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空のシルクロード紀行(1)南京へ


上海を飛び立ち、これよりシルクロードの旅へ出発。

上海のHonggiao国際空港より、シルクロードの旅へ出発。先は長いぞ。

太胡をバックに無錫上空を飛ぶBaron58

無錫(ウーシー)の上空を飛ぶBaron58。背後は太胡。波立つようすが見える。

対面から進入してくる飛行機を何とか避けて、無事、南京空港へ着陸する。

対面から進入してくる飛行機を避けて、無事南京空港へ着陸。誘導路上にて。

■空のシルクロードに向けて

 何度か企画は立てたが、空港があまりに少ないために気乗りしなかった「シルクロードの旅」におもい切って出かけることにした。シルクロードといえば、まずは北京からと考えられるが、本来は正式なルートなどないという。そこで、ひとまず西安まで飛んでみることにして、実際にも行ったことのある上海のHonggiao空港から飛び立つプランにした。西安から西にはほとんど空港がないので、どうしようかと不安要素はたくさんあるのだが、とにかく飛び立たないことには旅ははじまらない。やや重い気分で1時間行程の南京まで飛んでしまうことにした。

 2003/11/22(土)9:53、上海のHonggiao国際空港からBaron58にて離陸を開始した。この大好きな飛行機で飛ぶのは本当に気持ちがいい。飛行機が高度を上げてゆくと、眼下には揚子江が大河となってゆったりと流れているのが見える。今回のスナップにはあえてこれは載せなかったが、FSで飛んでおられる方なら、上海上空からの眺めはすでに体験しておられることとおもう。黄河と並ぶこの大河は、実際にその水上も船で横断したこともあるが、まるで海である。この話しは後回しにして、まずは飛行の方へ。高度2000ftほどまで上昇してから、自動操縦に切り替えた。今回のフライトは1時間ほどなので、そのまま操縦桿を握っていたいところであるが、今年1年つづいている「五十肩」らしい右腕の痛みが年末になってさらにひどくなっているため、しばし休養が必要であり、無理をしないことにした。飛行機の飛ぶようすをボンヤリと眺めているのもいいものだ。高度14000ftで水平飛行に移り、それからはほぼ揚子江に沿うような形で、上流に進んでゆく。南京まではほぼ1時間の予定なので、ちょっと階下でコーヒーでも飲んでくると、もう中間地点に来てしまう。機下は無錫(ウーシー)付近である。機体の左には「太胡(たいこ)」という大きな湖が、まるで海のように見える。

 ほどなく飛行機もゆっくり下降に入り、めざす南京の空港が近づいてきた。ジェット機の場合とちがい、このような小型双発プロペラ機は自動操縦にしていても、エンジンのスロットルだけは手動がふつうだ。だから、下降に入ったら少しずつスロットルを絞っていかないとスピードが出すぎて危険になる。速度計を見ながら、130ktほどを保つよう微妙に調整する。ATCで南京空港へのアプローチ許可をもらおうとしたら、どうも別の飛行機がすでに着陸態勢に入るところらしい。ここで、許可がでるのを待たずに、法規違反。高度はすでにいつでも着陸できるほどに下がっていたので、強引に着陸してしまおうとトンデモナイ行為にでる。じつは、このあと用事が控えていて、その準備もあるため。まあ、止むを得ない。その飛行機は滑走路の対面側から着陸するらしい。もう、こうなると意地である。自動操縦を切り、手動にかえて、グングン滑走路に突っ込んでいく。こういうときに、日頃の訓練がものをいう。前方を見ると、対面からたしかに飛行機が下りてきている。一気に高度を下げて、滑走路の隅から静かに着地。そのまま、減速しながらすぐ近くの誘導路へ駆け込んで、間一髪で正面衝突を回避した。そのときの飛行機が最後のスナップにある赤いB-100と表示されているものである。むこうの飛行機も着地寸前である。たまにはこういうきわどいこともやってみるだけのことはある。ターミナルに機体を移動させていると、その飛行機もやってきた。お互い並んで停止した。ちょうど10:55で、1時間ほどのフライトだった。

 シルクロードを飛ぶといっても、西安から西へはどうするか、まだ決めていない。というより、空港がほぼないのだから、一気にタクラマカン砂漠を飛び越えるしかないのだが、どうもそれでは面白くない。何もない砂漠に着陸するのもいい。ただ、新たに離陸となると、周辺には空港はないので、考えあぐんでいる。FSに「空港へ移動」というメニューはあっても、どこでも好きな場所から飛び立つ機能はないはず。ま、とにかく調べてみるしかない。何ともいいかげんなフライトを始めてしまった。ただ、最終的には、あの有名なイスタンブールまで飛ぼうという気持ちはある。何とかがんばってみよう。

■上海・南京そして揚州と

 中国語を以前習っていた。先生は黄成武(ファンシェンウ)という横浜市大で教えておられた人で、ものすごい影響を受けた。受けすぎて、ちょっとたまらんといつの間にか中国語も遠ざかってしまった。が、この先生に口と耳だけは鍛えられたせいか、今でも少しは話しはわかる。この先生は、日本で生まれた方だが、中国語も日本語もそしておそらく英語もほとんど同程度にできたものとおもう。先生のご両親のやっておられる中華料理店に何度も食べに行き、そして、とうとう誘いに乗って中国まで行ってしまった。上海は、その先生の故郷である。上で飛び立ったHonggiao空港ははじめて中国の大地を踏んだ思い出の場所でもある。雨雲の下に空港が見えてきたときのことを今でもはっきりと覚えている。はじめてみる本物の中国。今年4月に戦友たちの許へ旅立った親父も戦中に踏んだであろう中国の大地。その地へまさか来るとはおもっていなかっただけに、その記憶は鮮明だ。

 上海から列車(蒸気機関車)で南京へ。途中、無錫で長い停車。ホームに下りて、腰を伸ばした。列車の中では陶器に茶葉を入れて、そこに沸騰したばかりのお湯を豪快に入れて飲む。列車の外は、何だか昔見た東北の田舎のような光景。南京での屋台で食べたワンタンの素朴な味。カメラを向けると怒ったように鋭い視線を投げ返す南京の男性。バスでの揚州までの長い旅。濁った水が海のような川幅になって流れる揚子江。横断する船上から見た圧倒的な広さ。まるで、ビデオのように思い出されてくるが、それはそれで一生わすれないのかもしれない。がしかし、それらよりもっとも残念で仕方なかったのは、帰りの飛行機に乗る前に、このHonggiao空港で、帰国したらしっかり楽しんで飲もうと買った「マオタイシュ」の一本が、ビニールの袋が破れて空港の待合所の床に落ちて割れてしまったことだ。その臭いは空港職員を慌てさせて、怒られた。が、それより割れた酒を飲みたかった!あの芳香は今でもこの空港での思い出とセットになって鼻に記憶されている。

 中国へまた行くかもしれないが、もうあのはじめてのときの印象ほどは強烈ではないだろう。語学の実習という名目で行った旅であったが、語学的にはご想像通り収穫はなかった。中国の人たちの話す速さは新幹線であり、わたしの耳や口は近くを流れる揚子江のようだったからだ。死んだ母がよく口にしていた「慢慢的走(マンマンダツゥオ)=たゆまずゆっくり行こう」の意味だけは、はっきりとわかった。あの大地では、急いでも意味はないのだと。中国…わたしにはよくわからん国である。

■蛇足

 前回の「ロシア紀行(6)」を読まれた方からお叱りを受けてしまった。わたしがFSなどの質問をしてくる人に対して「ムカつく」とかのエゲツナイ表現をしているということで、品性がないという指摘を受けた。「品性がない」「公務員としての自覚がない」というのは当たっているから、何も反論はない。ここに書いていることは、ほぼわたしが普段にしゃべっているのと大差ないし、文章を何度も推敲して練るなどということはまずしないし、そういうことに時間をかけることにあまり意味はないとおもっている。そこそこに伝わればそれでいいとおもっている程度で、文章作法論みたいなものは念頭にない。というより、その手の本を読んでもよくわからない。自分には、この程度の文章(これが?)しか書けないし、自分で文章を書いているという意識はほとんどない。ただ、キーボードに向かって、そのとき頭に浮かんだことを打ち続けているだけで、論理的におかしいこと、トンデモナイこともきっとたくさん書いているのだろう。「なんだいいかげんだな」とおもわれるかもしれないが、少ない時間を有効に使うには、そうせざるを得ない。

 こういうホームページ(サイトというにはちょっといいすぎか?)が公的なものとか私的なものとか議論しても意味はない。そのときの取りようで、どちらでも解釈できるからだ。これを運営するための費用はわたしが出しているが、わたしの書いたことが、ひょっとするとだれかに影響を与えている(可能性もある)ことも、などと考え出したら恐ろしくて何もできない。「それじゃ、あんたは何のためにやっているの?」などと聞かれると、答えに窮する。はじめた頃は、何かとても可能性が広がるみたいな開放感があって…と答えたかもしれないが、現在は「自己満足」と「惰性」かな?などとまたしても怒られてしまうような返答しかできない。大体、どんな人が読んでいるのかは、ほとんどわからないのだから、感想などが来てはじめておどろく始末である。

 個人運営の稚拙な(技術的にも一向に進歩しないなー)ページなので、閉めるのもいつでもできるし簡単である。もう、内容がおかしい箇所が至るところにあるのもわかってはいる。ただ週1回程度の修復では追いつかない。いつかは閉店にしたいし、そのときは、さっぱりと終えたい。ただ、いつ終えればいいのかはおもった以上に判断がむずかしい。はじめるのより終えるほうがむずかしいように感じている。いろいろな人から、お叱りを受けたり、励ましを受けたりしていると、自分の書いていることをだれかが読んでいるのだという意識はたしかに出てくる。それが、恐ろしくなったりもする。嬉しくなったりもする。このページを作りはじめて、もうすぐ丸5年になる。このまま、走りつづけていればいいのか、迷いもある。何にしても、これは、わたし自身が決めればいいことなので、ゆっくりと考えてゆきたい。本当に「蛇足」だった。

 2003/11/30 (日) 17:16:46
 

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