TopPage


37<North Dakota州(Bismarck)→Montana州(Helena)>


懐かしいJAL DC-8でHelenaへ向う。下はもう高原だ。

日本航空の国際線で活躍したJAL DC-8でモンタナ州へ向う。地上はもう高原状になっている。

■しだいにロッキー山脈が近づいて

 夏山を終えて、まだ体調がもとにもどっていないせいか…すぐに眠くなってしまいます。北海道と関東の気温のちがいもかなり影響しているようです。しかし、山から下りたら、今度こそアメリカ50州の旅の完遂をめざして飛ぼうと決めていたので、多少気力のでてきた8/3(金)に飛んでみることにしました。飛行機は、同日朝にflightsim.comからダウンロードしたJAL DC-8を使いました。北海道からの帰途に利用したJAL Boeing 747-100B(SR)の機内販売で購入したのが、日本航空就航50周年を記念したDC-8のミニモデルだったからです。流れるような外形をもったこの優雅な「空の貴婦人」を使って、モンタナ州まで飛んでみようというわけです。今回のフライトの距離はかなりありそうです。

 2001/08/03(金)の13:30ちょうど、ノース・ダコタ州のBismarck Regal空港を滑走路すれすれのところで何とか離陸しました。この空港の滑走路は8600ftほどで大型のジェット旅客機の離陸はかなりきびしいのですが、そこは「飛ばせたい!」の一念で強引にやってみたのです。操縦桿をググーと引いて機体が浮いたときは正直嬉しかったです。あとは、前日にダウンロードしたFSNavigator v4.4(さらにマップが素晴らしくなった)を使って自動操縦に切り替えました。アメリカ全図を見ても、今回の州都間の距離は半端ではありません。こういうフライトは夏休みでもないかぎりは、なかなか飛ぶ気力がでないものです。時間はたっぷりあるので、飛行のようすを機外視点からのんびり眺めながら、ときどきスナップを撮影していました。めざすはモンタナ州の州都Helena(ヘレナ)にあるHelena Regal空港です。

 飛行機はぐんぐん上昇して高度30000ftまであがり速度510ktsで水平飛行に入りました。しばらくしてモンタナ州に入ると、前方に今までの飛行ではとんとお目にかからなかった山々が見えます。まちがいなくロッキー山脈です。地上も茶色の地肌をした高原になってきました。かなりの乾燥地帯なのでしょう。この州もその大きさの割に人口は80万前後と極端に少ないのです。日本の感覚で人口密度などを持ち出すとまったくの”過疎”になってしまいます。これだったら、どんな大きな家を建てても気にはならないですよね。土地の値段などほとんど「タダ」同然だとおもわれます。州都Helenaの海抜はおよそ1000m近くありますから、かなりの高原になっていることがわかります。ちなみにHelena Regal空港もおよそ3800ftの高さにあります。

 1時間過ぎても一向に空港には到着せず、まだ時間がかかりそうです。1時間10分ほどしたところで、ようやく空港が目視でも確認できました。その頃には飛行機の高度もかなり落ちていましたが、空港の海抜が高いせいで高度計を見ていると、少し違和感を感じました。空港の滑走路が見えてくると、いよいよ着陸準備です。今回は着陸に失敗するとかなりのダメージになるので(この距離をもう1度飛ぶのはシンドイですから)、慎重に事をすすめます。ギア・フラップを落として滑走路を正面に見据えます。山でしばらく飛んでいないせいか、やけに緊張します。肩の力をぬいて少しずつ機体の傾きを調整しながら滑走路へ。着地!すぐにF2キーを押してエンジンを逆噴射。ブレーキも効かせて滑走路中央部あたりで停止。無事着陸14:15でした。フライト時間は1時間15分でした。やはり相当な距離でした。あとは、ターミナル近くまでタキシングで飛行機を移動しました。この空港ではどういうわけか、給油所までのタキシングロードが途切れていて、仕方なくターミナルの前方で飛行機を止めて飛行を終えました。いやはや、なんとも長い飛行だなー。

■祝!日本航空就航50周年

 今でこそ、日本国内にもいろいろな航空会社がありますが、太平洋戦争での敗戦後は日本国内には航空会社はありませんでした。昭和26年(1951年)にようやく日本航空が飛行業務を再開することができるようになったのです。私が生まれる1年前です。翌年には昭和27年には朝鮮戦争が勃発して、日本もその特需の恩恵に服することになるわけです。日本航空の詳しい歴史は知りませんが、奇しくもほぼ同じ頃に今では「飛行中年」になってしまった私も生まれたのです。何の因果か知りませんが、まさしく生まれながらにして「飛行(非行?)」を実践すべき定めになっていたのかもしれません。

 この7/31(火)に偶然に日本航空の飛行機に乗ることになったのです。札幌市内で「格安航空券」を手に入れるべく、チケットショップを3軒回って3人分のチケットを手に入れたのが同日15:00頃。車を飛ばして新千歳空港に行ってみると、乗る飛行機はJALでした。私が手にしていたのはANAの羽田⇔新千歳の回数券の最後の1枚でした。どういうトリックがあるのかわからないのですが、その券をJALの窓口に出すと、あっという間にJALのチケットに早変わり。いやはや驚きました。こういう形で航空券を買うのははじめてでしたから。値段は通常の料金より12000円ほども安いのです。これでまた2度びっくり。こういうチケット購入法もあったことを知り、参考になりました。その浮いたお金で機内販売で売っていて「JAL DC-8」のミニモデル(ダイキャスト製)を購入したのは言うまでもありません。新千歳から羽田までは1時間15分ピッタリでした。ちょうど夕日が沈むところでしたから、雲が真っ赤に染まり、実にいいタイミングでした。

 日本航空はなんだかんだといわれても「日本の翼」です。個人的にはANAの飛行機のカラーリングが好きですが、実際に乗ってみるとJALの機内の雰囲気が良いように感じてしまいます。何となく”気品”があるというか…。まあ、こういうのは個人の趣味ですから、どうでもいいのですが。国際線を長く経験してきた(といっては語弊がありますね。政府によって独占を許されてきたとでもいうのが正しいですね)実績が、国内線にも生かされているようにおもえるのです。もちろん、この感情には、若き頃、日本航空のパイロットにあこがれた私の個人的思い込みが十分に入っていることは承知しています。それでも言っておきたいのは、「日本航空さん、50年本当にお疲れ様でした。今後も頑張ってください!」ということです。私もFSの中でJALの飛行機にはこれからもお世話になることでしょう。「祝!日本航空就航50周年」

 2001/08/04 (土) 10:01:31

■ 前のページへ ■ 次のページへ ■ アメリカ・インデックスへ ■ TopPageへ