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零戦でラバウルへ飛ぶ


現在のラエ空港から零戦で離陸する

1.現在のラエ空港から零戦で離陸して、一路ラバウルを目指す。

旧海軍航空隊飛行場の上空を飛ぶ零戦

2.旧海軍航空隊のあったラエ飛行場の上空を飛ぶ零戦。

ニューブリテン島の上空にさしかかる零戦

3.ニューブリテン島の上空15000ftを懐かしげに飛ぶ零戦。

旧ラバウル航空隊のあった場所の上空を旋回する零戦

4.水平尾翼の右の入り江のあたりに旧海軍ラバウル航空隊の基地があった。気持ちよく旋回。

現在のラバウル空港(Tokua)に無事着陸した零戦

5.現在のラバウルの空港(Tokua空港)に無事着陸して風防を開ける零戦。

■ついでにラバウルまで

 前回、ポートモレスビーからラエまで飛んでみたが、考えてみれば、ラエは旧海軍ラバウル航空隊の前線基地。わずか30機ほどの零戦で激戦を戦い抜いていたところ。このラエからラバウルまではCFS2では飛ぶことはできない…多分。そこで、ついでと言ってはなんだけど、ラエからラバウルまではどんな具合になっているのか、坂井三郎氏たちが飛んだであろうコースを完全なマニュアル飛行で、しかも当時を再現するために坂井氏が搭乗された零戦を使って飛んでみることにした。

 2003/02/11(火)の11:10、現在のラエの空港になっているNadzab空港から離陸した。スナップ1は、離陸した直後。風防を開けているが、実際に零戦が飛び立つときは必ず風防を開けて飛び上がっていた。当時は、このときにすごい砂ぼこりだったそうだ。今回はアスファルトで舗装された滑走路からなので、すごく楽チン。(^^)v 零戦はすごく軽いため、少し滑走すると軽く離陸する。ちなみにこの零戦はCFS2からそのままコピーして、その機体に坂井氏の機体の塗装をさらにコピーしたもの。ラエ当時の坂井機は「V-103」だったように思うが、いろいろな機体に搭乗していたであろうから、あまり細かいことにはこだわらないことにする。

 離陸して高度をあげてゆくと、すぐに旧ラエ飛行場のあった海岸線に出る。この辺は、FS2002では現在は住宅地。前回の飛行では、この場所に強制着陸をした(笑)。FS2002では敵機は出てこないためのんびりと飛べるのはいい。もちろんCFS1・2・3でもフリーフライトというのがあり、自由に飛べるけれど、FS2002でのような通常のフライトはできない。操縦桿を握ったままなので、昨年からつづいている「五十肩(それプラス飲み会のあとの電車ホームでの転倒による右肩打撲)」で右腕が次第にだるくなってくる。スナップ2はそういうわけで、旧ラエ飛行場跡を確認した。このあと、高度をどんどんあげて、約15000ft(4500m)で水平飛行に入り、零戦の巡航速度である155kts(零戦は130〜160ktsくらいが適正速度)で飛びつづけることにした。右手がだるくなってきたので、いろいろ試して(トリムをいじったり、スロットルを調整したり)、この状態でちょうど自動操縦のように飛べるように調整したところで、一息入れた。コーヒー&トイレ休憩。

 ところで、その当時は単座プロペラ戦闘機の零戦などのパイロットはトイレをどうしていたと思いますか?わたしもこれは疑問であったのだけれど、坂井氏の書かれた本にそのことが書いてあったのを思い出した。零戦のように航続距離が長くなると、当然トイレの問題は出てくるからだ。じつは、最初は「小便袋」というのに入れて機外に投げ捨てることになっていたようだが、やってみるとこんなことはまず不可能だとわかる。自動操縦などないし、操縦桿を離さずに高度による寒さでちぢみあがったオチンチンを出して用を足すなどは不可能だとのこと。そこで、現実には操縦席にすわったまま、そのまま垂れ流していたそうだ。ただし、どういうわけかきれいにどこかへ流れて行ってしまい?臭いとか不潔感はなかったそうな。それでも、小便はいいとして、大のほうは気になりますが、それは坂井氏の本にも書いてない。おそらく同じようにしたと思うのだが。これ以上この話題に触れると、せっかくの空のエースたちのイメージが崩れるので、やめる。

 ラバウルのあるニューブリテン島に近づいてきたので、スナップ3を撮る。赤道から南に7度くらいしか離れていないこのあたりは、島の周辺にはたとえようもないほどのきれいなサンゴ礁が広がっている(まるで見たことがあるように、実際はない)。FS2002でもこのあたりの風景はとてもきれいだ。それも大好きな零戦で飛んでいるので、気分はもう坂井三郎氏だ。スナップにはないが、直線的に飛んでいると飽きるので、背面飛行をしたり、宙返りをしたりと遊んでいた。コースはFSNavigatorのマップ(前回紹介)ですぐに確認できるので心配はない。

 飛びはじめて1時間50分ほどでラバウル上空に達した。ここまで来て、すぐに着陸ではあまりに芸がない。それに着陸する空港は戦時中のラバウル飛行場ではなくて、現在のラバウルの空港だ。まずは、ラバウル上空を昔ながらに飛びまわってみることにした。当然のことながら、その当時の飛行場などFS2002では再現されていないから、坂井氏の書かれた『戦話・大空のサムライ』光人社NF文庫の339ページに載っているその当時の地図を見ながら、周回してみた。スナップ4にある小さな小島は当時は「松島」と呼ばれていた島である。零戦の水平尾翼の画面右の入り江あたりに「台南空ラバウル戦闘機隊飛行場(東飛行場)」があった。スナップ4の右に見える山が頻繁に噴煙をあげていた「花吹山」である。この飛行場の他に西飛行場というのとココボ飛行場というのがあった。何周かこの湾の上空を飛んで、現在はTokua空港と呼ばれている(昔日のココボ飛行場の跡だと思うが)ところに着陸した。時刻は13:10であった。ちょうど2時間飛んでいたことになる。このフライトは「気まぐれ」にしては、少ししんみりした気持ちになった。先人たちの飛んだ空をほんの少しだけ実感できた。この地で亡くなられた日米豪の御霊に合掌。

■ちょっとした蛇足

 多くの人は零戦を「ゼロ戦」と呼んでいるし、英語では「ZERO」と呼ばれたこともあるので仕方のないことかもしれないが、正式には「れいせん」と呼ぶ。それと「11型(じゅういちがた)」「21型(にじゅういちがた)」などとも言われるが、これも単純に「11型(いちいちがた)」「21型(にいちがた)」という。零戦の正式名は「零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)」である。11型・21型などの製作コード名は「A6M2」。Aは征空戦闘機、6は6番目の、Mは三菱、2は2型を表す。米軍は「Zeke」という名前でも呼んでいた。これらは、飛行機の好きな人なら知っていることだろうが、もう半世紀以上も前のことで伝える人もほとんどいなくなっているので、付け足しに書いておきたい。わたしが調べたことではなくて、坂井三郎氏の本にきちんと書いてある。

 坂井三郎氏は、歯に衣を着せないで旧海軍の士官将校たちを批判しているので、現在の自衛隊の幹部たちからもあまり好まれていないという話を聞いたことがある。時代は変わっても、やはり軍人(失礼!現在は自衛官か)のエリートたちは口技ばかりで、実戦には弱いことを自覚しているのか、本当の戦いを知っている人の話は耳に痛いのだろうな。こんなことを書くと語弊あるかもしれないが、現在の自衛隊でははたして日本を守ることなどはできそうにないことは子供でもわかる。かと言って、軍隊にしてみても集まる志願者などはほとんどいないだろうし、その気概にも昔日の感が拭えぬだろうから、あまり変な期待は無用だと思う。

 戦争などしないに越したことはない。しかし、国の存亡にかかわるときは、やらねばならぬときもある。そんなとき、宣伝カーでものすごい愛国心を示している人たちと国のために命をかけている政治家先生たちには、まず率先して最前線に行ってもらわねばならないと考えている。それと、当然、旧弊を改めるためにも、防衛大学出のエリート自衛隊将校には最最前線で先頭に立って頑張ってもらわねばならないだろう。国内の地下壕の中で参謀本部などと称して隠れてるような人に戦争はまかせられない。どんなことでも、最前線で奮闘努力している人たちがいてこそ、それにみんなが付いてゆけるのだから。

 自衛隊出身の浅田次郎氏の本で読むと、どうも現在の自衛隊の体質も、ほとんど戦時中と変わっていないと思うのは、わたしだけだろうか。そうであればいいのだが…。

 本当の蛇足でした。

 2003/02/15 (土) 13:48:50

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