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読書日記2004


■今年もどんな出会いがあるか…

 毎年同じようなことばかり書いていますが、今年もじつは同じです。昨年度は70冊前後の本をあげてみましたが、もちろん読んだ本、読みかけた本の一部でしかありません。比較的読みやすかった本で、最後まできちんと読んだ本だけ載せてあります。ふつう、わたしは本を全部最後まで読むということは、まずありません。ほとんどは必要なところしか読みません。ですから、1日に3冊、5冊などということもごくふつうにあります。それでも、こうして記録の形にして残してみると、不思議なほど記憶に残るようです。今年も同じスタイル(日記メモ)で好き放題に書いておこうとおもっています。本の作者の人に不愉快にならぬよう、気をつけたいですね。それと「だ、である調」で断定的ですが、あしからず。

■2004年に読んだ本(記録日はその前後に読み終えたという意味)

 一番上に書いてあるのが、もっとも最近読み終えた本です。積み上げ方式で書いていますから、どんどん新しいものが上に重なるようになっています。あまりに専門的な本(数学や物理など)は載せてありません。あくまでも、ふつうに本屋さんで買って読んでいるものだけです。多分というか、小説は少ないとおもいますが、参考になればうれしいです。コメントは本の内容とはまったく関係ないことも多いです(笑)。あくまで、本を読んだときの雰囲気を感じ取ってもらえればという気持ちです。個人的な備忘録みたいなものですから、面白くはないだろうなという予感はしていますが、ご了承を。では、今年もこれからはじめます。

 2004/01/01 (木) 17:51:30


2004/12/20(月) 08:15

★ジノ・セグレ:桜井邦朋訳『温度から見た宇宙・物質・生命』講談社 \1100

 本屋さんで出てすぐに目にとまった。「セグレ」と著者名にあったので、あの有名なエミリオ・セグレ(ノーベル物理学賞受賞、『古典物理学を創った人々』みすず書房などの著作あり)と何か関係のある人かな?、とおもって著者の経歴欄を見たら、やはりエミリオ・セグレの甥子さんであった。それも、この著作が処女作ということで、これは貴重な本だ、とすぐに購入して読みはじめた。彼の親戚縁者には物理学者がごろごろいるのにも驚いた。家系の雰囲気にそういうものがあるのだろう。さて、本の内容は題名にもあるようにじつに多岐にわたっている。しかし、今までほとんど取り上げられなかった「温度」という視点をベースにおいてすべての議論をしているので、じつに明解に語られている。こういう物質世界の見方があったのか、と改めて著者の着眼の鋭さを感じた。自然科学関係の本は仕事柄よく読むが、久しぶりにわくわくするような本で十分に楽しめた。はじめて知るという事柄は、そうは多くはなかったが、これだけの内容をコンパクトにそして明解に説明できる力量は相当のものだと感じ入った。年末の忙しない時期ではあったが、こういう本に出合えて幸運だった。いい年の瀬を迎えられそうだ。

2004/12/14(火) 07:49

★加藤秀俊『なんのための日本語』中公新書 \780

 加藤氏の本は学生時代からよく読んでいた。以前でていた『自己表現』中公新書が今年の夏に絶版になったので、それの続編の形ででたのが本書であると著者は書いている。「ユーザーの立場からみた日本語」と帯にあるように、「国語」でなく「日本語」をどうつかいこなしてゆくかを、ていねいに説明している。世界的な視野からみた日本語の位置、そのひろがりなども知ることができ、納得できる。日本語はもう「日本人」だけのものではないし、すでに世界的な規模での言語になっている。「日本語は外国人にはむずかしい」などの俗説を信じているひとほど、それでは日本語をつかいこなしているのか?といわれるとこころもとない。英語などにばかり目がむけられて、いかにも英語=国際語みたいにおもわれているが本当か。長年、日本語(国語でない!)について、発言してきた著者のことばはじつに参考になる。わたしには、読んで「目からうろこ」のことがらが多数あった。

2004/12/04(土) 11:11

★司馬遼太郎『この国のかたち 四』文春文庫 \448

 ここ2週間ほど期末テスト問題の作成に時間を取られていたため、読書は通勤電車の中だけだった。上着のポケットに入れておいて、ちょこちょこ読む、そんな読み方で読んでいた。老眼が次第に進んでいるのか、以前のように速読しようにも、字が見えない。字がかすむか二重三重に重なって見えるか、その隙間のような距離でしか焦点があわないのだ。メガネを頭の上に乗せていたおじいさんたちのしぐさの意味がようやく実感としてわかるようになった。

 さて、この本も「四」に進んできた。1992年〜1993年にかけて連載された分である。「82 統帥権(一)」〜「85 統帥権(四)」で、昭和の日本が先の大戦に突入していった推移がほぼ納得できた。「89 李氏朝鮮と明治維新」では、この王朝が儒教国家として520年近くも朝鮮半島を支配してきた経過、それが現代に及ぼしている影響など、今までかんがえたこともないことを知った。今でも個人的には好きではない国ベスト3に入っている朝鮮半島の国(南北両方)が、どうして好きになれなかったのか、という自分の疑問に少し解答らしいものを得た。終わりのほうに口述したものを編集した「日本人の二十世紀」には、共感をおぼえた。とくに、”軍事的素養のない日本の知識人”には全く同感である。”軍事オタク”など問題にもならないが、いわゆる知識人や政財界人の発想の中に”軍事的素養=戦略的発想”がほぼすっぽり抜けているのにはおどろくほどだ。もちろん、”平和、平和、…”などと叫んでいる人たちにも共通することだが。「平和」を地についたものにするためにも、「軍事的素養」は何としても必要なことだ。こういうことを避けるのが、平和への道みたいに錯覚しているのは情けない。小中高大とどの学校でも、軍事知識は忌み嫌われている。これでは、今後も平和な国を維持してゆくのはむずかしいだろう。物事を善悪だけで判断するのではなくて、現実をきちんと見据えて、必要な知識はしっかり身に付けたうえで、物事を判断していきたい、とわたしもおもっている。

2004/11/23(火) 07:11

★司馬遼太郎『この国のかたち 三』文春文庫 \448

 ゆっくりと読んでいる。それでもすでに「三」になっている。文藝春秋に連載された1990年から1991年分のをまとめたものである。例によって印象深かったものは、「50 ドイツへの傾斜」「61 「脱亜論」」「62 文明の配電盤」「67 大坂」など。それらの章に付箋が入っている(じつは手元に付箋がないときは、ただページの右上を小さく折っているだけ…ドッグイアーというのか)。とくに、「61 文明の配電盤」には東京物理学校(現・東京理科大学)の成り立ちが簡潔にしかもしっかりとした資料を基に書いてあり、参考になった。この本のあとがきには、これらのそれぞれの章は原稿用紙10枚以内で書いているという。枠が決められたところに押し込んで書くともいっておられる。こういう書き方も文章を書く上では大切な技術なのであろう。漫然と書いていては、文章は間延びしてしまう。何を書くかよりも、何を書かないか、という文章削りが求められる書き方だ。文章法など何も意識していないわたしには、相当に耳の痛い。冗長な文章もときには必要もあるかもしれないが、簡潔にわかりやすく、理路整然ながら楽しさも感じさせるような文章を書けたら、とわたしは願う。それは、文才とかいう能力よりも修練がもたらすもののような気がしている。

2004/11/18(木) 09:39

★石原結實『「半断食」健康法』講談社+α新書 \800

 健康法の本はほとんど読まないが、以前に紹介した加藤寛一郎『一日一食断食減量道』講談社+α新書とこの本は内容が似ているので、出版されてすぐに買っておいた。雑誌の「プレジデント」にこの作者の談話が載っており、その内容がわたしが現在実践中の「一日一食断食減量道」の医学的な解説になっているのでは、と直感したのだ。読んでみると、予想通り、著者も現在は「一日一食」とのことで、わが意を得たり、とおもわず一気に読んでしまった。西洋での「断食治療」、漢方での「断食」の意味などが的確にわかりやすく、しかも説得力をもって書いてあり、じつに感銘を受けた。健康法は、日常的にもっとも自然にできるものでないと、まず効果はない。つい、栄養のバランスとかビタミン・ミネラルがどうとかの話になってしまう現在にあって、むしろそういう余分なものをできるだけ体内に入れないという発想法自体がすばらしい。これなら、ほとんど毎日苦労せずにできる。この本に紹介されている「朝…人参りんごジュース」は、わたしはやっていない。これすら作るのが面倒くさいからだ。ただ、市販のりんごジュース(100%もの)と野菜ジュースは買っておいて、ときどき混ぜて飲んでいる。わたしは、恥ずかしながらものすごい食いしん坊なので、このジュースでさえ、どんどん摂ってしまうような気がしている。ただ、この本に書いてある「断食」の効果ははっきりとわかる。今年受診した人間ドッグの結果が見事にそれを証明してくれている。どんな健康法でも、その効果をきちんとみるには、最低でも3ヶ月は必要かとおもわれる。そして、本当にその人の日常生活にふつうに習慣化するのには、3年は必要だろう。わたしは、まだ1年半くらいしかやってないので、まだ結論をいえる根拠はもっていない。この本の内容もそれだけの年数をかけて試してみたい気がしている。

2004/11/17(水) 07:57

★石川英輔『数学は嫌いです!』講談社文庫 \467

 石川氏の本は「大江戸シリーズ」で知って以来、ほぼすべて読んでいる。波長が合うのか、とても読みやすくて、楽しく読める。この本は、今年の7月くらいに文庫本の形になって再度出版されたみたいだが、いつも本屋さんの本棚をチェックしていたが、つい先日まで見つけることはできなかった。氏の本は、愛読者が決まっているみたいで、それほどの部数出版されるわけでもないようだ。だから、絶えずあちこちの本屋さんをチェックしていないと見つけることはできない。何とか出会えてよかった。

 内容は数学の基礎概念をふつうの日本語で丹念に説明したもので、会話形式をとっており、わかりやすい。石川氏はもともとが理学部出身の方なので、数学はふつうにかんがえれば、できるほうだろう。だが、氏は「学校で習う数学は嫌いで苦手だった」という。数学に強いとおもわれる理系の方にもいろいろな方がおられるから、作者と同じようなかんがえをお持ちの人も多いことだろう。氏が「学校で習う数学」と特定しているところが微妙である。学校で習う数学はたしかに面白くない面が多数ある。とくに、何に使うのかもほとんど説明されないまま、ただダラダラといろいろな分野が出てくる。背景やなぜそういうかんがえ方が必要なのかをきちんと説明しないと理解しづらい生徒さんも多いとおもう。わたし自身にもそういう面がある。だから、わたしは、数学の勉強では、そういう数学の流れを知るためにも教科書とは関係ない数学の本を多数自分で読むことで、それを補っていたようにおもう。

 数学は公式などは忘れてしまっていても、かんがえ方としては、日常的にも何気なく使っていることが多い。ふだん使う思考法の中に数学の芽はひそんでいるのだ。そういう、基本的なところを、小説でも読むように楽しめるようにしたのが本書だとおもう。一箇所どうしても、記述のまちがいではないかとおもう点があるが、これは作者に文句をいっても仕方ないことだろう(作者はそういう指摘はご自分の著書でどうぞといっているから)。自分でその点を考慮して読めば、ほぼ明解である。技術者として、数学を実際の現場で使って来た経験が、より現実的な形で示されており、共感を覚えた。

2004/11/05(金) 07:41

★和田秀樹『公立小中高から東大に入る本』幻冬社文庫 \533

 地方の進学校出身のわたしには、高校当時はやはり東大というとはるかかなたに聳える高峰のように感じられた。先輩や同級生にも何人も東大へ合格した人はいるし、親しい友人で東大へ進学したものもいる。そんなこともあって、東大への幻想も次第に取れては来たが、やはり東大コンプレックスみたいなものが自分の中にあることは素直に感じる。東大生にもピンからキリまでいることなど、当たり前に知ってはいるが、幻想はなかなか取り去れない。東大の教養学部のある駒場には、小学校の頃、大学のすぐ近くに住んでいた伯母さんのところにときどき遊びに来ていたので、大学構内で何度か遊んだ記憶がある。その当時は、パイロットになることを夢見ていたので、大学は余り興味がなかった。東大などを意識し始めたのは、やはり高校へ入ってからだったとおもう。地方の公立高校からは、たしかに東大は遠いところに見えた。大学を意識しはじめたときには、東大がお役人になるにはいい大学だということは知っていたが、そういう方面には全く興味のなかった自分には、物理の研究で有名な京都大学の方に惹かれるものがあった。ただ、会津からは京都も余りに遠い(幕末には会津も京都でだいぶお世話になったが)。

 近年、母校からの東大へ進学する生徒がめっきり減ってしまったようだ。都会へのあこがれなどなくなってしまっている現在、進学意欲もかなり落ちているのだろう。この本にもそういう背景は書いてある。東大に入る(合格する)というのを目標にしてない公立学校の生徒やその父母にも、本の内容は参考になる。特段変わった方法など何も書いてないし、なるほどなーということがふつうに書いてあるだけだ。東大を含めた難関大学を受験するのを目的に、小さい頃からの高校生までの幅広い内容について丁寧に説明してあるのがいい。和田氏は理想論などは語らないし、現実に即して受験のノウハウを自分で実践し、それを懇切丁寧に公開してゆくというスタンスに立って、種々の本を書いている。そういうところに好感がもてるのか、氏の本はけっこうよく読むし、自分にも役立つことが多い。文庫本になって、読みやすくもなり、1日であっという間に読んでしまった。

2004/10/19(火) 08:02

★養老猛司・甲野善紀『古武術の発見』光文社知恵の森文庫 \571

 武術などというのに、ほとんど関心もなかったというのが本当のところだ。最近、養老氏がらみの本をまとめ買いしたときに、この文庫本も買った。何かむずかしそうな内容の本におもえたが、読みはじめたら「こういう世界もあったのだ!」という驚きとそれを現代においても実践している方(甲野氏)がおられることに、さらにびっくりした。サブタイトルに「日本人にとって「身体」とは何か」とある。現代の武術(剣道・柔道など)とは、身体の使い方そのものがまったく異質な武術が、日本に存在していたこと、それをオリジナルな要素を付け加えながら現代に蘇らせようと努力されている甲野氏の姿勢に毅然としてものを感じる。養老氏との対話でほぼ全編が構成されているが、解剖学者として身体への独自の視点をもっている養老氏との話で、甲野氏の業(わざ)のすごさが一段と引き出されていると感じた。この世界もまた、じつに奥深いものをもっている。古武術あなどるべからず。

2004/10/18(月) 12:45

★司馬遼太郎『この国のかたち 二』文春文庫 \476

 下記のシリーズの第二巻目。「26天領と藩領」は、江戸幕府がふつうにイメージされているほど経済的に豊かではなかったことがわかり、参考になる。「32金」は、東洋ではいわゆる貴金属としての金が近年に至るまでそれほど重要視されてはいなかったという面白い見解で、「玉(ぎょく)」が珍重されたことが書いてある。これは、中近東から西洋にかけての「金重視」→「錬金術の発達」→「化学への応用」と見てゆくと、歴史的な側面だけでなく、科学全体におよぼす影響にも結びついて卓見である。こういう視点から議論している科学史は、まず見られない。これも、丹念に調べてみるとおもわぬ発見をもたらすかもしれない視点である。「48ヒノキとスギ」もなるほどと感じられるないようである。いずれの文章も、達意の文章で、とても真似できないなーとおもうが、文章で読者の思考の方向をあちこちへ移動させる書き方をしているのはさすがである。それも、何気ない世間話的な言い回しをしながら。わたしなど、文章書きにはまったく自信がないので、こういう上手さにはほれぼれしてしまう。短文の積み重ねて書く手法しか知らないわたしには、文章の書き方の手本となるものがじつに多い。もちろん、マネできることなどはないのだが。相当な資料の読み込みと深い思索に基づいて書いているのがわかる。いわゆる「博学」の士とは異なる、素晴らしい方だったのだな、と素直に感じる。

2004/10/12(火) 09:48

★司馬遼太郎『この国のかたち 一』文春文庫 \476

 著者名の「遼」がちがっているがご了承を。さて、司馬氏の著作は『最後の将軍』とか『坂の上の雲』などわずかしか読んでいない。文科系の人には相当な人気のある作家であろうが、わたしにはそういうのはあまり関係ない。最近では、小説ものもほとんど読まないから、当然のように氏の著作も同じである。職場の図書室で何気なく『この国のかたち 二』を借りて読んでみたら意外なほど共感を覚えた。エッセーみたいなので、文章の長さも疲れない。興味をもって、「一(いち)」も探したがない。そこで、本屋さんを覗いたら、「一」〜「六」まで揃っていたので、全部まとめ買いしてしまった。値段が安いので、助かった。今、「二」の後半まで読んだ。司馬氏といえば、「司馬史観」などといわれるくらい、歴史ものが多い。わたしの歴史のレベルはほぼ中学生で止まっている。だから、読んではじめて知る事柄も多い。4「”統帥権”無限性」では「理」の意味がわかった。これはわたしの専門である”物理”にも関係する。「15若衆と械闘」「19谷の国」「24苗字と姓」などは、とくに興味を惹かれた。読んでどうこうする・なる、わけでもないが、ただ読むだけでも「ヘェー」という感じになることが多く、つい時間があるとトイレなどでも読んでいる。ストーリーを追う必要もないし、一編一編独立して読めるのがいい。これでしばらくは楽しめそうである。

2004/10/09(土) 19:49

★養老猛司『からだの見方』ちくま文庫 \640

 この本もいつもズボンのポケットにつっこんでおいて、ちょっとしたスキマ時間に読んでいて、今朝読み終えた。医学上のこと、とくに氏の解剖学者としての業績などには、わたしは全くわからない。素人のわたしが読んで面白いところだけ、つまみ食いするだけである。当然のことながら、内容がピンと来ないものもある。そんなことは気にしていない。わたしにとって真似るべきところは、氏が学生に対して本音で教えているという真摯な姿勢である。わかるところはわかる。わからないことはわからないとはっきりいい切ってしまう勇気である。自分でもわかりもしないことを、さもわかったような顔をして話している人が多い(わたしもその一員)風潮にあって、こういう姿勢は見事である。たしかに、養老氏の表現の仕方にきつい感じをもつ人もあろうかとおもうが、わたしはこのようにきちんというべきことはいう姿勢に共感する。この本を読んで、自分も「我が身体」をそれほどは大切にしてなかったことを反省した。それだけでも読んだ甲斐があろうというものだ。次の本もまた養老氏の本である。読めるだけ読んで、そして忘れてしまう。それでいい。

2004/10/09(土) 19:36

★養老猛司『まともな人』中公新書 \700

 すでに1週間ばかり前に読んだのだが、担当しているクラスの生徒にちょっとした問題が発生して、その指導に時間を取られ、メモを取り損ねていた。この本の題名ではないが、「まともな人(大人も子どももふくめて)」はじつに少ない。わたし自身も人様に偉そうには言えそうにない。もう時間もたって、内容をかなり忘れてしまっているが、目次を見れば、読んだ内容はすぐにおもいだす。本当に「まともな」ことが書いてある。ただし、どの人もこの内容を「まとも」と感じるかは別であろう。わたしにはまともに感じたというだけである。ネット上で検索してみると、養老氏の訳本や著書に対する批判も多々あるようで、読んでなるほどというのもある。でも、そういうのは全く気にならない。自分が気に入ればそれでいいのである。専門的な内容についての研究などの間違いならば、それはいずれ誰かが正すだろう。そうでない、エッセーや訳本などでいちいち細かい揚げ足取りのような真似をしても、そんなのは単なる外野のスネ男くんでしかない。氏の本も手に入るだけは買ってしまったので、今、読み続けている。どうも、これが、わたしの読書パタンなのだろう。

2004/09/26(日) 07:30

★竹内淳『高校数学でわかるマックスウェル方程式』講談社ブルーバックス \860

 自宅の近くにある本屋さんはとてもいい。故郷にある実家の周辺には本屋さんはまったくないので、本屋さんが近くにあるところに住みたかった。現実にそういう環境に住んでみると、想像通りいい。別に本を買うつもりでなくても、つい覗いて、わけもなく買ってしまうというのも、いい。この本も一昨日、ブラーと立ち寄ったときにパラパラとめくり、面白そうなので買ってしまった。すぐに読んでみた。なるほど、書名に偽りなし。じつにていねいに電磁気の基本であるマックスウェル方程式を導き、その歴史的背景もしっかりと書いてあり、感銘した。電磁気学の専門書は何冊も読んだが、じつをいうと、電磁気についてはどうもわかっていなかったようにおもえる。方程式の意味や計算などはできる(きびしい訓練は一応しているので)が、他人にわかりやすく説明できるか、というレベルでは満足のいくものではなかった。多くの理系の人と同様に(わたしの憶測かも知れないが、電磁気をきっちりと理解している人はどうも少ないように感じている)、何かボンヤリとしたイメージが長年つづいていた。それが、わずか200ページほどのこの本を読んで、何がわかっていなかったのかが判然とした。のどに引っかかっていたものが、きれいに取れた感じがした。原因は、高校時代にしっかり理解しておくべき、基礎の基礎をないがしろにしていたせいだ。自分ではわかっているとおもい込んでいた部分が、しっかり理解できないで、その上に砂上の楼閣を築いてわかった気になっていたのだ。はずかしいが、今わかったので、むしろ幸運だった(これに気づかないで死んでいたら、もっと残念だったろう)。どんなところかは省略するが、それに気づいたら、専門書で釈然としなかった部分がまるで氷が融けるようにスーとわかってしまった。面白いものである。やはり、わからないときは、原点にもどりしっかり復習するに尽きる。著者に感謝したい。

 このブルーバックスシリーズは高校生の頃から、なけなしの小遣いをはたいてはよく買って読んでいる。わたしは、本によく落書きをするので、中学時代くらいからは図書館の本は苦手である。本を集める趣味はないが、一応自分で買って読むようにしている。もちろん、全部最後まで読む本は半分以下だろう。それでも、手元においておくと、ふとした機会に読んでみようという気持ちになることもあり、なかなか廃棄処分できないでいる。辰巳渚『「捨てる!」技術』宝島新書なども以前読んでみたが、どうもわたしは本や趣味関係のものについては実践できないタイプらしい。このブルーバックスは買った本のシリーズでは一番多い。高校生の頃に買ったものも残っていて、もう色が変色している。でも、捨てられない。専門書の合間に読んで、ずいぶん助けられたが、今回も同様だ。3年生の物理の授業でも、電磁気を今やっている。彼らに上手に教えて上げられればいいのだが、わたしは頼りない教員だから、あぶないなー。自分の実力の範囲でやるしかない。

2004/09/23(木) 15:35

★養老猛司『ヒトの見方』ちくま文庫 \720

 養老氏の著作は昨年『バカの壁』で大ブレークしたので、あちこちの出版社から文庫本化されたりして、出るようになった。この本は、氏のほとんど初期の本であり、内容的にはご専門の「解剖学」に関する専門的なものも載っている。どうも、わたしの読書のパタンは面白そうな著者に出会うと、その著者の本をとっかえひっかえ集めては読んでいるみたいだ。養老氏の本も出ているものはかなり集めてしまった。以前に読んだものもあるが、文庫本になるとポケットに入れて持ち歩けて便利なためか、すぐに買ってしまう。氏の趣味である「虫集め」には、残念ながらわたしはまったく関心がないため、ほとんど流し読みで、しかも面白いとはおもわない。これは、他人の趣味など、同好の士以外にはわからないのだから仕方ない(わたしの趣味で書いているFlightSimulator関連のものも同じだ)。わたしは、氏の短いエッセーみたいな文章が好きなので、どの年代からあういう文章を書いているのか?と興味をもって読んでみているのだが、どうもこの最初の著作から現在の雰囲気とまったく同じようで、これはすごいなとほとほと感心している。まだ、何冊もあるので、楽しみたい。

 関係ないが、本屋さんで「養老教授に物申す」みたいな本が出ており、やっぱりな、という感じをもった。野口悠紀雄氏の『超勉強法』がヒットしたときにも、アルベルト湯川という人の『「超」勉強法「超」批判』が出た。この類の本はほとんど無視されるのだが、それでも出る。今回も出てきた。ただ、わたしには意味はないようにおもえる。著者の養老氏自身が「自分の言っていることの8割ほどは、自分自身でも本当かなと思っている」と素直に書かれている。何も正解はこれだ、などと言っている訳でもないのに、細かいことで批判しても虚しい。そういう本は批判というより、「他人の褌で相撲を取る」みたいな形になり、あまりかっこいいとはおもえない。まあ、何を書こうが書く人の勝手かもしれないが…。

 この2週間ほどは、文化祭の準備などで疲れていたせいか、どうも読書には気持ちが向かなかった。今も、ちょっと疲れ気味。これは、どうにも仕方ない。

2004/09/06(月) 13:27

★ローレンス・M・クラウス:青木薫訳『物理学者はマルがお好き』ハヤカワ文庫 \800

 96年4月に講談社から『物理の超発想ー天才たちの頭をのぞく』として刊行された本を文庫本にしたもので、本屋で運良く見つけ、迷うことなく買った。文庫化に当たっては再度訳しなおしたとあとがきにはある。講談社から出た本は買いそびれてしまい、図書館で借りて読んだ。英語の原題は「Fear of Physics」であるから、「物理学への恐怖感」と訳せる。サブタイトルも「A Guide for the Perplexed」となっているので、これも「込み入った事柄をどうするかのてびき」みたいな意味である。物理の発想法について書いた秀作である。解説に佐藤文隆氏が書いているように「物事を数字化してみる」「表面上違う現象を同じ原理でみる」「物事の対称性をつねに意識する」などが取り上げられており、物理の読み物としてはこれ以上いうことはない。もちろん、一般向けの本なので、数式や計算などはほとんどない。文庫本になったことで、ポケットに気軽に入れておいて読めるので、じつに助かる。こういういい本を採掘してきて、新しく蘇らせる早川書房さんにはいつも感謝している。この本も、もう図書館でしか借りられないものと残念で仕方なかったが、こうして手元におけるようになり、とてもうれしい。著者のローレンス・M・クラウス氏は専門の素粒子物理学の方面でも実績のある仕事をされている方で、ここで書かれていることは、氏の体験からにじみでたもので、説得力がある。ポアンカレの『科学と方法』や中谷宇吉郎氏の『科学の方法』など優れた本もあるが、現代的に書かれたものは少ないので、この本は貴重である。こういう本を物理を学ぶ人だけでなく、一般の人にもぜひ勧めたい。わからないところはどんどん飛ばして、一読するだけでも、じつに心地よい読後感が味わえる。いい再会ができた。

2004/08/31(火) 10:09

★養老猛司&長谷川眞理子『男学・女学』読売新聞社 \1000

 夏休み前に職場の図書館で借りた。「男性」とか「女性」とかの意識に乏しいわたしは、当然のことながら「男女の問題」にも疎い。もう、この歳では手遅れである。だとおもいながらも、やはり気になるのも確か。ちょうど、ときどき読んでいる養老氏と長谷川女史の書かれた本があったので、読んでみる気になった。対話論ではない。前半と最後を養老氏が、後半を長谷川女史が書いている。同じ男性の養老氏の話も面白いが、長谷川女史の話の中に興味ある文があった。彼女がいうに、男女の性のちがいよりも、「理系的思考と文系的思考」のちがいにショックをうけたそうな。それは次のように語られている。
「理系的思考では、複雑な事実はなるべく図表化しようとしますが、文系的思考では、文章で描くことを重視するようです。理系的思考では、事実を重視しますが、文系的思考では、個人的解釈の方に重点がおかれるようです。理系的思考では、説明がきれいにつくと喜びますが、文系的思考では、きれいに説明がつくとうさん臭いと思われることが多いようです。また、理系的思考では、仮説などはすぐにも捨てられるものと考えていますが、文系的思考では、自分の仮説とは信念をもって守り抜くもののようです。私の経験の範囲では、これらの違いは男女にかかわらず、文系か理系かによって大きく異なるように思うのですが…。」
という箇所である。これは、わたしも似た印象をもっている。ただ、理系・文系という色分けが何をもってできるのか、わたしにはよくわからない。単なる訓練による思考パタンの修得状況のちがいでしかないような気もするのだ。もちろん、どちらにも優劣などつけることはできない。ただちがっているというだけのことでしかない。

2004/08/30(月) 07:51

★城繁幸『内側から見た富士通(「成果主義」の崩壊)』光文社 \952

 いつも帰宅時に降りる駅のすぐ近くにお気に入りの本屋さんがある。そこで、おもいもかけなかった本が、文庫本になって出版されたのを見つけ、当然のこと買った。時間もあったので、もう少しぶらつこうと見ていて、手に取ったのがこの本である。天下の富士通に何が…とちょっと読んでみて、「なるほど」と合点がいった。このところ富士通の製品(パソコン、周辺機器など)には泣かされることが多い(つまり故障が頻発する)ので、一体どうなっているのか?とおもっていたら、内情はとんでもないことになっていたのだ。アメリカの一部でおこなわれていた「成果主義の評価」を猿真似同然に日本に持ち込んだのが富士通だが、もう実態はこれの運用がひどくて会社の内部はぐちゃぐちゃになっているという。これでは、製品にも影響は必至である。この本はいわゆる内部告発に近いものだが、ネット上ではこういう話はとっくに出ていた。人事部門にいた著者がついこの間までの現状を書いている。「これでは、富士通に未来はないな」と感じた。これだけの大企業になると、もう、上層部はほとんど省庁の官僚たちとほとんど同じ感覚でいるみたいだ。「いい会社だったのに…」と残念におもう。わたしの故郷である会津にも富士通の大きな工場があったが、今はない。ここに書いてあることがそのまま事実ではないかもしれないが、実感としてはほとんど的を得ているだろう。まだ、立ち直れるならここで踏ん張ってほしいという気持ちがする。元々はすばらしい会社だったのだから…。「成果主義」なんてわけのわからんものを入れる前は。

2004/08/26(木) 15:36

★堀忠雄『快適睡眠のすすめ』岩波新書 \780

 職場の図書館にあったものを借りて読んだ。自分の睡眠のスタイルを検証しながら読んでいたので、読み終えるのにけっこう時間がかかった。しかし、その分、内容はじつによくわかった。昼過ぎになるとどうしても眠くなってしまう原因も、人間には起きているときにも何度か眠くなるリズムがあり、それが一番強くでる時間が14:00前後であるというのは、自分の経験からも納得できた。そのほか、睡眠に係わるいろいろな役立つ知識が書いてあり、とても参考になった。「日本でも新しい形のシエスタ(昼寝)を」というかんがえには賛同をおぼえた。普段の睡眠時間も少ないほうのわたしにもできそうな上手な睡眠法を工夫してみようという気持ちになっている。人生の1/3は寝ている。この時間を大切にしてゆきたい。

2004/08/26(木) 07:49

★土屋賢二『ソクラテスの口説き方』文春文庫 \467

 著者自身がこの文庫本のまえがきに書いているように、内容は週刊文春の連載コラム「棚から哲学」にのせたコラムをまとめたものである。ポケットにいれておいて、電車の中などで暇つぶしに読む本なので、内容といってもとくにない。ときどき笑えるものもあるが、わたしのようにユーモアの何たるかを解していないものには、何がおかしいのかわからないものも少なからずある。ただ、3割くらいは笑えるのがせめてもの救いだ。これを読んでも、何も得るところはないのが、この本の最大の特徴かもしれない。こういう本はめったにないので、ひょっとすると貴重な本なのかなと錯覚してしまうことがある。危険なことだ。こんなことばっかり書いていて、大学教授が務まるのだから、不思議におもう。おそらく、優れた哲学の先生なのかもしれない。この文庫本で、購入した文庫本(の形になった著者の本)は終わりだ。新刊で出ているのを、本屋さんで見かけたが、もちろん買わない。安いのが魅力なので、わざわざ高いお金を出してまで、買って読もうとはおもわないのだ。これを読み終えてしまったので、ポケットに入れて読む本の選定が大変だ。それに、何となく一抹のさびしさがあるのはどういうわけか。「迷著」とはこういうのをいうのかもしれない。

2004/08/23(月) 14:55

★橋本治『「わからない」という方法』集英社新書 \700

 養老猛司氏の本の中だったかとおもうのだが、どこかにこの本に触れた箇所があり、うっすらと記憶に残っていた。飲みに出かけ、ちょっと本屋さんに寄った際に、この本が目に留まり、その記憶が蘇った。気がつくと買っていた。最近買い込みの本が多くて溜まっているから、あとで読もうかともおもったが、2日ほどで読んでみた。「わからない」という状況を一つの方法として捉えなおせば、それは相当に強力な方法論になることを知った。「わからない」とことばを、これだけ自信をもっていえる人は、ほとんどいないのをかんがえてみると、著者の独自性が返って浮き彫りになる。知ったかぶりをするのが世の中での常。こういう考え方・方法論があるのだというのをわかっただけで、勇気づけられた。しかし、養老氏のどの本に出ていたのかもぼんやりしてしまっており、まったく自分の記憶の悪さには泣かされる。

2004/08/19(木) 10:29

★ガブリエル・ウォーカー:渡会圭子訳『スノーボール・アース』早川書房 \1900

 地球46億年の歴史の中で、約6億年前に突然のように多細胞生物が爆発的に増える。そのキッカケをつくったのが、この本の主題でもある「地球全凍結仮説」だという。今年のような猛暑の夏にちょうどいい本だった。こういう壮大な仮説が唱えられていることは、それとなく知ってはいたが、今まで触手が動かなかった。題名がそのものズバリのこの本を本屋さんで見かけたときも、じつはべつの本を探していた。それが見つからなかったため、近くにあった手ごろなこの本をつい買ってしまった。そして、読みはじめたら、けっこうおもしろくて、ぐいぐい読み進めた。こういう壮大な仮説は実証するのには時間がかかるだろうが、読んで興味を喚起させられた。世界の各地で現在、その実証のための研究がすすんでいるとのことで、どういう結論がでるのか、たのしみである。地質学的な実証はなかなかむずかしいものが多い。この仮説の実証にも決定的なものはまだ出ていないみたいだ。しかし、この仮説を支持する地質学者・地球科学者は確実に増えている。地球全体が凍りついていたという、なかなか信じがたいような仮説は、その証拠を地球上のあちこちに残しているらしいのだ。何とも不思議で、今後も興味をもって見守りたいという気持ちでいる。暑い中での読書であったけれど、こういう内容なら十分に読める。

2004/08/09(月) 16:25

★養老猛司『運のつき』マガジンハウス \1000

 養老氏の本もけっこう読んでいる。この本は、本屋さんで偶然1冊だけ見つけ買った。まだ、今年の5月に出た本なので、一番あたらしい本かもしれない。今までの本とちがって、著者のいろいろな本の根幹をなす、彼自身の生い立ちから思想哲学的な部分に焦点がおかれているので、著者自身が「ことばでうまく説明できないが」という部分があるくらいにむずかしい内容も多い。わたしは、山本義隆氏が大仏次郎賞を受賞したときに、選考委員だった養老氏が受賞には賛成だが、「コメントできない」と言っていたことが、気になっていた。しかし、この本にその真意が書いてあり、よくわかった。わたしの以前に書いたことも訂正しなければならない。養老氏のかんがえ方は、むずかしいかもしれないが、わたしには同感できる。『バカの壁』などで一躍ベストセラー作家になってしまったが、1985年にはじめて出た『ヒトの見方』筑摩書房(今はちくま文庫)以来、時折手にとって読みついできた著者なので、今にしてそれらの本の内実を知ったことを、読みが甘かったと反省することしきり。ただ「運のつき」ということばは、じつに的確でいい。一気に読めた。

2004/08/09(月) 16:10

★岩崎元郎『登山不適格者』NHK出版 \680

 今年の夏山に出発する前に、本屋さんで見つけ、買って読み始めた。読み終える前に山に出かけてしまった。下山後、自宅にもどってボーっとしているときに、一気に読んだ。「山は危険か?」「日本人の登山意識」「気象と装備」「食料」「パーティー」「山行」「読図」「計画」「山小屋」「健康と危機管理」「「不適格」の烙印は誰が押すのか?」の計10章でできている。山関係の本も最近ではほとんど読まないから、ひさしぶりである。雑誌も定期的にとっていたが、今では増える一方なので、止めた。必要な情報がほしいときだけ立ち読みである。この本は気になって買ってみた。内容は、わたし自身が考えていることとダブる部分も多かった。しかし、自分自身が中高年になってみると、そうそう「中高年登山者」の悪口ばかりもいっていられない。我が身に照らし合わせて、反省改善すべきところは実際に取り入れていこうとおもいながら読んだ。海外への登山も少し視野に入ってきているので、健康管理とあわせて登山技術の更なるレベルアップを図っていきたい。いい刺激になった。

2004/07/26(月) 11:56

★養老猛司『あなたの脳にはクセがある』中公文庫 \667

 『プロフェッショナル英和辞典 SPED TERRA 物質・工学編』小学館というのを買いに出かけた際に、文庫本コーナーで見つけて一緒に買った。副題が「都市主義の限界」とある。全部で22編の論考があり、どれもかんがえさせられる内容のものだ。「都市主義」の限界、「少子化」は問題なのか、「考えているかどうか」を考える、この国はかたち、方法としての言葉、などの各編は何度か読み返すほどだった。養老氏の物事の見方・考え方の基本がわかりやすく書いてあるが、それでも、わたしが真似してやれるほど、甘くはない。解剖という実際の作業を通して、独自に身につけられた視点が多く、そういう意味では、きわめて独創性の高い本だろう。こういう物事の見方ができる人は稀である。突き放したような表現の中に、突き詰めた思考のあとがひしひしと感じられるすばらしい本である。出合えてよかった。

2004/07/19(月) 07:14

★土屋賢二『棚から哲学』文春文庫 \457

 暑さが日増しにきびしくなるにつれて、どんどん読書力が落ちている。別にそれを上げようともおもわないが、汗まみれでは本を読むのにも苦労することは必至。この本にも汗が何度も滴り落ちて、あちこちのページがしわになってしまった。全部で68本のエッセイが載せてあり、どれもそれなりに面白いが、全然面白くないものも当然ある。わたしはユーモアを解しない人間のようで、土屋氏の本を読んで、少しはそういう感覚も磨かねばなるまい、とおもい込み、何冊も読んでみている。が、まったく効果なしで、ユーモアというより、ひねくれ根性が一段とパワーアップしてしまった感がある。それでなくても、ふだんから理屈っぽいほうなので、彼の論法に輪をかけるようにさらに屁理屈をかんがえたりしてしまう。ただ、わたしが「内気で内向的で、消極的ではにかみ屋」なために、こういう屁理屈を余り人前でいわない(いえない)ため、それなりに生活できているのかと、読んでふと気がついた。彼の本は文庫本でしか読まないし、しかも、BOOK OFFなどを利用しているせいで、さらに安い値段で読んでいる。どこがどう面白いのかは、自分でもよくわからない。多分面白くて読んでいるわけではないような気も少しはする。正直に書けば、手持ち無沙汰のときにポケットからちょっと出して、すぐに1編読めるところがいいのかもしれない。再読などまずしそうにも、できない本なので、読みっぱなしもいいところである。

 そうそう、「わたしの文章作法」というところに、わたしの好きなサマセット・モームのことばが出ていた。「よい文章を書く秘訣は三つある。だが、だれもそれを知らない」というものだ。文章作法などまったく知らないわたしは、このことばに共感せざるを得ない。そうでなかったら、こんな駄文を書く度胸さえ、出てこない。

2004/07/03(土) 11:37

★養老孟司『死の壁』新潮新書 \740

 一昨日、仕事の帰りにちょっと立ち寄った本屋さんで買った。養老氏の本は、けっこう読んでいるから、おおよその内容は予想できたが、どんな語り口で書いてあるのか興味があったので、手に取った。昨日は、人間ドックに出かけた。検査の合間に読もうと持っていった。検査は午前中に終わり、午後の問診まで時間がある。そこで、一気に読んでみた。とても読みやすく書いてあるので、もしやとおもい、あとがきをみたら、案の定「口述」したものを文章に起こしたものだった。内容は、『バカの壁』の続編という触れ込みになっている通り、同書で書き残したものを、語り尽くしたという感じだ。題名は「死」をテーマにしてもので、少し固いイメージはあるが、まったくそんなことはない。当たり前のことを淡々と説いている姿勢はさすがである。「生きている」と「死」との境は混沌としていて、境界線など引けない。そういうことをしっかりと述べている。多くの死体を解剖してきた氏の経験にして、語れるものになっている。説得力がある。この本の最後のほうに書いてある「人間悩むのは当たり前、むしろ悩まないのがバカである」というのは、さらっと書いてあるが、まったくその通りだとおもう。

 昨夜、人間ドックの終了を祝って、飲み会をした。その際に、もう読んでしまったこの本を山路さんにあげてしまった(べつに彼が欲しがったわけじゃないから、勝手に押し付けたが正しいか)。それほど、本に執着があるほうではないから、読み終えて、内容がわかったものは、どんどん手放すことにしている。それでも、後から際限なく本は追いかけてくるから怖い。わたしの手元にある本など、家族のものも読まないし、取っておくほど大切な本など、両手で持てるほどだろう。いずれお迎えが来るまでには、早々に処分しておくのがいいのかもしれない。

2004/06/26(土) 18:14

★永 六輔『明るい話は深く、重い話は軽く』知恵の森文庫 \495

 ひさしぶりに自宅の近くにある本屋さんで本を数冊買った。レジで清算するために並んでいたら、新刊文庫の展示コーナーみたいなところにこの本があり、つい手にしてしまった。以前に永氏の『大往生』岩波新書を読んで、けっこう泣けたので、ひょっとするとこの本もいいんじゃないかな、とおもわず追加で買うことになってしまった。TBS「土曜ワイドラジオ東京」で放送したものから、話された内容でこれはというところを活字にしたもの。話しことばなので、すいすい読んだが、本の題名通りに軽くは書いてあるが、深い。この本で「田舎」「ふるさと」「故郷」の意味のちがいをはじめて知った。自分の感覚で使っていたが、じつはかなり論理的なちがいがあるようで、びっくりした。これからは気をつけて使いたい。ことばは、どのことばでも本当に奥が深い。口が軽くて失敗ばかりしているわたしには、耳の痛い内容も多く、一々反省させられた、がおそらくその場だけだろう。

 共感できるところも当然あるが、これは著者の思い過ごしとおもえるところも多々あった。しかし、何でも「ごもっとも」が一番怖いから、バランスとしてはいいところだろう。わたしが子どもの頃見ていたTVショーの裏話などは、この歳になってはじめて「そうだったのか」と知った。いい本に出合えた。

2004/06/26(土) 17:52

★土屋賢二『汝みずからを笑え』文春文庫 \476

 またしても、土屋氏の本である。いつも、文庫本をズボンのポケットに入れて持ち歩いている。この本は、前作・前々作より値段が若干高いので、その分少しだけ厚い。中身は濃いわけではないが。この本、先週の週末に飲み会に行った際、坐るのにじゃまなので、ポケットから出してザックの脇においたのがいけなかった。翌朝、ポケットに手を入れたら、本は消えていた。あと、10ページほど残っており、もうちょい楽しめたかなーとおもうと本当に悔しい。なくなると、それまで大した本だとはまったくおもっていなかったのが、妙に惜しい気がしてくる。この1週間何となく気になって仕方なかった。

 昨晩、教科の歓送迎会があった。少し時間があったので、会場近くの最近ではまったく行ってない本屋さんを覗いてみた。そうしたら、何とこの本が売っていた(ほとんどの本屋さんでは彼の本はたまにしかない。売れているわけではないから、発行部数が少ないのだろうか)。今更買って読み直すのも気が乗らないなーとはおもいつつ、値段も安いから買っておくか、とレジへ。本屋さんから出て、すぐに残っていた部分を読んで、一応完読。解説を書いていた土屋氏の助手の方の文章が、本人のものより面白いのはどういうわけか。素直に笑えるエッセイが多く、気疲れのした仕事あとには最適の本だとわたし個人にはおもえる。

2004/06/08(火) 13:23

★土屋賢二『ツチヤの軽はずみ』文春文庫 \448

 ずいぶん長い間、この日誌に本が書けなかったが、もちろん何も読んでなかったわけではない(などと一応言い訳)。上記のことわりにもある通り、1冊きちんと読んだものを載せることにしているためだ(そうだ、そうだ!いいぞ!)。などと書いてみたが、じつは、本当は、あまり読んでなかったのである。というより、読書の時間よりもっと面白いことがあって、自宅に戻ると、食事もそこそこにパソコンである作業をしていたためである。べつに、いやらしいサイトを覗いていたわけでもない。わたしの趣味の一つであるFlightSimulatorに関する重大な作業に没頭していたからだ。総日数20日ほど。昨晩、やっと問題の箇所を発見。無事、その作業を終えた。ものすごく充実していた。読書もおもしろいが、そういうソフトいじりはもっと面白い。そんな訳で、通勤時に読んでいたこの本をようやく読み終えた。本全体が、ユーモアエッセーの集まりなので、どこでもそれなりに面白いが、出来不出来はある。笑えるものはじつに楽しいが、そうでない駄作もある。これは、べつに作者のせいではない。わたしの受け取る感覚と作者のそれが微妙にずれているせいだろう。それでいいとおもう。誰でもが面白い文章なんて、返って気味がわるい。自分がいいとおもったものがあるだけで、読んだ甲斐がある。

2004/05/19(水) 07:45

★土屋賢二『人間は笑う葦である』文春文庫 \448

 一日の仕事を終えて帰宅するときは、大抵疲れている。ときどきは飲みにも行きたいが、毎日では返って疲れてしまう。帰りの電車はそれほど混んでいないから、仕事のあった日の帰宅の電車の中では、決まった本を読む。土屋氏の本は、気疲れしたときでもスーと読めるので、いつもポケット入れている。帰りの電車の中でしか読まないが。「もしかしたらわたしは自由でないかもしれない」「百発百中の予測」「不死の薬」「ナンセンスな疑いー「わたしってだれ?」って何?」「ユーモアのセンスとは何か」のユーモアエッセイが楽しめた。解説の「人間は笑うが葦ではない」を書いている森博嗣氏はわたしの好きな作家さんなので、これまたひねくれていていい。次の電車での読書もまた土屋氏のものにした。帰宅時だと、あまりに生真面目な本や無理に読もうとするような本だとつづかない。気に入った著者の本をのんびり読みながら帰宅するのが、一番の癒しかもしれない。

2004/05/15(土) 08:37

★藤森篤・桜井健雄・神谷直彦『なぜ彼らはプロペラ機を愛するのか?』笊カ庫 \680

 Reno Air Races(リノ・エアーレース)のことに興味があって、ネットでサイトをよく見ていた。久しぶりに本屋さんに寄った際、新刊文庫のところで、偶然この本を見つけた。マイナーな文庫なので、新聞広告などにはまったく載らない内容の本であるから、こういう偶然の出会いでしか会えない本である。内容は、おどろくべきことに、ちょうど興味をもって調べていた上記のエアーレースのことだった。著者たちはもう長い人で17年もこのレースを見に、毎年アメリカのリノに出かけているとのこと。プロペラ飛行機に魅せられてしまった男女たちの現場からの実況中継のようにレポートしている。わたしがこの手の本を読めば、夢中になるのは必至だ。もう、むさぼるように3回読んだ。飛行機の写真がまたすばらしい。うっとりするような機体のライン。この本を読んで、リノ行きの決意はどんどん強まるだけだ。定年後などと考えていたが、どうもそれまで我慢できるか自信がなくなってきた。頭の上をプロペラ機の限界と考えられる時速800km近くのスピードで何機もの飛行機がスピードを競い合う。それを頭上に見ながら、飛行機の姿を楽しむ。あ〜ぁ、想像しただけで、胸が痛くなる。実際のレースを見てみたい。

2004/05/09(日) 08:36

★野口悠紀雄『「超」英語法』講談社 \1500

 ここしばらくは、本のツマミ食い状態で、通して読むということをしなかった。その中で、興味をもって一気に読んだのがこの本だ。英語の勉強法というより、英語で何を学びたいかに焦点を絞ってあり、的確な内容だった。わたしも、英語は中学生の頃から好きであったが、本書の最後に書いてある「教科書丸暗記法」は、まったく同じ方法を取っていたので、共感した。語学はどんな年齢になっても、はじめるのに遅いということはない。とにかく長く続けることが大切といっているが、まさしくその通りだとおもう。何も英語(だけでなく外国語全般)をペラペラしゃべれるようになる必要はないが、相手の言っていることがスムースにわかれば、会話にそれがそのまま生かせると著者の考えは、経験に裏づけされており、納得できる。今や、インターネットで無料の英語教材はあふれている。その中でもVOA(Voice of America)やPBS(Public Broadcasting Service)などのインターネットラジオは、スクリプト(原稿)と音声の両方を見・聞きできるので、大変に便利だ。わたしもこの本に紹介されているのを知って、さっそく聞くようになった。これだけのものが、常時聞けるようになると、会話学校などへ出かける手間もいらず、生の英語がリアルタイムに聞けて、いい刺激になる。これからも、英語だけでなく、いろんな外国語を学んでみたいという気持ちが強くなった。この著者の本は、読んで力づけられる。

2004/04/27(火) 10:19

★吉田武『オイラーの贈物』ちくま学芸文庫 \1500

 この本は、すでに海鳴社という出版社から単行本で出たときに買い、何度か読んでいたが、数年前に出版社を変えて筑摩書房から文庫本として出版されたものである。電車の中などでポケットに入れておいて読むのにいいだろうな、と買いこんでおいたものだ。数学の本を横書きの文庫本という変わった形式で出した珍しい本だ。単行本で出たときの誤植などもきれいに訂正されているようで、とても読みやすかった。電車の中でしか読まないと決めていたので、500ページほどもあるこの厚い文庫本を読むのは大変であったが、ふつうの文庫本と同じで、片手で軽く持って読めるのは、大変に助かる。こういう本が増えてくるを望む。物理関係の本でも、こうした形式の本が本格的に出てくれば、今まではこの種の本は避けていた方々にも、多少は身近に購入できる環境ができるのではと期待している。老舗の筑摩書房からこうした理系の本がでることは珍しいのだが、こういう英断をしたことに敬意を表したい。文庫本にしては値段もけっこうするし、数式の印刷は大変でもあるかもしれないが、こういう地道な出版が、これからも求められるとおもう。文庫本にするには、文字を小さくすればいいというだけでは済まないいろいろな困難があるとおもう。とくに、こうした数学や物理などの分野の本は、数式が多数使われるため、どの出版社でも敬遠してきたのだろうが、この本がそういう分野の本でも立派に文庫本化できることを教えてくれた。こうした流れが、少しずつでも広がってくれることを願っている。

2004/04/21(水) 07:48

★土屋賢二『哲学者かく笑えり』講談社文庫 \495

 今年の初め頃に、この著者の文庫本を何冊か買い込んだので、逐次読んでいる。ユーモア哲学エッセイみたいな文章で、わたしには何となく面白い。この本では「所有の概念」「健康法の原理」「スポーツは有害である」「会議は暴れる」というエッセイが笑えた。ちょっとくどいところはあるのだが、こういう風にスパッといい切れたら気持ちがいいだろうな、というようなことをスパッと書いてある。「会議は暴れる」の中にある「会議の九割は、どこかで作られた原案をただ承認するだけのために開かれるが、これは責任を分散させて全員が責任者になり、その結果だれも責任をとらなくてもすむようにするためである。間違った決定を下してもだれも文句をいわれないのだから、間違い放題である。」という見解は、普段わたしが考えていることと完全に一致しており、正鵠を得たりという感じである。電車の中で、ちびちび読んでいたが、ときどき笑いがこみ上げてくるので、場所を選んで読む必要がある。この著者の本は、値段も手ごろで楽しめるから、気に入っている。

2004/04/17(土) 07:48

★苅谷剛彦『なぜ教育論争は不毛なのか…学力論争を超えて』中公新書ラクレ \760

 あまり教育関連の本は好きではないが、苅谷氏の本は、データがきちんと明示されており、冷静な分析をしておられるので、よく読む。文学的、精神的、印象的に語られる教育(わが国ではほとんどこれ)に、丹念にデータを調べ、その限界を意識しつつ、データに語らしめる手法は優れている。こういう手法を取る教育研究者は少ない。ほとんどが、精神論に行ってしまう。教育を文学的に捉えている関係者が多いのだろう。理系の人間が、教育関係の本をほとんどバカにして読まないのも、じつはこういう背景があるからだろう。お互いに基準がずれているのに気づかずに、議論しているケースがじつに多い。議論そのものがおかしいのだ。もちろんデータの提示、分析の根拠、その評価もきちんとしない。すべて印象で語る。これでは、不毛に決まっている。

 教育の元締めである省庁も「文部省」から「文部科学省」へ変わった。名前が変わっただけで、中身は同じだろうが、せめて「科学」と名前がくっついたくらいなのだから、種々の制度の見直し検討は、「科学的に」やってもらいたいものである。自分たちが進めた制度に不利なデータは隠蔽するような体質では、「文部科学省」の名前が泣くというものである。誰が、何を、どういう目的で、どうしたら、どういう結果になった、そしてその影響は、等々を具体的にきちんと示し、それを反省すべきところは国民にわかるようにきちんと説明して、その反省を受けて、改善案を提示していけば、教育政策もいくぶんかは明るい話題もでてくるのではとおもう。自分たちの考えた机上の空論を地方の都道府県教委に垂れ流すだけの時代はとうに終わった。

2004/04/17(土) 07:29

★吉本隆明『わたしの「戦争論」』ちくま文庫 \700

 田近伸和氏が吉本隆明氏にインタビューした内容を本にしたものである。これも本屋さんで偶然に手にしたもので、とくに意識して購入したものではない。吉本氏の本は何冊か読んでいるが、熱心な読者でもないし、いっていることでよくわからないことも多い。が、読んで感じるのは、自分の考えを率直に着飾ることなく述べているのには、共感を覚える。この「戦争論」で「いいも悪いもない、戦争自体がダメなんだ」ということを何度もいっているが、これは意味深く感じた。戦争時には人は精神的には意外に明るくなってしまうという体験談は、わたしの父にも聞いたことがある。最近、保守派(たぶんわたし自身もこちらに近いかもしれない)の言動が台頭しているが、こういう本でバランスをとることも大切かなと、偶然読むことになったのを、いい機会だったとおもっている。戦争はどの戦争でもそうだが、全然格好よくない。威勢よく、「わが国の威信…」などといっている連中は、決して戦争がはじまったら、最前線で戦うことはない。素直な気持ちで、戦争を語ったいい本だ。

2004/04/10(土) 07:19

★青木謙知=監修『最強のジェット戦闘機 世界の航空機1』講談社+α文庫 \1000

 現在、世界で使われている(予定もふくむ)38機種のジェット戦闘機が載せられている。わたしは、軍事力の増強を叫んだり、武器としての飛行機をどんどん作れとかいうつもりなど、さらさらないが、世界の現状を冷静に見たとき、まだまだ武器なしで国を維持していくことのむずかしさは感じる。武器としてのジェット戦闘機は、無駄な装飾などは返って不必要なので、最低限確実に使えるものとして、厳しい環境の中で作られる。そこに、「機能美」と呼ばれる機体の美が見えるようにおもう。これは、スポーツマンで鍛えに鍛えた人の肉体美にも同じことがいえるだろう。飛行機も人間のつくるものであり、平和時の飛行機はやはりどこかのんびりとした風貌になるというような、不思議な関係がある。

 わたしは、飛行機の本はじつによく読むので、あまりこのコーナーに上げても意味はないのだが、本当に平和を望むなら、軍事力というものはどういうものなのか、具体的にきちんと把握しておくことは大切だろう。そういうものを知ろうともしないで、「平和、平和、…」などと叫びまわっているのは、単なる口癖にしかすぎない、とわたしにはおもえる。ジェット戦闘機は、現代の武器の最先端である。が、人間の作るものに、完全はない。これほど、研究されて何度も試作しながら開発されたものでも、意外な弱点をもっていたりする。たった1発のライフルの弾丸でも撃墜されてしまう可能性もある。こういうことを日頃から研究しておくのも、平和につながるのではないか、と考えている。この本は写真入りなので、FSにインストールする機体を調べるためにも重宝している。じつは、そのために買ったのだが…。

2004/04/05(月) 11:23

★森口朗『授業の復権』新潮新書 \680

 もう1週間も前になるだろうか、メールを見たら、森口朗さんという方からメールが入っていた。あれ?誰かなと心当たりもなかったので、どうしようか迷ったが、読んでみた。わたしが、以前に書いた「・・・・」というページの『偏差値は子どもを救う』という本の著者の方からだった。今度、上記の本を出したので、読んでみてほしいという案内が書いてあった。この本が出版されたことは知らなかったし、現在はしばらくの間、本を買うのを控えよう(かなり積読本が増えたため)とおもっていた矢先だったので、どうしようか迷った。本屋さんに寄れば、すぐに買ってしまうだろうし、できるだけ本屋さんには近づかないつもりでいた(3ヶ月だけ)から。しかし、その数日後にどうしても用事があり、本屋さんの隣を通った際に、新書本のコーナーにこの本が3冊飾ってあったので、止む無く買ってしまった。メールの返信も書かなければ失礼になるので、とにかく読んでみることにした。1日で。

 「授業こそ学校の魂」というメインテーマに沿って、「仮説実験授業」「水道方式」「鍛える国語」「教育技術法則化運動」「百ます計算」「よのなか科」の6種の授業の達人たちについて取り上げてあった。わたしに関係するものは、仮説実験授業と水道方式であるが、これは、初任のときから取り組んでいたものなので、正直な感想では、ここに書いてあるほどうまくは行かないと感じた。両方とも授業をする教師の力量がどうしても関係してしまうのは、どの方法とも同じである。やはり宣伝文句のようにはいかないという現実を知る。仮説実験授業の板倉先生にも水道方式の遠山啓先生にも直接教えて頂いたこともあるが、授業をする教師が相当の勉強をして深い理解をもっていないと生徒の考えを深め、定着させることはできない。わたしの経験では、ふつうに教科書を使った授業の方がもっと容易い。百ます計算は、岸本先生の書かれた本に出ていたので、我が家の子供たちがまだ小さいとき(ということは、現在のように騒がれる10数年前のこと)に家庭でやっていた。子供たちは、面白がってタイムアップに必死になりながら、取り組んでいた。が、効果があったのかは、よくわからない。あくまでも頭の活性化を目的にするにはいいとおもう。よのなか科はよく藤原さんのHPも覗いてみているし、関連した本も読んだりしているが、よのなかにそれほど関心のない自分にはどう評価していいのか、判断材料がない。多分優れている…とおもうくらいだ。

 授業を復権(どうもこの表現は自分にはピンとこないが)させることで、学校が再生されるならば、それはそれで大変けっこうなことだと個人的にはおもう。しかし、学校(とくに都市部の公立学校)の復権は、もう時代の流れで無理ではないかと考えている。学生時代に読んだオルテガの『大衆の反逆』を読むと、こういう流れが起きてくることはもう1930年代に予測されている。これを逆行させることは本当に可能なのか、また、そうする必要が本当にあるのかはわからない。学校も社会の一つの制度であり、制度はかならず疲弊する。学校をまったく新しいものに変えてゆく方が現実的なのかもしれない。と個人的には考えている。

2004/03/31(水) 14:19

★新井喜美夫『日米開戦の真実…パールハーバーの陰謀』講談社+α新書 \840

 つい先日、TVで映画「パールハーバー」をやっていた。すでに、映画館で観たものなので、観る必要もあるまいとおもっていた。子供が先に風呂に入っていて、なかなか上がらない(最近とみに)ものだから、時間までちょっと観るかと観ていたら、映画館で観たときの記憶がかなり薄らいでいるのに気づく。さらに、悪いことに、飛行機(最初はヨーロッパ戦線のスピットファイアーやメッサーシュミットなど)の戦闘シーンが次々と出てくる。こうなると、もうわたしの意志では止められない。そのうちに、いよいよ真珠湾攻撃の場面になり、九七式攻撃機やゼロ戦がかなりリアルに出てきて、もうダメ。結局、最後まで観てしまい、風呂は一番最後に入る始末。アーァ、観なきゃよかったと後悔してもあとの祭りである。

 それにしても、飛行機云々はべつとして、なぜ日本がとても兵器量や物資的にも勝てそうにない「太平洋戦争」に突入したのか、どうしてその賭場口が真珠湾であったのか、は意外に知られていない。わたしもその例に漏れず多少の知識はあるものの、どうも断片的でしっくりこない。そこで、以前に買い込んでいたこの本をおもい出し、きちんと読んでみることにした。そして、ほぼその流れがわかった。そうだったのか…と改めて認識させられることが多く、こういう歴史認識はきちんともっていた方がたしかに役立つ。それと、旅行でハワイを訪れる日本人は毎年多数いるのに、真珠湾を訪れる観光客は、ほとんどいないと知り、愕然とした。ちなみに、わたしの父もハワイには行って来たが、しっかり真珠湾の記念館を見てきたといっていた。もちろん、わたしもハワイにはいずれ行くだろうが、そのときは、実際に見てくるつもりだ。

2004/03/31(水) 11:18

★大村はま/ 刈谷剛彦・夏子『教えることの復権』ちくま新書 \720

 昨年の3月出版されてすぐに買ったが、読まないで放っておいた。どうも今ひとつ気力がわかなかったからであろう。年が変わって、入試選抜の仕事も一段落したとき、ふっと読んでみる気になった。わたし自身、教員になって早26年。ひたすら走りつづけてきたが、気がつくと向こうには”定年”の文字もかすかに見えはじめた。そこまでたどり着けるかも自信はないけれど、一体自分は今まで何のためになぜ教えてきたのか?という疑問だけは強くなってきた。とくに「教える」ということの意味をほんとうは知らないで、ただ漫然と授業をしてきたのでは?と自問自答することも増えてきた。そんな気持ちが、この本を手に取らせたのかもしれない。

 読んで、強く反省させられた。わたしは「教えて」こなかった…。「教えている」とおもい込んでいただけだった。それは、自分自身ではっきりとわかった。この今年98歳になられる老教師の前では、何も言い訳できるものはない。はっきりしているのは、こんなわたしでも、もう来週からは新学期を迎え、生徒の前に立たなければならないこと。この歳になって、まだ未熟ですともいい難いが、事実は事実だ。初任にもどって、精一杯やってみるしかない。とても、「……つもりで云々」などといっている場合ではない。最後は、やはり「教師」といわれながら終わりたいから。

2004/03/23(火) 07:59

★童門冬二『江戸の財政改革』講談社文庫 \571

 江戸時代は完全な地方分権(「藩」とはまさに地方自治体)の時代で、現在のように中央政府である徳川幕府から国の補助や地方交付金などといった甘えた構造はなかった。本当に自前で何とかしなければ、その「藩」はつぶれてしまった。現在でこそ、「地方分権の時代」などととぼけたことをいっている人もいるが、そんなことはすでに過去に実際にあったことにすぎない。そのとき、どのように地方自治がおこなわれていたか、そのときのリーダーのあり方は、などなど興味はつきない。この本は、そういうことはまったく考えもしていないときに、偶然本屋さんで手にし、何の意識も持たずに買ってしまった。読みはじめたのも、寝床である。羽地朝秀、早川八郎左衛門、保科正之、松平定信、細川重賢、堀平太左衛門というあまりメジャーでない、改革家たちを取り上げている。しかし、その手腕は現代でも学ぶべきものが多い。うるさげに「やれリストラだ、節約だ…」など騒いでいる現代の政策者や経営者などには、ぜひこういう人のことを知って、事に当たってほしいものである。

2004/03/16(火) 07:32

★久恒啓一+NPO法人知的生産の技術研究会編『伝える力』すばる舎 \1400

 野田一夫、和泉育子、軽部征夫、久恒啓一、中村裕子、村松増美、星野耀子、轡田隆史、岩井好子、今野仁、という各分野で著名(といってもわたしにはわからない人が多かったが)な人たちが、「伝える力=自己表現力」について、それぞれ違った視点からオムニバス形式で書いてある。インタビューアーの和泉育子氏のどうやって人の話を聞くか、バイオセンサー分野の権威・軽部氏の発想法、岩井氏の「着こなし法」などがとくに印象にのこった。「伝える」ということは、ただ「話す」のとは違うことをいろんな視点から示唆されて、得るものが多かった。まねできるところはどんどん取り入れて、仕事で生かしていきたい。こういう本は、読みましたではなくて、読んでから自分で実際にやってみないと意味のない本なので、一日ひとつでもやってみるようにしたい。わたしには「マネ」しか、能がないから。

2004/03/14(日) 14:18

★勢古浩爾『自分をつくるための読書術』ちくま新書 \680

 この著者の本をまとめて何冊か買っておいたので、順次読んでいる。この本は4年ほど前に出版された本だ。わたし自身が20歳代くらいにこの本を読んでいれば、相当にショックを受けて影響されたかもしれない。現在の年代になると、そのショックも「まあ、そういう捉え方もあるよな」などと、さもわかったような感じで流してしまいがちだ。だから、気になったところは、何度か読み直しながらようやく読み終えた。新書本だから、サーと読むなら速読もできるだろうが、別段急ぐ理由もない。だから、直者が挙げているブックリストにあるもので、自分が所有している本も探し出して眺めてみた。そういう意味では、とてもいいキッカケになった。「自分をつくる」のに、年齢や職業や役職などは関係ない。しかし、本気で「つくる」気になったとしたら、これは大変な覚悟がいる。そういうことを、しっかりと考えさせられる。この本の中の「本は隠せ。吹聴するな。」という言葉は、自分には耳が痛かった。

2004/03/09(火) 07:52

★土屋賢二『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』文春文庫 \448

 02/17に書いたものの続編である。日本の哲学者(わたし個人は哲学者はそれほど好きではない)で、ユニークなユーモアエッセイを書いているただ一人の著者のようだ。ああいえば、こういう式の屁理屈問答みたいなところが多いので、理屈っぽいことの好きでない人は、まず楽しめないとおもうので、薦めない。論理や理屈の好きな人にはとても笑って読める本だとおもう。物事を煎じ詰めるとちょっと精神的におかしくなることもあるが、このようなユーモアの形で昇華するのは、健全であろう。ただ、書いている著者が楽しみながら書いているというわけではなさそうだ。こういう文章を書く当人はけっこうハードな仕事みたいになっているとおもわれる。このレベルの話になると、文章力とかの問題ではなくて、物事をどれだけ理詰めで考えられるかの問題になる。相当に論理的思考に慣れていないと、ここまでは書けない。読んでいて、数理的な論理を駆使しているようにもおもえる。安くて、楽しめる本である。もちろんわたしにとっては…であるが。

 このところ、なかなか本をゆっくり読む時間はなかった。が、読みかけの本は多数あった。ただ、一通り読み通した本を記録しておくことが主眼なので、新しい本のことが書けないでいた。

2004/02/29(日) 10:31

★エリヤフ・ゴールドラット:三本木亮訳『ザ・ゴール』ダイヤモンド社 \1600

 どうしてこんな本を読む気になったのかは、自分でも本当にわからない。本屋さんのビジネス書のコーナーで何気なく手に取ったのだが、少し読んで興味を覚え、勢いで買ってしまった。買ったので仕方なしに寝床で読みはじめたら、毎晩読んでいた。551ページあり、2週間ほどかかった。すぐ寝てしまうから。サブタイトルは「企業の究極の目的とは何か」と書いてある。中身は、企業の生産部門からはじまり、企業全体を改善してゆくプロセスを小説仕立てにしたもの。これが読みはじめると、どうしてどうしてぐいぐい惹きつけられる。日本国内でも企業再建に向けていろいろな動きがあるが、それの米国版である。米国では、250万部を売ったとある。日本語訳は、2001年の5月から発売されたが、原書は1992年発行だ。何でも、著者のゴールドラット博士が日本人には読ませたくないということで、日本語訳を許可しなかったということである(すぐに真似されてしまうからといっている)。

 こういう企業の話題は、わたしにはほとんどわからないのだが、問題を見つけ、それを解決してゆく手法は、どんな職場でも通用するのでは…と読んで感じた。半分くらいまで読んだ段階で、この著者のいわんとしていることが次第にわかってきて、興味が湧いてきたので、本屋さんでこの著者の本をみんな買ってしまったf^^;)。まずは、1冊目というわけである。自分の職場でどうこうなどとはまったく考えてもいないし、そんな意欲もない。ただ、読んで「なるほどなー」と素直に納得してしまうので、一応全作品を読んでみようという気になっているところ。

2004/02/29(日) 10:09

★勢古浩爾『「自分の力」を信じる思想』PHP新書 \660

 入試の仕事が継続的に入っていて、なかなか落ち着いて本を読む時間もとれそうになかったので、以前に買ってあったこの本をすきま時間に読んでみることにした。第5章ーほんとうの「まじめ」は最強であるー「自立する力」はとくに考えさせられた。「まじめ」であることをバカにしたり、軽蔑的に表現したりすることが多いが、どうもわたしたち(わたしだけかもしれないが)は考え違いをしているのでは、と何度も読み直して考えている。「まじめ」は漢字で「真面目」と書くが、「真面目」を音読みすると「しんめんぼく」となる。「面目」とは「世の中の評価、他人に対する体面や名誉」という意味だが、こういう意味でいうと「真面目」とは実は人間が生きていくうえで、最高の生き方であるという気がしてくる。小バカにしたり、さげすんだりというような態度など取ろうにもとても取れるような生き方ではない。この本にも書いてあるが福沢諭吉の本で多用されている意味はこれである。世になされたほぼすべての事柄は、まず間違いなく「真面目な人」だけがなしえたことなのだ。そういうことを、この本で知り、納得できたことはうれしい。すばらしい著者である。

2004/02/17(火) 09:28

★土屋賢二『われ笑う、ゆえにわれあり』文春文庫 \467

 すでに紹介した森博嗣『森博嗣のミステリィ工作室』講談社文庫の中に書いたあった本で、ちょっと気になっていたので、本屋さんで見つけたときに買っておいた。読みはじめたのは、3日ほど前。260ページほどの薄い文庫本なので、一気に読めば1時間もかからないだろう(などとちょっと威勢のいいことをいってみる)とおもっていたが、笑っている時間が長くて、時間がかかってしまった。大笑いはしないが、ククというような含み笑いが断続的につづく本である。著者はお茶の水女子大学の哲学科の教授のようだが、そんなことはどうでもいい。くどい内容のものもあるが、わたしには、「あなたも今日から老化が楽しめる」と「デタラメな日本紹介記事に抗議する」という文章がおおいに笑えた。こういう本は、電車やバスの中では読まないほうがいいだろう。周囲の人から何とおもわれるか、わかったものじゃないから。ただし、すべてのものが笑えるわけではない。素直にいって、まったく面白くないし笑えないものもあった。また、それがふつうであろう。全編これ笑いの連続などという本は、どこかおかしい。適度な笑いができる本なので、何とか最後まで読んでしまった。そのせいもあって、同じ著者の本を数冊買うはめになってしまったが、いずれも上記と同じほどの値段なので、笑えれば儲けものである。

2004/02/15(日) 16:05

★E・T・ベル:田中勇・銀林浩訳『数学をつくった人びとV』ハヤカワ文庫 \820

 3巻シリーズの第3冊目で、先日読み終えて、しばし感動にひたっていた。とても67年前に書かれた本だとはおもえない。これだけの本を書ける数学者も今ではいないかもしれない。この最終本では、ワイエルシュトラス、コワレフスカヤ、ブール、エルミート、クロネッカー、リーマン、クンマー、デーデキント、ポアンカレ、カントールの10名を取り上げている。もちろん、伝記というわけではないため、これらの人と交友のあった人などをいれると、もっと人数は増す。さすが、自分自身がすばらしい数学者(兼SF作家)でもあるベル氏は、実際の数学を出来うる限りていねいに要約することもわすれない。この本では、数式も本当に呼吸をしているみたいに感じる。いたるところにみられる「ユーモア」や「警句」などどれを取っても無駄がない。そして、その英語の原文をほとんど何の違和感も感じないほどに訳されている田中氏と銀林氏のご努力には本当に敬服する。数学が好きな人にも嫌いな人にとっても、この本は何度読んでも尽きることのない「名著」(はっきりと迷著ではない)である。こういう本が、SFやミステリーで有名な「早川書房」から出ていることを知らない人も多い。でも、間違いなくその出版社から出ているのである。いい出版社だ。こういう本も読みながら、数学の実際の勉強もすれば、重厚な学問ができることは論を待たないだろう。多くの人に読んでもらいものだが、現実はそうはいかないとおもう。でも、こういう本が、日本国内でもふつうに読まれるようになれば、世の中もきっと、いま少しは面白くなるとおもうのだが。

 この本は、理系文系など、どうでもいいことを忘れて、ぜひ多くの人が読んでくれると嬉しい。人に本を薦めるのはむずかしいが、この本はそれだけの価値があると確信している。計\2460で、精神ははるかな高みに昇る。

2004/02/13(金) 09:25

★三好行雄編『漱石文明論集』岩波文庫 \620

 夏目漱石の全集は会津の実家に送ってしまってあるため、現在手元にあるのは文庫本の「夏目漱石全集 全10巻」ちくま文庫だけだ。これをとっかえひっかえ読んでいる。小説で現在もつきあっているのは、漱石とサマセット・モームくらいか。その小説も最近ではほとんど読まなくなってしまった。多分、小説より現実の方が奇怪なことが多いことがわかってきたせいかもしれない。上記の、ちくま文庫版の10巻には、漱石のいわゆる「文明論・人生論」みたいな文章が多く載せられているが、それ以外のもまとめたのが、本書である。買ったのは昨年だったかな。のんびり読んでいたので、最後の三好氏の解説を読んだのが、今朝の4:50頃だった。わたし自身、漱石が亡くなった年齢をもう越してしまったせいか、彼のいわんとしたことが、ようやく実感をもってわかるようになってきたように感じるのは錯覚か。自分でもよくわからない。漱石の文章とは相性がいいのか、いつまでも現代の作家へと移行できないでいる。

 この本のP320に面白い断片なる文章がある。明治39年(1906年…この年に『坊ちゃん』が書かれた)に書かれたものである。

 「現代の青年に理想なし。過去に理想なく、現代に理想なし。家庭にあっては父母を理想とする能わず。学校にあっては教師を理想とする能わず。社会にあっては紳士を理想とする能わず。事実上彼らは理想なきなり。父母を軽蔑し、教師を軽蔑し、先輩を軽蔑し、紳士を軽蔑す。これらを軽蔑するは立派なことなり。但し軽蔑し得る者には自己には自己の理想なかるべからず。自己に何らの理想なくしてこれらを軽蔑するは、堕落なり。現代の青年は滔々として日に堕落しつつあるなり。」

というような、1パラグラフである。漱石氏の言に同感しつつも、こればかりはどの時代にあっても、聞かれる嘆きだ。結局それではいつの時代の青年が理想を持ち、生き生きと活動していたのか、というとそれはなきに等しい。おそらく、戦乱の時代などには「今の青年は云々」などと嘆く人はいないだろうから(何といってもそういう時代は青年の一人舞台であるのだから)、少し平和になって時代が落ち着いてきて、ある程度の年齢になると決まって出てくる常套句みたいになっているようにおもえる。というのも、わたしも同じような傾向が出てきたからだ。困ったことである。

 というわけで、100年近く前になる文章でも現在にそのまま通じる。というより、100年などというのはじつは最近のことなのだろう。わたしの身近にも100歳の義祖母がいるが、まだまだ元気で畑仕事をしている。50歳や60歳くらいで人生がわかったようななまいきな口を利くのは早すぎるというものだろう。

2004/02/11(水) 20:38

★吉田武『大人のための「数学・物理」再入門』幻冬社 \1400

 つい最近発売されているのを本屋さんで見つけ、購入して2日間ほどで読んだ。吉田氏の著作はほとんど読んでいるが、どれも楽しいだけでなく、いつも教えられることが多い。今回のこの本も、ご自分で編集・校正もしているおり、数式などもきれいに書き上げられていて、じつにいい。内容に信頼性がおけて、読んでいて気分がいい。こういう本を何冊も書いている方なので、ファンといってもいいだろう。この本は、それほど専門的でもなく、ふつうに自然科学に興味のある人なら読めるとおもうので、ぜひ一読されると得るものがあるとおもう。

 ちなみに、吉田氏の他の本でわたしが読んだものは以下の通りである。

1.『オイラーの贈物:人類の至宝exp(iπ)=-1を学ぶ』海鳴社
2.『素数夜曲:女王の誘惑』海鳴社
3.『ケプラー・天空の旋律:60小節の力学素描』共立出版
4.『マクスウェル・場と粒子の舞踏:60小節の電磁気学素描』共立出版
5.『虚数の情緒:中学生からの全方位独学法』東海大学出版会 \4300


これらの本はいずれも専門書に近いが、1.5.は数学などがとても嫌いだという人でも何とか読めるかもしれない。とくに、1.『オイラーの贈物』は海鳴社では絶版になり、現在では、ちくま学芸文庫\1500で手に入る。文庫本の数学の本を読むというのもなかなか味のあることなので、興味をもたれた方はぜひ読んでみてくだされ。

2004/02/07(土) 17:26

★マーティ・キーナート:加賀山卓朗訳『文武両道、日本になし』早川書房 \1300

 昨年の夏ごろ買って、そのまま積んでおいた本。何でこんな本を買ったのかはおもい出せないが、どうも現在の勤務校で見ている運動部のあり方に疑問をもったためかもしれない。運動部が盛ん(とくにサッカー)なので、学区外の生徒たちもけっこう入ってくる。それぞれ、サッカーで一旗あげようとおもってくるみたいで、それはそれで夢と希望をもって運動にいそしんでいるのは立派であるが、どうも運動と学業の比重を間違えているのでは?とおもわれる生徒もじつに多い。それと、はげしいスポーツなので、一旦致命的なケガをしてしまうと、部活動に復帰できず、つぶれてしまうケースもかなりある。こういうとき、運動だけに燃えているのは危険だなと感じている。あとがない状態で運動にのめり込んでいるのは、昔日の「神風特攻隊」となんら代わりがない。激しい運動のできる年数など限られている。一時期はそれにのめり込むのも若気の至りでいいのかもしれないが、肝心の学業で何も身に着いているものがないのでは、あまりに青春の無駄使いである。私学・公立問わず、日本の運動部のあり方には何か変なところが多すぎる。あまりに一つの道だけに(だから何とか道という)こだわり、もっと大きな人生というスタンスで運動を捉えることができないものか。プロの選手を見ても、それしかできないという情けない人が多すぎるように感じるのは、著者たちだけでない。

 学校で運動をするというのは、学業とのバランスをきちんと取った上で、はじめて意味をなすものではないのか。日本では運動が「体育」になってしまっている(つまり教育や徳育と同じで精神論になってしまう)のが、一番の原因かもしれない。

2004/02/01(日) 14:01

★坂井三郎『零戦の最期』講談社+α文庫 \880

 坂井氏の本はほぼ全部読んでいたとおもい込んでいたら、じつはまだあった。この本を本屋さんで見て、あれ?これって読んだかなとおもい買ってみて読んでみたら、この本はまだ読んでなかったのだ。おもい込みというのは怖いものだ。内容は、何度も読んだ他の著作と重なるところが多いが、1つだけ疑問が解けた。わたしのHPに載せてある坂井氏の搭乗機の零戦(機体番号V-107)のこと。あちこちに出てくる機体番号が「V-103」というので、違っているのかな?とおもっていたら、この本の28ページに「開戦当初の編制では第一中隊第三小隊長であったのでV-107が私の固有の機番号であった」と書いてあり、ようやく合点がいった。あと、P269〜P277に書いてある「リーダーの禁じ手(リーダーとしてやってはならないこと)」(坂井氏作)は、全部で17項目ほどおもい付くままに書いてあるが、これは逸品である。そのまま、現代のあらゆる組織のリーダーたちにぜひ読んでもらいたいほどだ。命をかけた実戦の中で見出してきたリーダー論には、浮ついたことは何も書いてない。平常時にものの本でも読みながら引用してきたものとは全くちがう。だから、今でも現場で実際にいえることばかりだ。今回もまた、坂井氏の本で得るものは大きかった。

2004/01/27(火) 07:51

★E・T・ベル:田中勇・銀林浩訳『数学をつくった人びとU』ハヤカワ文庫 \820

 すでに読書日記2003にこの本の『T』は紹介してある。それにつづくUである。取り上げてある数学者は、ポンスレ、ガウス、コーシー、ロバチェフスキー、アーベル、ヤコービ、ハミルトン、ガロア、ケイリー、シルベスタの計10名。いずれも天才と呼ばれるにふさわしい人たちであるが、その人生はそれぞれに波乱に満ちている。通勤の電車の中で、毎日1人ずつ読んでいくと、数学や物理で何度も出てくる人たちで、今まで数式の中だけでのお付き合いであった人物が、眼前に現れてくるようで、一人一人感動して読んだ。この著者E・T・ベルにしてからが、すばらしい学者なのであるが、その書きっぷりには何度もほろりとさせられる。ジーンと胸にしみる。数学が今まで以上に光り輝く。やっぱり数学を勉強しておいて(まだまだ途上ではあるが)良かったとしみじみおもう。物理も好きだが、もちろん数学はそれ以上に好きだ。ただ、自分には数学の才能はないと判断して、専門としては選ばなかった。

 この本の解説を書いている吉田武氏の内容がまたいい。この人の本も優れたものが多い(いずれ、紹介する)。解説で泣かせられるというのは、そうはない。この解説で、この本の価値がまた一段と増している。まさに、この本は数学が好きな人、嫌いな人にも断然お勧めの本である。これが、この値段で買える(3冊で\2500くらい)のだから、早川書房さんには敬意を表したい。いい本を出してくれた。

 すでに、この本は2部ずつ買ってあるので、数学好きな友人の息子さんにでもプレゼントしようかと考えている。我が家の息子は、どうも数学には挫けてしまったようだから。でも、本当は読ませたいのだが…。

2004/01/20(火) 07:43

★最相葉月『東京大学応援部物語』集英社 \1575

 数学関係の本を借りようと出向いた職場の図書館の新刊コーナーで見かけ、「そういえば以前新聞に広告が載っていたなー」と少し読んでみた。書名から連想されるイメージとかなり違っていそうなので、読んでみることにした。わたし自身は東京大学卒でもないので、大学名で選んだわけではない。応援団(部)には、ずっと運動系の部活動にいたため、お世話になることも多く、興味があったのだろう。天下の東大の学生応援部がこれほど気合の入ったものだとは、正直おどろいた。そして、「うーむ、すごい!」と彼らの活動ぶりに声援さえ送りたくなった。著者が1年間、この応援部を取材しながら、次第にのめり込んでゆく過程がうなずける。傍から見ていると、理不尽に見える事柄も、それなりの葛藤や迷いを経て、一つの形になってきたことが、何となくではあるが、理解できた。わたしが、高校のときにも、応援団の団長が高下駄を履いて凛々しく闊歩していた。彼は、すごい秀才で、現役で一橋大学へ入った。いつも背筋を伸ばし、会津武士を感じさせるような、気合の入った人であった。今おもうと、あの応援団の人たちに応援されて試合に出て、自分なりに頑張ったつもりではいたが、はたしてあれほどの気合をもって試合に臨んでいたのかと自問すると、反省すべき点も多かったかもしれない。

 応援団ではなく応援部としている理由がわかる。これからの存続も大変だろうが、ぜひ良き伝統を守りながら、さらなる活動をつづけていってほしいと願っている。わたしも、今度ぜひ神宮球場へ足を運んでみたいとおもう。

2004/01/19(月) 10:43

★森博嗣『森博嗣のミステリィ工作室』講談社文庫 \714

 ミステリィ関係の本はまず読まない。興味もない。本屋さんでこの著者の『すべてがFになる』講談社文庫を買ったのもまったくの気まぐれだった。一通りは読んでみたが、こういう文章を書くのは理系の人だなと感じたくらいであった。作品がどうのということは考えもしなかった。『すべてがEになる』幻冬舎というのも読んだが、こちらは著者の日記みたいなもので、読みやすかった。さて、この本にもどるが、ミステリィ小説でも日記でもない。著者の舞台裏みたいな本かな。寝る前に読んでいたので、のんびりと長い期間かけた。著者:森博嗣という人のいろんな面が書いてあり、興味深く読んだ。ただ、本当のことをいうと、著者がどんな人なのかということにそれほど興味はない。前に読んだ本の印象が少し残っていたので、つい手にとって買ってしまったというのが現実だ。飛行機がものすごく好きだということで、それにつられたのかもしれない。とくにラジコン飛行機には、わたし自身とても惹かれているので、その話題は興味深かった。

 残念ながら、ミステリィ小説はどうも自分には合わないみたいで、読もうという意欲がわいてこない。無理して読んでも疲れるだけなので、おそらくこれからも読まないとおもうが、この著者のせいではない。この著者は好きだが、ジャンルが自分には合わないだけなのだろう。

2004/01/15(木) 15:37

★渡辺正『朝食抜き!ときどき断食!』講談社+α新書 \780

 昨年の5月23日より加藤寛一郎氏の提唱する「一日一食断食減量道」を実践している。体重はおかげさまで、最大時から10kg以上も減っている。もちろん、正月などの飲み食いの激しいときは、みなさんと同じように体重も増加するが、それが過ぎれば、また減量することは簡単にできる。今回、この本を読んでみようとおもったのは、医学的に同じような方法を取っている(正式には「西医学健康法」という)この減量法で自分の実践していることに医学的な裏づけがあるのかを知りたかったからだ。読んで、少しポイントのずれはあったが、医学的にもそう間違った方法ではないことを確認できた。

 この本で紹介されている「西医学健康法」は、かなり本格的な健康法のようで、わたしのようにズボラな人間にはとてもマネできそうにないので、パスした。中で、「柿の葉茶」というのが紹介されていて、これは柿の名産地である会津でも、「柿を食べれば医者いらず」とかいわれており、同じ内容のようなので、飲んでみようかとおもっている。あまり、健康法などには気を使いたくはない。毎日の生活を充実して送れればそれでいい。ただ、それを支えるためには、少しの気遣いをした方がいいのだろうとはおもう。

2004/01/08(木) 16:35

★田中真澄『50歳からの定年予備校』講談社+α新書 \880

 つい先ほど読み終えたが、買ったのは昨年の11月頃。買って少し読んだが、途中にしたまま放りっぱなしになってしまっていた。まだまだ定年には時間がある…などと無意識におもっていたからかもしれない。年が明けて、山岳会の新年会があり、そこで、昨年3月に定年を迎えられ、現在は種々のボランティア活動に忙しいKさんの話を聞いた。それがきっかけになったのか、突然最初から読み出した。読んでいて、じつにわが身の怠慢心を暴かれたようで、鋭い指摘の連続で冷や汗ものであった。こういう本は、ホント心臓によくない。ただし、書かれていることはまったくその通りで、言い逃れのできることはほとんどなかった。少しでも、自分の先々のことも考えながら心の準備、身体の準備、経済の準備もしていかないといけないなーと反省した。焦る必要もないだろうが、日々の準備が大切なことを実感した。こういう本は、読んでどうこう、というのではなく、それを日常の生活で実践していくことのほうが大切なので、だらけてきたらまた読み直そうとおもっている。

2004/01/07(水) 17:49

★丸谷馨『プロ家庭教師の技』講談社現代新書 \700

 正月の3日頃に買い物に出かけた際、本屋さんで一瞬見かけて、あっという間に買ってしまった。どうも、こういう衝動的な買い方はいけない。わたしも学生時代には何人かの生徒さんの家庭教師をやったり、塾で教えたりしてこともある。そして、現在は、公立高校の教員という仕事もしている。はたして、自分自身が本当に「プロ」と呼べるような仕事をしているのかは、日々、自分に問いかけることが多い。そんな潜在意識があったためか、直感的に手に取ったのかもしれない。

 著者は自身が家庭教師をしているわけではなくて、家庭教師という仕事を第三者的に冷静に分析している。実際に家庭教師をしている人の話を聞き、その派遣業者にもあたり、「家庭教師」という仕事が非常に厳しいものであることを実例をあげて指摘している。教える対象の生徒たちも、以前の「優秀な生徒」「勉強の苦手な生徒」という二極から、じつに多様化している現実を捉えている。

 家庭教師はわたしが学生だった頃の牧歌的なアルバイトではなく、かなりの市場を形成するビジネスに変わっている。こういう中には、どの職種でも見られるような、能力評価や査定の問題も出てくる。「定年後はのんびり家庭教師でもしてみるか」などと能天気なことを時折おもっていたわたしは、この本を読んで背筋が寒くなった。もうこういうことは考えまいとおもった。インターネットで検索すると「家庭教師」と入れただけで、恐るべきほどのヒットが出る。全国の学校で教えている数多くの教員の中で、本当に家庭教師ができるほどの人は限られているだろう。わたしは、この本を偶然に手にしたことで、「やる前でよかった」としみじみおもった。

2004/01/07(水) 17:31

★久恒啓一『凡才・久恒流だれでもできる「仕事革命」』すばる舎 \1400

 昨年、この著者の本を何冊かまとめて買って読んでいたものの最後の本。すでに正月開けの仕事ははじまっているが、気合を入れる意味で、一気に読んでみた。自分でもすでに実践していること、できること、も多く「なるほど…」と合点することもある。が、しかし、書名にあるほど「だれでもできる」かとなると、そうは行かない方法が山ほど書いてある。こういう、自己啓発的な本には、書いている本人には当たり前におもえても、読者にはとてもまねできないことがあまりにおおく書いてあるケースが多々ある。この方の、著書も一通り読んだが、共感する点も当然あるが、わたしにはとてもできそうにないことも多く、少しだけでも学べる点があれば、それで十分だなとおもってしまう。仕事の方法に革命的なことなどはないのでは、と個人的にはおもう。その人なりの方法を見つけて、それで何とか乗り切ってゆくのがふつうにおもえる。もし、そんなにいい方法があり、それがみんなが実行できるものならば、世の中、「仕事のできる人」だけになってしまうはず。だけど、現実にはそうはならない。なぜか?うまい方法などないからである。たとえ、それに近いものがあったとしても、それを実行できるだけの能力と忍耐力をもった人はそうはいないからである。

 そういう意味では、著者「久恒啓一氏」は非凡な人なのである。非凡な人は、自分ではごくふつうにやっているようにおもっている。でも、それができること自体が「非凡」であることの証ではないかとおもう。仕事をする上での心構えを教えてくれる本としては、いい本なのだろう。

2004/01/03(土) 17:30

★李友情:李英和訳『マンガ 金正日入門』飛鳥新社 \1200

 ふだんマンガはまったく読まない(見ない?)のだが、本屋さんで見て、面白そうなので、昨年の暮れに買ってみた。読みはじめたのは、元日。子供の頃は、マンガ小僧だったので、読みはじめるとものすごく集中して一気に読んでしまう。読むというか、見るというか、よくわからないが、全体を映像のようにして、一気に最後まで読まないと気がすまない。それから、またパラパラめくる。「金正日(キム・ジョンイル)」に関して、それほどの興味はない。ただ、マンガだとやはり気楽に読める。元日の気分のだらけた雰囲気の中で読むにはちょうどよかった。この本の内容が本当かどうかなどということには、正直どうでもいい。現に金正日は北朝鮮という国の最高指導者だし、他の国の指導者を云々しても、その国の人には関係ない。どの国の指導者だって、いいとか悪いとか論じてもそれほど意味があるともおもえない。わたしには似たり寄ったりとしかおもえないからだ。

 民主主義がどうとか、資本主義がどうとか、社会主義が…などということには、わたしはとんと疎い。関心があるとしたら、どういう階層社会構造になっているのか、という点である。それがわかれば、その国の人たちの意識面での雰囲気は何となくわかる気がするからだ。まさか、この本が2004年の最初の1冊になるとは考えもしなかったが、気がつくと読み終えており、きちんと記録だけはしておこうとおもい、載せた。ま、とくに面白かったというわけではない。むしろ、重い話題だなと感じた。

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