真にこの事実を語るに最も相応の正鵠的を得た成句と言えよう。数有る『人で無し』の内、最も悪徳なる『人で無し』は人圏に人間として擬態し、『人』と共に棲みて『人』のかたちを成し、『人』の言葉を話し、『人』の心を理解するものである。彼等は特に『成り損ない』と呼ばれ、三界の総てより忌み嫌われる。

 だが、『人で無し』も『成り損ない』も最初から、その様な存在であった訳ではない。彼等もまた『人』であったものが何等かの事情に因って『人』の心を喪ってしまったか、未だ『人』の心を持たざる『人』以前の存在に過ぎないのである。それ故、死んで創めて『人』となる『成り損ない』も居る。また仮令、今は『人で無し』であっても『人』の心に触れ、『人』に戻る/成るものもいる事を、『人』は忘れてはならない。彼等は『人』の心が創り出す人圏世界の歪みを体現した『人』の鏡。即ち『人で無し』は『人』無くしては存在する事も、生まれる事も無い、謂わば『人』創りし、もう一つの『人』の姿なのだ。

 故に『人』と云う漢字は『人』と『人』が支え合う形象文字を成す。
 『人』を支える『人』とは『人で無し』の事だ。
 『人』が『人』である為に存在する必要悪、それこそが『人で無し』の真の存在意義なのである。

 そう考えると、真の『人で無し』とは『人』の方なのかも知れない。


2006.01.23

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