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空のシルクロード紀行(4)蘭州へ


西安の空港を飛び立ち、これより蘭州へ向かう。

西安の空港を飛び立ち、これより蘭州へ向かうCessna C550 Citation U。

蘭州までの中間点付近では、もう高原状の砂漠になっている。

蘭州への中間地点では、もう高原状の砂漠らしきものがあらわれる。

蘭州の空港がせまってきた。着陸態勢に入り、滑走路に向かう。

蘭州の空港が近づき、着陸態勢に入り、これより滑走路に向かう。風が強く機体が流される。

■シルクロードの玄関、蘭州へ

 2003/12/23(火)は、天皇誕生日で祝日。しかも幸いなことに部活動指導もないため、珍しく朝からゆっくりできた。こういうときに少しでもシルクロードの旅を楽しむのはちょうどいい。前日、ダウンロードしたばかりの「Cessna C550 Citatin U」の試運転もかねて蘭州まで飛んでみることにした。同日、8:25に西安のXianyang空港から離陸開始。ほどなく自動操縦に切り替える。とても安定性のいい飛行機で気持ちがいい。フライトプランではほぼ1時間の予定である。目指す蘭州の空港は、高度が6400ft近くもある高地にある。中国の西域は高原状のところだから、これも当然だろう。西安周辺はもう山並みが迫っており、次第に西域に近づいていることを感じさせるが、これから向かう蘭州は、まさにシルクロードの玄関口みたいな場所に位置している。

 高度31000ftで220ktの水平飛行をしながら、順調に飛行している。この機体にとくに異常はなく、これからも安心して使えそうだ。離陸して30分くらいの中間地点では、大地は砂漠状になっているのがわかる。もう、この辺からあの延々とつづく広い砂漠が感じられる。まだ、タクラマカン砂漠までは距離があるのだが、徐々に近づきつつあることがわかる。飛行機で1時間というと離陸してあっという間についてしまう。ちょっとトイレに行ったり、お茶を飲んだりすると、もう目的地に近づいてしまう。だから、これくらいの時間のときは、ほとんどパソコンの前に座りっぱなしで、飛行のようすをみている。この機体は、FS2000・FS2002でも使っていたが、FS2004用の機体も出たので、ダウンロード(DL)して入れてみた。小型ビジネスジェット機でとても飛びやすい。中国の内地に入ると、空港の滑走路はどんどん短くなるので、大型のジェット旅客機では離陸できないし、着陸時にオーバーランしてしまう可能性が大きいので、使えない。プロペラ機が一番いいのだろうが、距離的には長いので、小型のビジネスジェット機がとても有効な機体だとおもう。

 蘭州(Lanzhou)のZhongchuan空港が近づいてきた。周囲にとても雲が多い。この空港のあるところは高度6388ft(約1940m)もあるため、ちょうど中層雲の雲底あたりになる。一番下のスナップの雲はほぼ大地に張り付いているようだ。このところ、訓練不足で着陸時にミスが多くなっているので、気持ちをひきしめて臨む。滑走路は短いので、速度は140ktくらいに抑えて、着地したらすぐに逆噴射だ。高度があるためか、風が強く、機体がやけに流されるし、ゆれもある。操縦桿をしっかりにぎり、滑走路に進入してゆく。ほどなく着地。すぐに減速。9:26だった。すぐに誘導路からターミナルへ移動して、無事飛行を終えた。ようやく、シルクロードの玄関についた気がする。ここからが、本当の意味でのシルクロードになるのだろう。

■飛行機も満100歳

 動力飛行機が飛んで、ちょうど今年で満100年になることは、みなさんご存知だとおもう。1903年12月17日の10:30頃にライト兄弟の作った飛行機が、はじめて14秒ほど宙に舞った。これが、現代につづく飛行機の歴史のはじまりである。ライト兄弟は、もともと自転車屋さんだったので、自転車に翼をつけたのが、飛行機のはじまりというわけだ。偶然にもわたしの親父は実家で自転車店をやっており(お袋は隣で商店)、小さいときから自転車は生活そのものであった。わたしは、どうも職人には向かないとおもっていたので、結局跡取りはしなかったが、もし継いでいたら、今頃は廃業して苦労していただろう。昨今の自転車事情は、わたしの小さいときとはあまりに違ってしまっている。当時は、自転車は高価な乗り物だった。飛行機好きだったことが、自転車との関わりで、多少なりとも親父に報いることができたのかもしれないとおもっている。親父も飛行機は好きだったから。親父に福島市に連れて行ってもらって見た「零戦」は今でも記憶に鮮明に残っている。そのとき、並んで操縦席にも坐った。操縦席があんなにも狭いとはおもわなかったが、それでも当時まだ小さかったわたしには、強烈なイメージとして残った。その親父も今年4月に他界してしまった。

 100歳といえば、家内の祖母が新年明け早々の1月5日で満100歳になる。そして、そのお祝いが行われるそうだ。本当は、家内も可愛がってもらっているので、そのお祝いに行きたいみたいだが、あまりに人数が多すぎて、孫たちは断念するしかなさそうだ。子供が9人いて、その方たちが全員元気でいるし、孫は18人とかでこれまた全員元気では、いくら広い家でも入りきれない。とにかく、家内の家系は生活が質素で、淡々と過ごしているせいか、みんな長生きでわたしの家系とはちがう。酒・タバコなどとはほとんど無縁な家系だし(ただし1人だけ吸っている人がいるが…)、変な健康法などしなくても長生きする家系というのはたしかにあることを身をもって感じている。ちょうどこの祖母と飛行機の歴史は重なっているわけだ。11月に結婚式に招待され、帰省したときに、家内の実家に寄ったら、何とこの祖母は元気に畑の草取りをしていた。決して無理をしないし、自然に生活していて、見ていて長生きをする人の生活習慣ははっきりとわかる。まあ、わたしにそのマネはできないが。まだまだ元気で長生きしてほしいと願っている。よく、100年も昔のことなどそろそろ忘れても…とかいう人がいるが、まだ100年なのである。現に目の前に生きている人がいるのである。わたしなどこの祖母の半分しか生きていない。なまいきなことなどいえる歳ではない。

 小さいときからの夢であった「パイロット」にはなれなかったが、後悔はない。というより、努力だけでなれる職業でなかった。いろいろ要素が必要なのであって、それがうまくクリアできなかっただけで、自分なりに努力したことは今でも役立っており、無駄ではなかったことはわかっている。Flight Simulatorのようなものができるとは夢にもおもわなかったが、幸いにして友人の佐々木くんにその存在を教えられ、しかもそれをしたいがためにDOS/Vパソコン(それまでは、NECの98シリーズ)の世界に入り、いつの間にかFSやらパソコン自作など、気がつくとほとんどのことはやってしまっていた。ただ、パソコンの原点はやはり飛行機であった。現在、仕事としてやっている高校の物理教師ももとをただせば、飛行機の知識の延長線上にあったものだ。飛行機がわたしにいろんなものを教えてくれ、いろんな出会いをもたらしてくれた。やっぱり、わたしの生活には飛行機は欠かせない。定年にでもなったら、「飛行機居酒屋(FSを飛ばしながら、酒を飲む)」でもやろうかと、けっこうまじめに考えている昨今である。

 2003/12/28 (日) 8:47:00

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