作品情報

タイトル日本春歌考(にほんしゅんかこう)
公開日1967年2月23日
カラーモードカラー
上映時間103分
サイズシネマスコープ
製作創造社
製作国日本
言語日本語
配給松竹
ポスター

解説

地方から大学受験のために上京した4人のノンポリ男子高校生たちが、試験場で見かけた女子学生に対して抱いた性的な空想に関するエピソードを中心として、1967年当時の日本社会における世代やイデオロギー、階級、民族、性別間の対立を、軍歌や革命歌、フォークソングや春歌などの様々な歌声の応酬として描き、紀元節の復活と騎馬民族説の狭間で、日本国家の起源という神話の観念性と戦後民主主義の虚妄を抉った異色の青春映画。

当時俳優・歌手として若者に人気があった荒木一郎を主役に、若手の劇団員たちを脇役に配し、性を題材にした若者向けの作品を撮るという触れ込みだったが、明確なドラマ展開はなく、後半はかなり観念的・夢幻的な展開で、アングラ演劇のような前衛的な作品となっている。露骨な性描写はない。

心理の解釈を拒絶するかのような、無表情で不透明な存在としての男子高校生を演じた荒木一郎と、「満鉄小唄」を歌う在日朝鮮人の女子高校生を演じた吉田日出子の存在感が印象的である。

製作期間が短いという事情もあり、人物とその行動についてのイメージを簡単にスケッチした短い文章だけがあってシナリオがない状態で撮影が開始されており、スタッフや俳優も含めて全員で即興的に演出し、撮影しながらシナリオを作ってゆくという製作手法によっている。撮影はオールロケーションである。

映像的には、雪の中を学生服姿の高校生たちや黒丸の旗を持ったデモ隊が歩くシーン等の、白と黒の対比の美しさと、歩いて移動する人物たちをキャメラの横移動で追うショットの多用が印象的である。

音声はオールアフレコであり、全て撮影後に録音されている。台詞と歌、詩や文章の朗読、語りなどが映像に合わせて、あるいは映像とズレながら、交互に掛け合ったり重なりあったりして多声的に展開し、随所に林光による現代音楽風の音楽が効果音的に投入され、全体的に音のモンタージュといったものを形作っている。

日本春歌考

予告篇

予告篇は本作の脚本担当の1人である佐々木守が監督したものである。本編では使用されていない、別撮りのショットがいくつか含まれている。「一つ出たホイのヨサホイのホイ」という声は俳優の小松方正による。


あらすじ

前橋から東京の大学に受験に来た男子高校生、中村豊明(荒木一郎)と上田秀男(岩淵孝次)は、試験場で見かけた美しい女生徒、受験番号469番の藤原眉子(田島和子)に興味を抱く。2人は同じ高校から別の大学の受験に来ていた広井克巳(串田和美)、丸山耕司(佐藤博)と合流する。4人は雪の中、渋谷で紀元節復活反対のデモ行進に遭遇し、デモ隊から、かつての彼らの教師であり、現在は東京で大学院の博士課程に在籍している大竹(伊丹一三)が金髪の女性、谷川高子(小山明子)と一緒に離れてゆくのを認める。高子は大竹と別れ、ソ連系の船舶会社(ジャパン・ナホトカライン)のオフィスの中に消えてゆく。4人は同じ高校から女子大に受験に来ていた女生徒たち、里美早苗(宮本信子)・池上智子(益田ひろ子)・金田幸子(吉田日出子)が大竹に会うのについてゆく。大竹と生徒たちはお茶漬屋と居酒屋で飲食をするが、そこでは客たちが軍歌を歌っている。大竹は春歌の「ヨサホイ節」(ヨサホイ数え歌)を歌う。生徒たちは宿屋に宿泊する。中村は大竹の下宿(お寺の一部屋)に忘れた万年筆を取りに行き、ガスストーブが倒れて部屋中ガスが充満している状態で大竹が熟睡しているのを発見するが、そのまま立ち去る。大竹はガス中毒で死亡する。4人は女生徒たちに「俺たちが大竹を殺した」といい、泣きながら帰郷する女生徒たちを上野駅で見送った後、「ヨサホイ節」を歌いながら早苗や智子を、試験場で眉子を犯すイメージを空想する。深谷から引き返してきた金田は、上野駅付近を4人と歩きながら「満鉄小唄」を歌う。大竹の下宿で行われた通夜では大竹の友人たちが革命歌を歌うが、中村が「ヨサホイ節」を歌い始め、乱闘となる。中村は自分が大竹を見殺しにしたことを高子に告げる。(大竹の下宿で中村と高子が性関係を持つイメージ。)上田・広井・丸山・金田は眉子が住む邸宅を訪れるが、そこの庭の池の中の舞台では「ヴェトナム反戦フォークソング大会」が開かれている。金田はそこで東京のブルジョワの若者たちが歌うフォークソングの合唱に抗して「満鉄小唄」を歌うが、男たちに邸の方へ連れ去られ、服をドレスに着替えさせられて涙を流しながら戻ってくる(陵辱されたことの暗示)。中村と高子も眉子の邸宅にやって来る。詩を朗読し、歌を歌う眉子に対し、中村は「俺たちは空想で君を犯した」と告げる。眉子は一同に「その空想の教室に行きましょう」といい、7人は大学の教室に行く。眉子は男たちに、空想の通りに、本当にできるかやってみろという。「ヨサホイ節」を歌いながら眉子の服を脱がす上田・広井・丸山。白いチョゴリ姿で無言で立ち尽くす金田。騎馬民族説に基づき「日本人のふるさとは朝鮮です」という演説を行う高子。中村は教壇の上に横たわった眉子の首を両手で絞める。

日本春歌考

スタッフ

監督大島渚
脚本田村孟・佐々木守・田島敏男・大島渚
原題添田知道
製作中島正幸
撮影高田昭
美術戸田重昌
照明青松明
音楽林光
録音西崎英雄
編集浦岡敬一

キャスト

俳優役名備考
荒木一郎中村豊明1944年生。俳優・歌手。俳優としてのデビュー作はNHKのTVドラマ『バス通り裏』(1958-1963年)。歌手としてのデビュー曲は自ら作詞作曲した『空に星があるように』(1966年)で、同曲はヒット曲となり第8回日本レコード大賞新人賞を受賞した。映画・TVドラマへの出演多数。母は女優の荒木道子。
小山明子谷川高子1935年生。女優。松竹映画『ママ横をむいてて』(1955年)でデビュー。『日本の夜と霧』(1960年)に出演し、以降大島映画の常連となる。1960年に大島渚と結婚。1961年に大島渚とともに松竹を退社し、独立系映画製作プロダクション「創造社」の設立に参加。映画・TVドラマへの出演多数。
田島和子藤原眉子1941年生。女優。俳優座養成所、文学座を経て1966年に「劇団自由劇場」の結成に参加。映画デビューは日仏合作『世界詐欺物語』日本篇(1964年)。大島渚脚本のTVドラマ『叫び』(1963年)、TBS系TVドラマ『七人の孫』(1964-1966年)、円谷プロの特撮TVドラマ『怪奇大作戦』の第21話(1968年)などにも出演。映画への出演は少ない。同じく文学座出身の草野大悟とは1964年に結婚。プロレタリア文学の小説家、佐多稲子の姪。
伊丹一三大竹先生1933年生。映画監督・俳優。映画・TVドラマへの出演多数。1967年に「伊丹十三」に改名。女優の宮本信子とは本作での共演を経て1969年に結婚。監督作品『お葬式』(1984年)はヒット作となった。父は映画監督の伊丹万作。小説家の大江健三郎は義弟。
岩淵孝次上田秀男映画への出演は本作だけで、俳優が本業の方ではないようである。大島渚によると「素人で、芝居人ではない」。
串田和美広井克巳1942年生。俳優・演出家。俳優座養成所、文学座を経て1966年に「劇団自由劇場」の結成に参加。俳優として舞台・映画・TVドラマに出演の他、1970年代以降は演出・美術でも活躍。映画『上海バンスキング』(1988年)では製作・監督・脚本を担当。父はエッセイストの串田孫一。
佐藤博丸山耕司1943年生。俳優。俳優座養成所を経て1966年に「劇団自由劇場」の結成に参加。俳優として舞台を中心に活動し、1970年代以降は放送作家の雁田昇、フォーク系シンガーソングライターの佐藤GWAN博としても活動。1947年生まれのミュージシャン・シンガーソングライター・キーボーディストの佐藤博と同姓同名だが別人である。1stアルバム『青空』(1976年)には細野晴臣、坂本龍一、斉藤ノブ、吉田健が参加し、坂本龍一が5曲の編曲を担当している。
宮本信子里美早苗1945年生。女優。1960年代は劇団青芸に在籍し舞台を中心に活動。本作で映画デビュー。1970年代はTVドラマに脇役として多数出演。夫である伊丹十三監督の『お葬式』(1984年)、『マルサの女』(1987年)に主演し、広く知られるようになった。
益田ひろ子池上智子1945年生。女優。俳優座第15期卒業。舞台を中心に活動。蜷川幸雄演出作品への出演多数。
吉田日出子金田幸子1944年生。女優。俳優座養成所、文学座を経て1966年に「劇団自由劇場」の結成に参加。舞台・映画・TVドラマへの出演多数。舞台『上海バンスキング』(1979年)で広く知られるようになり、映画版にも出演。

大島映画には宴席などで歌が歌われるシーンが数多く登場する。『日本の夜と霧』(1960年)では「若者よ」と「国際学連の歌」が印象的である。殆ど死刑場だけが舞台である筈の『絞死刑』(1968年)でも「金日成将軍の歌」や春歌「ヨカチン音頭」が歌われる。『儀式』(1971年)の結婚披露宴のシーンでは、「仕事の歌」の替え歌(春歌)、「露營の歌」の替え歌(春歌)、春歌「ヨサホイ節」、「嗚呼玉杯に花うけて」(旧制第一高等学校の第十二回紀念祭東寮寮歌)、「インターナショナル」、「ゲイシャワルツ」、「蒙古の旅(蒙古放浪歌)」、「戦友」が歌われる。そうした大島映画の中でも「歌合戦」映画の最たるものが本作である。以下に本作で歌われる歌を登場順に解説する。

若鷲の歌
日本の軍歌。別名「予科練の歌」。作詞:西條八十、作曲:古関裕而、編曲:仁木他喜雄、歌:霧島昇、波平暁男。戦時映画『決戦の大空へ』の主題歌。1943年発売。本作では大竹と生徒たちが食事をしたお茶漬屋で客たちが歌う。

歌詞
1. 若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の 雲が湧く
2. 燃える元気な 予科練の 腕はくろがね 心は火玉
さっと巣立てば 荒海越えて 行くぞ敵陣 なぐり込み
3. 仰ぐ先輩 予科練の 手柄聞くたび 血潮が疼く
ぐんと練れ練れ 攻撃精神 大和魂にゃ 敵はない
4. 生命惜しまぬ 予科練の 意気の翼は 勝利の翼
見事轟沈した 敵艦を 母へ写真で 送りたい
ヨサホイ節
日本の春歌。別名「ヨサホイ数え歌」。添田知道『日本春歌考』によると、1924年に広島の演歌師の秋月四郎が歌い始めて全国的に広まったものだという。元々の歌詞は「これが別れか ヨサホイホイ 独りさびしく残るのは ホイ わたしゃ死ぬよりまだ辛い ヨサホイホイ」で始まるもので、若い男女の別れの悲しみを歌った歌だったのだが、歌詞が性的なものに変わって、現在伝わっているような数え歌形式の春歌となったようである。歌詞は地域によっていくつかのヴァリエーションがあるが、本作で歌われている歌詞は以下の通り。なぎらけんいちのアルバム『春歌』(1974年)に春歌版の録音が収録されている。本作では大竹がお茶漬屋で歌い、男子高校生4人が色々なシーンで歌っている。大島渚監督作品では『儀式』(1971年)でも冒頭だけが歌われている。



歌詞
1. 一つ出たホイのヨサホイのホイ ひとり娘とやる時にゃホイ 親の許しを得にゃならぬ ホイホイ
2. 二つ出たホイのヨサホイのホイ ふたり娘とやる時にゃホイ 姉の方からせにゃならぬ ホイホイ
3. 三つ出たホイのヨサホイのホイ みにくい娘(女)とやる時にゃホイ ふろしき(バケツ)かぶせてせにゃならぬ ホイホイ
4. 四つ出たホイのヨサホイのホイ よその二階でやる時にゃホイ 音のせぬよにせにゃならぬ ホイホイ
5. 五つ出たホイのヨサホイのホイ いつもの娘とやる時にゃホイ いつもの調子でせにゃならぬ ホイホイ
6. 六つ出たホイのヨサホイのホイ むかしなじみとやる時にゃホイ 腰の抜ける程せにゃならぬ ホイホイ
7. 七つ出たホイのヨサホイのホイ 質屋の娘とやる時にゃホイ 入れたり出したりせにゃならぬ ホイホイ
8. 八つ出たホイのヨサホイのホイ 八百屋の娘とやる時にゃホイ かぼちゃ枕にせにゃならぬ ホイホイ
9. 九つ出たホイのヨサホイのホイ 校長の娘とやる時にゃホイ 退学覚悟でせにゃならぬ ホイホイ
10. 十と出たホイのヨサホイのホイ 尊いお方とやる時にゃホイ 羽織袴でせにゃならぬ ホイホイ
露營の歌
日本の軍歌。作詞:薮内喜一郎、作曲:古関裕而、歌:中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章。『進軍の歌』のB面曲として1937年に発売。本作では大竹と生徒たちが食事をしたお茶漬屋で客たちが歌う。居酒屋のシーンでは「露營の歌」の替え歌(春歌)を客たちが歌っている。大島渚監督作品では『儀式』(1971年)でもこの替え歌が歌われている。

歌詞
1. 勝って来るぞと 勇ましく 誓って故郷(くに)を 出たからは 手柄たてずに 死なれよか 進軍ラッパ 聴く度に 瞼に浮かぶ 旗の波
2. 土も草木も 火と燃える 果てなき曠野 踏みわけて 進む日の丸 鉄兜 馬のたてがみ なでながら 明日の生命(いのち)を 誰か知る
3. 弾丸(たま)もタンクも 銃剣も 暫し露營の 草枕 夢に出てきた 父上に 死んで還れと 励まされ さめて睨むは 敵の空
4. 思えば今日の 戦闘(たたかい)に 朱に染まって にっこりと 笑って死んだ 戦友が 天皇陛下 万歳と 残した声が 忘らりょか
5. 戦争(いくさ)する身は かねてから 捨てる覚悟で いるものを 鳴いてくれるな 草の虫 東洋平和の ためならば なんの命が 惜しかろう
軍隊小唄
1939年の戦時歌謡「ほんとにほんとに御苦労ね」(作詞:野村俊夫、作曲:倉若晴生、歌:山中みゆき)の替え歌の1つで、主に軍人の間で愛唱された俗謡。歌詞は陸・海・空軍それぞれのヴァージョンがある(下記は陸軍小唄の歌詞)。軍隊の食事が粗末なことを嘆く1番の歌詞は、大西巨人『神聖喜劇』(第二部の第一)でも引用されている。「ほんとにほんとに御苦労ね」の替え歌は軍隊小唄以外にも多数あり、戦後になっても学校や労働組合などで歌詞を変えて歌われていた。コントグループのザ・ドリフターズが歌った「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」(1970年)は有名。本作では大竹と生徒たちが食事をしたお茶漬屋と居酒屋で客たちが歌う。歌詞はお茶漬屋では陸軍小唄、居酒屋では海軍小唄が歌われている。

歌詞
1. 嫌じゃありませんか軍隊は カネのお椀に竹の箸 仏さまでも あるまいに 一膳飯とは情けなや
2. 腰の軍刀にすがりつき つれて行きゃんせどこまでも つれて行くのはやすけれど 女は乗せない戦車隊
3. 女乗せない戦車なら 長い黒髪バッサリと 男姿に身をやつし ついて行きますどこまでも
4. 大佐中佐少佐は老いぼれで といって大尉にゃ妻がある 若い少尉さんにゃ 金がない 女泣かせの 中尉殿
紀元節
1888年に文部省が学校唱歌として制定し、以後1945年の日本の敗戦に至るまでのあいだ、いわゆる紀元節(2月11日)に全国で歌われていた。作詞:高崎正風、作曲:伊沢修二。本作では大竹と生徒たちが食事をした居酒屋で客たちが歌う。

歌詞
1. 雲にそびゆる高千穂の 高根おろしに草も木も なびきふしけん大御世(おおみよ)を 仰ぐ今日こそたのしけれ
2. 海原なせる埴安(はにやす)の 池のおもより猶(なお)ひろき めぐみの波に浴みし世を 仰ぐ今日こそたのしけれ
3. 天つひつぎの高みくら 千代よろずよに動きなき もとい定めしそのかみを 仰ぐ今日こそたのしけれ
4. 空にかがやく日のもとの よろずの国にたぐいなき 国のみはしらたてし世を 仰ぐ今日こそたのしけれ
仕事の歌
原曲はロシアの民謡「ドゥビヌーシカ」で、ロシアの帝政末期から革命期(19世紀末~20世紀初頭)にかけて、波止場の人足たちが歌っていた労働歌だったが、後に革命歌として一般に広まった。「仕事の歌」は歌詞を日本語にしたもの(日本語詞:津川主一)で、本作では居酒屋のシーンで客たちがその替え歌を歌っている。2番の歌詞が「イギリス人は利口だから ゴムや紙などを使う ロシア人は指を使い 自ら慰める」というように変えられており、春歌になっている。大島渚監督作品では『儀式』(1971年)でもこの春歌版が歌われている。

歌詞
1. 悲しい歌 うれしい歌 たくさん聞いたなかで 忘れられぬ一つの歌 それは仕事の歌 忘れられぬ一つの歌 それは仕事の歌 (※)ヘイ この若者よ ヘイ 前へと進め さあ みんな前へと進め
2. イギリス人は利口だから 水や火などを使う ロシア人は歌をうたい 自らをなぐさめる ロシア人は歌をうたい 自らをなぐさめる (※繰り返し)
3. 死んだ親が後に残す 宝物は何ぞ 力強く男らしい それは仕事の歌 力強く男らしい それは仕事の歌 (※繰り返し)
満鉄小唄
原曲は1932年発売の軍歌「討匪行」(作詞:八木沼丈夫、作曲:藤原義江、歌:藤原義江)。「討匪行」は軍制定の正式な軍歌だが、太平洋戦争時には歌詞が厭戦的であるという理由で歌うことを禁止された。「満鉄小唄」はこの「討匪行」の替え歌で、満州国の朝鮮人娼婦が南満州鉄道の職員への恨みを込めつつ客引きをする様子を歌った春歌。別名「雨ショポの唄」。歌詞は朝鮮語訛りの日本語。大島渚によると、この歌は本作のために春歌を探して古本屋を漁っていたときにある歌集で見つけたものだという。フォーク系のミュージシャンたちによって歌い継がれており、1970年代にザ・ディランIIやなぎらけんいち、中植和弥等が録音を残している。本作では金田が上野駅の近くの路上とフォークソング大会で歌う。フォークソング大会では若者たちが金田をかこんでギターの伴奏付きで歌うシーンもある。本作以外でこの歌が登場する映画としては、中島貞夫の『懲役太郎 まむしの兄弟』(1971年)や山下耕作の『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』(1975年)がある。





歌詞
雨のショポショポ降るぱん(晩)に カラス(ガラス)のまと(窓)からのそ(覗)いてる まてつ(満鉄)のきぽたん(金ボタン)のぱか(馬鹿)やろう
さわるはこちせん(五十銭)見るはたた(只) 三円こちせん(五十銭)くれたなら かしわ(鶏)の鳴くまで 付き合うわ
あか(登楼)るの帰るの とうしゅるの 早く精神ち(決)めなしゃい ち(決)めたらけた(下駄)もて あか(登楼)んなしゃい
お客さんこのころ(頃)紙高い ちょうぱ(帳場)の手前もあるてしょう こちせんしゅうき(五十銭祝儀)をはちみ(弾み)なさい
そしたら私はた(抱)いて寝て ふたち(二つ)もみっち(三つ)もおまけして かしわ(鶏)の鳴くまで ぽぽしゅるわ
ああたま(騙)されたたま(騙)された こちせん(五十銭)金貨と思うたに ピールピン(ビール瓶)の栓かよ たま(騙)された
国際学連の歌
原曲は1949年に作曲されたロシア歌謡「 Гимн Международного Союза студентов」(作詞:レフ・オシャーニン、作曲:ヴァノ・ムラデリ)。東大音感合唱団の日本語訳詩により、日本全国の学生運動活動家たちによって歌われた。別名「国際学生連盟の歌」。略称「こくがくれん」。本作では大竹の通夜で大竹の友人たちが歌う。大島渚監督作品では『日本の夜と霧』(1960年)でもこの歌が歌われている。



歌詞
学生の歌声に 若き友よ手をのべよ
輝く太陽 青空を ふたたび戦火で乱すな
我等の友情は 原爆あるも たたれず
闘志は火と燃え 平和のために戦わん
団結かたく 我が行くてを守れ
労働にうちきたえて 実らせよ学問を
平和望む人のために ささげよう我が科学
我等の友情は 原爆あるも たたれず
闘志は火と燃え 平和のために戦わん
団結かたく 我が行くてを守れ
砲火くぐり進んだ我ら 血と灰を思い起こせ
立ち上がれ世界の危機に 平和守る戦いに
我等の友情は 原爆あるも たたれず
闘志は火と燃え 平和のために戦わん
団結かたく 我が行くてを守れ
同志は倒れぬ
ロシア民謡を元にした曲(作詞:ステークリッヒ)で、1905年の第1次ロシア革命後に世界中に広まり、革命歌、革命戦士の葬送曲として歌われた。この曲はブリテンの吹奏楽曲「革命歌『同志は倒れぬ』にもとづく『ロシアの葬送』」やショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」の第3楽章などに使用されている。日本語詞は小野宮吉による。本作では大竹の通夜で大竹の友人が冒頭だけを歌っている。

歌詞
1. 正義に燃ゆる戦いに 雄々しき君は倒れぬ
血に汚れたる敵の手に 君は戦い倒れぬ
プロレタリアの旗のため
プロレタリアの旗のため
踏みにじられし民衆に 命を君は捧げぬ
2. 冷たき石の牢獄に 生ける日君はとらわれ
恐れず君は白刃の 嵐をつきて進みぬ
プロレタリアの旗のため
プロレタリアの旗のため
重き鎖をひびかせて 同志は今や去り行きぬ
3. 真黒き夜の闇は明け 勝利の朝(あした)今や来ぬ
倒れし君のしかばねを 我らは踏みて進みなん
時は来ぬいざ復讐へ
時は来ぬいざ復讐へ
我が旗赤く空に燃え 勝利の朝今や来ぬ
ワルシャワ労働歌
元は19世紀後半に作られたポーランドの労働歌(作曲者不詳、作詞:スヴェンツキー)で、革命歌・メーデー歌として世界中に広まった。ロシア語版は赤軍合唱団(アレクサンドロフ・アンサンブル)の録音あり。日本語詞は鹿地亘による。本作では大竹の通夜で大竹の友人たちが歌う。



歌詞
暴虐の雲 光を覆い
敵の嵐は荒れ狂う
ひるまず進め我らが友よ
敵の鉄鎖をうち砕け
自由の火柱 輝かしく
頭上高く燃え立ちぬ
今や最後の闘いに
勝利の旗はひらめかん
起て同胞(はらから)よ 行け闘いに
聖なる血にまみれよ
砦の上に我らが世界
築き固めよ勇ましく
This Land Is Your Land(わが祖国)
アメリカ合衆国のシンガーソングライター、フォーク歌手、ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)がアーヴィング・バーリンの歌「God Bless America」(神よアメリカを祝福したまえ)に対する反発によってインスパイアされて1940年に書いた曲。米国で最も有名なフォークソングの1つ。メロディーはザ・カーター・ファミリーが「When the World's On Fire」(世界が燃える時)というタイトルで録音したゴスペル曲「Oh, My Loving Brother」のものを使用している。本作ではフォークソング大会で若者たちが合唱する。

歌詞
This land is your land This land is my land
From California to the New York island;
From the red wood forest to the Gulf Stream waters
This land was made for you and Me.
As I was walking that ribbon of highway,
I saw above me that endless skyway:
I saw below me that golden valley:
This land was made for you and me.
I've roamed and rambled and I followed my footsteps
To the sparkling sands of her diamond deserts;
And all around me a voice was sounding:
This land was made for you and me.
When the sun came shining, and I was strolling,
And the wheat fields waving and the dust clouds rolling,
As the fog was lifting a voice was chanting:
This land was made for you and me.
As I went walking I saw a sign there
And on the sign it said "No Trespassing."
But on the other side it didn't say nothing,
That side was made for you and me.
In the shadow of the steeple I saw my people,
By the relief office I seen my people;
As they stood there hungry, I stood there asking
Is this land made for you and me?
Nobody living can ever stop me,
As I go walking that freedom highway;
Nobody living can ever make me turn back
This land was made for you and me.
Goodnight, Irene(おやすみアイリーン)
アメリカ合衆国のフォーク・ブルースのミュージシャン、レッドベリー(Lead Belly)が1933年に作曲した曲。米国フォークソングのスタンダード曲の1つ。フランク・シナトラ、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ、ライ・クーダー他多数のミュージシャンがカヴァーしている。本作ではフォークソング大会で若者たちが合唱する。眉子が金田に向かって1人で歌うシーンもある。

歌詞
Irene goodnight, Irene goodnight
Goodnight Irene, goodnight Irene
I'll see you in my dreams
Last saturday night I got married
Me and my love settled down
Now me and my love are parted
I'm gonna take another stroll downtown
Irene goodnight, Irene goodnight
Goodnight Irene, goodnight Irene
I'll see you in my dreams
Sometimes I live in the country
Sometimes I live in the town
Sometimes I have a great notion
To jump In the river and drown
Irene goodnight, Irene good night
Good night Irene, good night Irene
I'll see you in my dreams
Ramblin' stop your gamblin'
Stop stayin' out late at night
Go home to your wife and your family
Sit down by the fireside bright
Irene goodnight, Irene good night
Good night Irene, good night Irene
I'll see you in my dreams
Irene goodnight, Irene good night
Good night Irene, good night Irene
I'll see you in my dreams
若者たち
1966年にフジテレビで放送されたTVドラマ『若者たち』の主題歌として大ヒットした曲。作詞:藤田敏雄、作曲:佐藤勝、歌:ザ・ブロードサイド・フォー。ザ・ブロードサイド・フォーは黒澤久雄(映画監督の黒澤明の息子)が成城大学在学中に結成したフォークグループ。1970年代以降は小中学校の音楽の教科書にも掲載され、有名なポピュラーソングとなった。本作ではフォークソング大会で若者たちが合唱する。

歌詞
君の行(ゆ)く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで
君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか
あてもないのに
君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽(ひ)がのぼるとき
若者はまた
歩きはじめる
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた
歩きはじめる
We Shall Overcome(勝利を我等に)
アフリカ系アメリカ人の公民権運動(1955-1968年)を象徴する賛歌となったプロテストソング。歌の由来は諸説があってはっきりしないが、歌詞はチャールズ・アルバート・ティンドレイが1900年に作曲したゴスペル曲「I'll Overcome Someday」が元になっているといわれている。直接的には、アフリカ系アメリカ人の労働者たちがストライキで歌っていた歌を元にして、フォーク歌手のピート・シーガー(Pete Seeger)他の人たちが歌詞を変えたりして手を加えた後に成立したもののようである。1963年8月28日のワシントン大行進(ワシントンD.C.で行われた人種差別撤廃を求めるデモ)でフォーク歌手のジョーン・バイエズ(Joan Baez)が歌ったことは有名。本作ではフォークソング大会で若者たちが合唱する。



歌詞
We shall overcome, We shall overcome, We shall overcome, some day.
Oh, deep in my heart, I do believe We shall overcome, some day.
We'll walk hand in hand, We'll walk hand in hand, We'll walk hand in hand, some day.
Oh, deep in my heart,
We shall live in peace, We shall live in peace, We shall live in peace, some day.
Oh, deep in my heart,
We shall all be free, We shall all be free, We shall all be free, some day.
Oh, deep in my heart,
We are not afraid, We are not afraid, We are not afraid, TODAY
Oh, deep in my heart,
We shall overcome, We shall overcome, We shall overcome, some day.
Oh, deep in my heart, I do believe We shall overcome, some day.
ナニャドヤラ
青森・岩手・秋田にまたがる旧南部藩領内に伝わる盆踊りの唄。別名「ナニャトヤラ」。起源・由来は不明。歌詞があまりにも意味不明であるため、古来から研究者によって様々な解釈がなされてきた。民俗学者の柳田国男は、祭りの日に女が「どうなりとなさるがよい」と男に呼びかけた恋唄ではないかという説を唱えた。本作では中村が高子と高速道路を歩きながら話すシーンで中村が断片的に歌っている。

歌詞
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド
Michael Row the Boat Ashore(漕げよマイケル)
アフリカ系アメリカ人の霊歌(spiritual)。南北戦争中(1861-1865)にサウスカロライナ州シー・アイランドの1つ、セントヘレナ島で採譜され、1867年に楽譜が出版された。1950年代後半からフォーク歌手などによって歌われ、アメリカのフォークグループ、ザ・ハイウェイメン(The Highwaymen)のカヴァー(1961年)は全米1位、スコットランド出身のスキッフルのミュージシャン、ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)のカヴァー(1961年)は全英6位になった。本作ではフォークソング大会で若者たちが合唱する。

歌詞
Michael, row the boat ashore, Halleluja
Michael, row the boat ashore, Halleluja
Sister help to trim the sail, Halleluja
Sister help to trim the sail, Halleluja
Jordan's river is deep and wide, Halleluja
Meet my mother on the other side, Halleluja
Jordan's river is chilly and cold, Halleluja
Chills the body but not the soul, Halleluja
Michael, row the boat ashore, Halleluja
Michael, row the boat ashore, Halleluja

トピック

添田知道『日本春歌考』
本作のタイトル『日本春歌考』は、演歌師・作家の添田知道(1902-1980)が1966年に出版した本『日本春歌考―庶民のうたえる性の悦び』(光文社カッパブックス)に由来しているが、題名だけを借用したものであり、いわゆる原作ではない。この本は、明治から昭和にかけて民衆が歌っていた性に関する歌を収集した、大衆文化史的な読み物で、「ヨサホイ節」をはじめとする膨大な数の春歌(民謡、俗謡、童謡、流行歌、軍歌や唱歌の替え歌)が記録されている。恋歌とか猥歌、エロ歌という言い方は以前から存在したが、「春歌」というのは添田知道の造語のようである。本書が1982年に『添田唖蝉坊・知道著作集』の第5巻として出版された際には大島渚が解説文を寄稿している。

日本の春歌を集めた本としては本書の他に西はるか『声に出して唄おう日本の春歌―戯れ歌・遊び歌考』(竹内書店新社、2002年)があるが、この本の著者の西はるか氏は、大学生のときに映画『日本春歌考』を観たことがきっかけで春歌の蒐集を始めたそうである。

日本春歌考―庶民のうたえる性の悦び 添田唖蝉坊・知道著作集5 日本春歌考

作品の構想について
当時の大島渚が拠点としていた独立系映画製作プロダクション「創造社」にて、脚本家の佐々木守がたまたま読んでいた添田知道の『日本春歌考』を提示したことが企画の発端である。大島渚と佐々木守は昔から春歌が好きで、酒を呑んではよく春歌を歌っていたという。

同じく創造社に参加していた脚本家の田村孟が、シナリオ学校で田村の教え子だった田島敏男(当時19歳)が書いたシノプシスが面白いので使おうと提案し、田島のシノプシスをベースにシナリオが練られた。学生がガス中毒で死ぬ教師を見殺しにするというくだりは田島のシノプシスに由来している。
キャスティングについて
大島作品では一環して、演技力よりも存在感を重視し、新人や素人を起用するキャスティングが行われているが、本作も例外ではない。荒木一郎は、『青春残酷物語』(1960年)のような不良少年でもなく、『日本の夜と霧』(1960年)のようにしゃべりまくる政治青年でもない、つまり、1960年安保の頃の若者像とは異なる、政治に無関心で上の世代から見れば何を考えているのかわからない、解釈不可能な若者を体現する存在としてキャスティングされている。大島渚によると「声が低くて、無口で、叫ばない、怒らない、でも内容的にはむしろ危険なものをかかえている」若者である。(このような若者像は、1970年代以降、学生運動の退潮とともに、特に1972年の連合赤軍事件以後はむしろ多数派となってゆき、いわゆる「シラケ世代」「新人類」「オタク」へと繋がってゆく。)

アングラ演劇系の劇団自由劇場の役者が4名(田島和子・串田和美・佐藤博・吉田日出子)起用されているが、これも新しい感覚の俳優たちを使いたいとの意向によるものである。当時のアングラ演劇系の劇団では他に唐十郎の「状況劇場」や寺山修司の「天井桟敷」などが有名だったが、そういった「芝居をやりすぎる」劇団よりは自由劇場の方が素人っぽいという理由での起用のようである。

宮本信子については、伊丹十三から使ってやってほしいという強い推薦があったと、大島渚が述懐している。
学習院大学
中村・上田・眉子が試験を受けた大学のロケ地は学習院大学(東京都豊島区目白)である。学習院大は1877年に皇族・華族のための教育機関として開校されており、皇族と関係が深い大学として知られる。中央にあるピラミッド型の建造物はピラミッド校舎、通称「ピラ校」と呼ばれるもので、1960年に竣工。長らく学習院大のシンボル的校舎であったが2008年に解体された。学習院大は円谷プロの特撮TVドラマ『ウルトラセブン』の第29話「ひとりぼっちの地球人」(1968年放映)でもロケ地として使用されている。

ピラミッド校舎

九段会館
本作で高校生たちが宿泊した場所は東京都千代田区の九段会館である。九段会館は軍人の訓練・宿泊のための施設として建設され、1934年に竣工。旧称は「軍人会館」であった。皇居に隣接する北の丸公園の堀端、靖国神社の近くに位置している。1936年の二・二六事件で戒厳司令部が置かれた場所として有名。ホールやレストラン、宿泊施設などを備え、結婚式や講演会などに使用されていたが、2011年の東日本大震災で天井の一部が崩落し死傷者が出たため廃業した。
「紀元節」と「建国記念の日」
明治政府は1873年、2月11日を『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日を意味する「紀元節」として祭日に制定した。2月11日という日付は、神武天皇の即位日が西暦紀元前660年2月11日に相当するとの見解によるものであった。紀元節は敗戦後の1948年に廃止された。紀元節の復活に向けた動きは1950年代初頭からあったが、賛否両論があった。1966年に「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨の祝日「建国記念の日」を定める法律が成立し、1967年から施行された。本作で大竹が「戦後初めての2月の連休だ」といっているのは、1967年2月11日の土曜日が最初の「建国記念の日」だったからである。本作に出てくる、雪の中を黒旗と黒丸の旗を持って行進する紀元節復活反対のデモは、俳優や本作のスタッフによるものであり、大島映画の常連である小松方正や渡辺文雄、劇作家の福田善之らの顔が見える。

紀元節復活反対デモ

騎馬民族説(騎馬民族征服王朝説)
考古学者の江上波夫が1948年に発表した学説。大陸からやってきた東北アジア系の騎馬民族が南朝鮮の支配を経て九州から日本列島に入り、4世紀末から5世紀前半頃に、在来の王朝を支配ないしそれと合作して大和朝廷を創始したとする。日本の古代国家の起源を東北アジアの騎馬民族に求めたこの仮説に対しては批判もあり、定説には至っていないが、江上の問題提起は、日本の古代国家と王権の成立に渡来人集団がどう関わったかという問題に受け継がれているとも考えられる(注)。

いずれにしても、DNAの分析では、日本列島の先住民である縄文人と朝鮮半島から渡来した弥生人が混血を繰り返して現在の日本人になったという「混血説」を科学的に裏付ける結果になっており、日本が古代から単一の民族国家であったという主張には何の根拠もない。

本作の脚本担当の1人である佐々木守によると、佐々木が江上の騎馬民族説を好み、以前から吹聴していたことから騎馬民族説が本作に導入されたとのことである。

本作では大竹が騎馬民族に関する研究を行っていたという言及があり、大竹の恋人の高子はラストシーンで騎馬民族説に基づいて「日本人のふるさとは朝鮮です」という演説を行うが、本作では騎馬民族説が、戦前の皇国史観のような、日本が万世一系の単一民族国家であるという神話に対抗する、もう一つの神話として導入されていることに注意すべきである。国家の起源、「日本人のふるさと」という発想自体が近代国家のイデオロギーなのであり、ナショナリズムが生んだ幻想なのだ。

注:日本の古代王権の外来性に関する議論は江上説以前にも存在しており、戦前はむしろ北一輝などの右翼の方が亜細亜主義の文脈で皇室の外来性を主張していた。同じ仮説が戦前は天皇制ファシズム・アジア侵略の正当化に、戦後は日本の単一民族国家説への攻撃に使われている。

騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ

『日本春歌考』から『絞死刑』へ
内面化された権力としての日本国家、他者としての朝鮮人の存在、想像力と犯罪の関係という本作のモティーフは、1958年に東京で起きた小松川事件(18歳の在日朝鮮人少年による殺人事件)を題材にした映画『絞死刑』(1968年)においても扱われており、朝鮮人差別や死刑制度の是非といった社会問題を絡めながら、より鮮明に主題化されている(注)。

『絞死刑』の主人公Rは、自分が犯した犯罪について、「それは想像の中でやったのか本当にやったことなのかはっきりしないのです。なぜなら、想像の中でくりかえし、くりかえし、何度もああいう犯行をやっていたような気がするから…」と述べているが、これは『日本春歌考』の中村を想起させる。

『日本春歌考』では、紀元節復活に反対する者が、朝鮮起源の日本というもう一つの観念で対抗する。『絞死刑』では日本国家によって死刑に処せられる在日の少年を救おうとする者が、少年に「祖国の統一と繁栄のために」生きろという。どちらの作品でも小山明子が、国家に対抗するために国家の観念に縋ろうとする滑稽な存在を演じている。

注: 大島作品における主題群の系列と展開については、四方田犬彦が『大島渚と日本』(筑摩書房、2010年)で詳細に論じている。
新宿のロレンス
中村・上田は試験の後、浪人している先輩から「新宿のロレンスに行かないか」と誘われる。居酒屋のシーンでは客の1人が、「アラビアのロレンスは英雄だった。だからトルコを攻めた。俺は新宿のトルコ風呂を攻める。だから俺は新宿のロレンスだ」といっている。これは寺山修司の写真入りエッセイ集『街に戦場あり』(朝日新聞社「アサヒグラフ」1966年9~12月連載。写真は森山大道・中平卓馬が交互に担当)の1編「新宿のロレンス」が引用元のようである。個室浴場付き性風俗店は日本国内では1950年代初頭に誕生し、「トルコ風呂」の名称で呼ばれていたが、トルコ人留学生による名称変更の訴えが起因となって、1984年に「ソープランド」と改称された。

街に戦場あり アサヒグラフ19661111

中原中也『曇天』
男子高校生4人が紀元節復活反対のデモ行進に遭遇するシーンで丸山が口ずさんでいる詩は、中原中也の『曇天』(『在りし日の歌』所収)の一節である。

ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(をくが)に 舞ひ入る 如く。

かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。

吉原エレジー
居酒屋で大竹が以下のような歌を朗誦する(途中から歌いだす)シーンがある。これは「吉原エレジー」というものらしいが詳細は不明。情報求む。

思い起こせば三歳(みとせ)前
村が飢饉のその時に
娘売ろうかヤサ売ろか
親族会議が開かれて
親族会議のその結果
娘売ろとの御所存に
売られしこの身が三千両
口に紅つけお白粉つけて
泣く泣くお駕籠に乗せられて
着いた所が吉原の
その名も高き揚屋町
ところも知らず名も知らず
嫌なお客もいとわずに
夜ごと夜ごとの仇枕
これもぜひない(詮無い)親のため
静かに更けゆく吉原の
今宵も小窓に寄り添って
月を眺めて眼に涙
あける年期を待つばかり

評価・影響
ギリシャ出身の映画監督、テオ・アンゲロプロスは大島渚と交友があったが、アンゲロプロスの『旅芸人の記録』(1975年)や『狩人』(1977年)などの作品では、時代やイデオロギーを代表する様々な歌の応酬が繰り広げられており、大島映画からの影響をうかがわせる(注)。

注: 大島とアンゲロプロスの違いは、アンゲロプロスにおける歌が時代やイデオロギーを代表するものとして歴史俯瞰的な視点から配置されているのに対し、大島映画、特に本作においては、むしろ世代やイデオロギーへの回収とそれに対する抵抗をも含む、誰もメタレベルに立つことができない無政府的な闘争が歌の応酬となって現れているという点である。

大島映画の中で一般的に評価が高いのは『青春残酷物語』(1960年)、『日本の夜と霧』(1960年)、『絞死刑』(1968年)などであり、知名度が高いのは『愛のコリーダ』(1976年)や『戦場のメリークリスマス』(1983年)などであるが、本作が持つ独特の味わいを高く評価し、本作を最高傑作とする人々も存在する。映画監督の黒沢清や青山真治、映画評論家の中原昌也は大島映画の中でも本作を高く評価している。

黒沢清は2009年に開催された自主映画の祭典「第31回ぴあフィルムフェスティバル」にて『日本春歌考』と『絞死刑』が上映された際に講師として講義を行い、本作について「自分にとっての大島渚映画のベスト1」、「『日本春歌考』は大島渚監督の代表作であり、戦後日本映画の最高傑作の1本と僕は思っています」と述べている(ニュース@ぴあ映画生活より引用)。

黒沢清の監督第2作『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985年)は、東京の大学を舞台にした自主制作映画風の作品であるが、語りや歌で繋いでゆくスタイルが本作からの影響を感じさせる。この映画で大学教授を演じているのは本作にも出演した伊丹十三である。

ミュージシャンの坂本龍一は、10代半ばの頃に本作を観て感動したという。坂本は『戦場のメリークリスマス』で映画に初出演し、音楽も担当して英国アカデミー賞作曲賞を受賞、以後は映画音楽の仕事も多くなり、大島渚とは縁の深い関係だった。坂本は大島渚の告別式に参列した際に弔辞の中で本作に言及し、「今でもあなたの作品の中で、1、2を争うほど好きな作品です」と述べている。
旧劇場版エヴァは『日本春歌考』の反復なのか?
庵野秀明監督のTVアニメシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の劇場版完結編『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)のラストシーンと本作のラストシーンの類似が指摘されることがある(中森明夫氏のTwitterでの発言等)。どちらも男が女の首を絞め、女が謎めいた言葉を発して終わるが、庵野監督が本作を意識していたかどうかは不明である。庵野作品が市川崑、岡本喜八、実相寺昭雄等を参照していることは明らかであるが、大島渚への参照の有無は定かではない(注)。

あのラストは偶然の一致かもしれないが、どちらの作品も物語的な結末を回避し、観念的に解消できない対立関係という現実の中に観客を放置して終わるという点では共通しているかもしれない。どちらも表現は観念的だが、観念によって覆い隠せない現実の裂け目のようなものを露呈させている。だが、旧エヴァが文脈を把握すれば理詰めで理解できる内容なのに対して、『日本春歌考』は登場人物の行動に関する解釈を拒絶している。荒木一郎が演じる中村は、最後まで何を考えているかわからない、不分明な存在である。

注: 大島渚の遺作となった『御法度』(1999年)の公開時に雑誌「ユリイカ」の「特集・大島渚2000」(2000年1月号、青土社)に掲載された「国家と風景の現在」という大島渚+庵野秀明の対談を読んでもその辺は判然としない。エヴァの登場人物「渚カヲル」の「渚」は大島渚(と「シ者」)から来ているようだが、名付けたのは脚本を担当した薩川昭夫である。

商品情報

松竹ホームビデオから1991年にVHS、2006年にDVDが発売されている。DVDは本編の他に予告編も収録。ただし画質はあまり良くない。高画質なBlu-rayでの再発を希望。「大島渚 DVD-BOX 2」には『太陽の墓場』『白昼の通り魔』『日本春歌考』の3作品が収録されている。

日本春歌考[VHS]

日本春歌考[DVD] 大島渚 DVD-BOX 2

参考文献

  • 『絞死刑―大島渚作品集』(至誠堂、1968年) ※『日本春歌考』『無理心中 日本の夏』『絞死刑』の3作品のシナリオを収録
  • 大島渚『大島渚1968』(青土社、2004年) ※1995年以降に断続的に行われたインタビューを再構成した本
  • 四方田犬彦『大島渚と日本』(筑摩書房、2010年)

絞死刑―大島渚作品集 大島渚1968 大島渚と日本