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36<South Dakota州(Pierre)→North Dakota州(Bismarck)>


オヘア湖の上空をビスマークめざして飛ぶFalcon2000

州都Bismarckが近づき、オヘア湖上空を降下中のFalcon2000

■ほとんど”過疎”に近い州へ

 7/19(木)は、神奈川の公立学校では1学期の終業式の日です。そうです、待ちに待った「夏休み」が明日から始まるのです。この日の午後はほんとうに気持ちのゆったりとする日です。まだ、夏休みが1日も減っていない、しかし、生徒も下校して校内の時間がゆったりと流れているのを実感できる不思議な日でもあります。以前の勤務校などでは、この日に「ご苦労さん会」などをおこなうことも多かったのですが、現在の勤務校ではそういうこともなく、勤務時間まで校内に残って残務をすると、三々五々同僚も帰宅してゆきます。私も、この日は2学期の最初にある「課題テスト問題」などを少しつくりながら、残った仕事をしていました。時間がきて帰宅すると、子どもたちはどこかへ出かけており、カミさんも用事で出かけてだれもいません。そうです…、こういう時間がFSをするにはもっとも適したときなのです。さっそく準備にかかります。今回のフライトはカナダとの国境になっているノース・ダコタ州の州都Bismarck(ビスマーク)までです。

 2001/07/19(木)18:30、準備を終えてSouth Dakota州のPierre Regal空港を離陸しました。フライトプランの関係で離陸後一旦南下して、それから目的地向けて北上するコースをとりました。高度を徐々に上げて最終的には26000ftまで上昇しました。速度はおよそ450ktsほど。サウス・ダコタ州もそうであるが、これから向うノース・ダコタ州も日本でいえば”ほとんど過疎”の州です。何と日本の本州の8割ほどの面積に約65万人ほどしか住んでいないのですから。おそらく北海道よりも人口密度は低いでしょう。ひょっとすると日本のどんな”過疎地”といわれるところよりももっと”過疎”かもしれません。それなのに、べつに過疎の州だとは本にも書いていないのです。なんとも不思議なことです。人の数が少ないことが過疎ではなく、若者などが少ないこともその要因にはいっているのかもしれません。でも、どちらのダコタ州もそれほど若者が多いとは到底おもえませんから、その国の考え方次第で”過疎”が人為的に作られている可能性もあります。こういう州をみると、日本は”過疎・過疎…”とさわぎ過ぎるような印象をうけます。

 もう何度か登場(搭乗?)したFalcon2000で快調に飛行はつづきます。きょうの夜のビールは夏休み前夜ということでとくに美味しいだろうから、これが無事すんだらさっそく飲みにかかりたいとおもいます。目指すノース・ダコタ州の州都Bismarck(ビスマーク)はもうすぐです。この町の名前はすぐに連想がはたらきますね。そうです、プロシャ(昔のドイツ)の宰相ビスマルクから採ったものです。この当時、この州の開発にドイツからの移民と援助を促進するためにこの名前にしたようです。アメリカは「ごった煮」の国だから、こういうことは当然ですが、わが国でも同じようなことをしているケースはあるのは国をこえて成り立つ人間の普遍原理なのかもしれませんね。

 そうこうしているうちに、まもなく着陸です。目指すBismarck Mun空港が近づいてきます。ぐんぐん高度も下がってきて流れるように着地しました。19:13無事着陸成功。43分のフライトでした。今回はおもったより早く着いてくれて助かりました。あとは、パソコンの電源を落としてビールに一直線です\(~o~)/。

■夏山から無事もどりました!

 7/22(日)の夕方に自宅を出て、何と10日間にもわたる長い夏山から、7/31(火)夜に帰宅しました。6年ぶりの北海道の山は梅雨前線が残ったような悪天候で、残念ながらトムラウシ山には登頂できませんでした。代わりにかんがえていた雌阿寒岳に登頂してそれをカバーし、羅臼岳・斜里岳には予定通り登頂して計3つの山を登ってきました。最後に登った斜里岳の山頂では偶然に雲が切れて360度の大パノラマを眺めることができて、それまでの苦労が報われたような気持ちになりました。この「2001年度夏山山行記」はこれから書き始める予定ですので、夏の終わり頃にはできるでしょう。写真も100枚近く撮ったのですが、見るのもシンドイほどまだ山の疲れが残っています。年々回復に時間がかかるようになったのは仕方のないこととはいえ、ちょっと寂しいですね。

 出発の日に乗った羽田→帯広はJASのA300-B4という298人乗りのエアバスでした。帰りの新千歳→羽田はJALのBOEING 747-100B(SR)といういわゆるジャンボ機でした。この帰りの飛行機の中で今年が日本航空が就航して50周年目であることを知りました。機内でしか買えないというので、\3000でダイキャスト製のJAL DC-8のミニモデルを買ってきました。この機体で、日本航空は世界の空に飛び出して行ったのです。60年代から80年代の中心的なジェット旅客機でした。その細い機体は「空の貴婦人」とか呼ばれたようです。今、その機体がパソコンの上に飾ってあります。きょうの朝に、その機体をflightsim.comからダウンロードしたので、さっそく次回の飛行で使ってみようとおもっています。

 とにかく、中高年の登山は無理はいけません。今回の夏山に際しては自分なりにトレーニングもしたつもりでしたが、やはり「きつかった!」の一言です。いろいろなトラブルを回避しながら、何とか登りきれたのは、気心の知れた山仲間が一緒だったからです。山は「この人となら」と決めた人以外とはとても登る気になりません。ちょっとしたトラブルでも命にかかわることがあるのですから、当然のことです。今回、無事帰宅できてとても嬉しいです。何度登っても山はやはり怖いものです。また、この怖さがなくなったとき、おそらく私は無事もどって来れないでしょう。空から見れば、ちょっとした凹凸にしか見えない山に一歩一歩登ってゆくときのもどかしさ。でも、それを乗り越えて登頂したときの気分は、飛行機から見る山頂とはまたちがった世界のようにいつもかんじます。山だけでなくレンタカーを利用して2000kmほども北海道の大地を走りまくってきました。カーナビの威力も知りました。いろいろな体験のできたいい夏山だったと今少しずつ回想しています。

 2001/08/03 (金) 18:06:34

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