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エーゲ海からロードス島へ


エーゲ海のキクラデス諸島上空をロードスに向かう

エーゲ海のキクラデス諸島上空をロードス島向けて飛ぶKing Air 350。

バロス島上空に達する。小さな島々が点々と続いている。

バロス島周辺上空に達する。小さな島々が点々と散在している。

ロードス島が近づき、これより左旋回して空港へ向かう。

ロードス島が近づき、これより左旋回して空港へ向かう。

ロードス空港がもうすぐだ。打ち寄せる波を見ながら、着陸態勢にはいる。

ロードス空港が近づき、打ち寄せる波を見ながら着陸態勢にはいる。トルコが見える。

■ロードス島は今…

 古い話しになるが、結婚して新婚旅行には行けなかった。仕事の(ちょうど卒業学年を担任していた)関係などを口実にしていたが、本当は貯金がなかったのである。結婚式そのものを挙げる貯金もゼロで、仕方なしに夏のボーナスを担保にして、労働金庫から数百万借りた。それで、結婚式を済ませ、何とかボロいアパートに住み込んだ。給料はほとんど飲んでしまっていたので、貯金しようという勇気が湧いてこなかった。毎日、部活に燃え、授業に燃え、生活指導に燃え、夜は酒に燃えていた。結婚などできるような経済環境にはなかったが、気が付いたら成り行きでそうなっていた。この借り入れの返済には5年も要し、今でもカミさんからこれをいわれるとわたしは黙る。借金しかないのに、「新婚旅行」など無謀に近かった。それでも「近いうちに行く」といって、カミさんを何とかなだめていたが、効き目は3ヶ月ほどだった。「どこに行きたいの」「ニュージーランドかエーゲ海」などとのたまう。旅行社のパンフレットをみると、2人で50万ほどかかる。頭がボーとしたが、何とかせねばならぬ。結婚式のときのお祝い金が多少残ったので、それをこの際だから、使い切ってしまうしかないと考えた。行き先は値段的に少し安かった「ギリシャ・エーゲ海」の旅に決めた。

 結婚した翌年の3月。卒業生も無事送り出し、残務処理も早々に終え、17日頃に成田の南ウイング(古いねー、当時はたしかにそういっていた)から、夕闇迫る滑走路を後にした。香港→バンコク→カラチ→アテネと丸24時間かかる南周りのコースで、ギリシャに向かった。それぞれの空港に着き、離陸たびに出てくる食事をけなげにも残さず食べるわたしであった。飛行機はルフトハンザのマグダネル・ダグラスDC-10だった。ギリシャは古代自然哲学の発祥の地なので、一度は行ってみたかった。まさか、こんな形でゆくとは想像もしなかった。まさに勢いで行ってしまった旅行であった。この旅行のあとは、ひっそりとした生活になったが…。

 その旅行で、エーゲ海の島々を回るクルーズとかいうので、あちこち船で回った。そのあと、アテネから飛行機でロードス島へも行った。ロードスへの移動の日は、前夜からの大荒れの天気で、空港へ早朝に行くと、飛行機が飛ばないといわれ、待機させられた。8時間ほど待たされて、午後の4時頃、飛ぶというので、ボロいオリンピア航空のBoeing727に搭乗した。本当にボロくて、シューシューと機内の空気が漏れているような音がした。40分くらいの飛行であったが、機内サービスは当然なし。黒雲が垂れ込めている機下には、稲光も走っていた。機体はかなりのゆれで気分が悪くなる人も続出した。もちろん、わたしは平気であった。カミさんは死んでいた(そうであった)。ロードス島では、島を周回してほとんどの観光地は見てきた。もう忘れたが。海岸の水のきれいさと対岸にすぐ行けそうなくらい近くトルコが見えた。それは、写真のように脳裏に焼きついている。

 前置きが長くなったが、それで今回の飛行である。ほぼ23年前をおもい出して、ロードス島まで飛んでみた。2004/03/14(日)9:25にアテネ国際空港を飛び立ち、プロペラ双発機で離陸した。ほぼ1時間ほどの飛行で、ロードスに着いた。実際の旅行では行きも帰りも天候にはめぐまれず、このような景色は見ていない。もう一度行ってみたい気もするが、それほど強い願望はない。ロードス島も今は、日本人もあたり前だろう。当時は、ほとんど見かけなかった(自分のことは見えないから)。10:20ほぼ予定通りにロードスの空港へ着陸した。

■FSは立派な旅

 どうもこの歳になると、現実と仮想が混沌として、頭の中が文字通り「カオス」状態になりつつある。あそこに行った、ここへ行ったと旅行のことをおもい出そうにも、一体どこまでが本当の経験で、どこからが記憶のボケか境目がつきにくくなっている。写真に残っているスマートな男性と女性を見ても、それが現在の自分(カミさん)とどうしても結びつかない。あれは、今の自分たちとはちがう人たちのようにおもえてしまう。「もうボケとるのか!」などと怒らないでほしい。これはわたしだけのことかもしれないが、たしかにそういう感覚なのだ。だから、本で読んだり、FSで経験したことでも、それが自分にとってとても印象に残ることであれば、まるで現実の経験とちがうとはとてもいえなくなってしまう。これが怖いことだとは最近おもわなくなった。

 FSでの飛行の旅は、もちろんバーチャル(仮想の)な旅である。しかし、時間的にもほとんど現実と同じだ。現実の飛行機のように墜落すれば人が死ぬということはないが、それでも事故になれば、飛行機は壊れる(設定にしてある)。話は少し変わるが、本にのめりこんでいると、現実と本の世界の区別が次第になくなる感覚はどなたも経験しているだろう。わたしたちが「現実」と呼んで「想像の世界」と区別しているものも、それほどのはっきりした境目があるわけではない。本やFSのようなもので経験することも一つの現実の経験と同じように考えることができれば、わたしたちは我が身1つでは経験できそうにないことも経験できる。こう考えると、FSでの旅も立派な旅のようにおもえてくる。家に居ながらにして昔日の思い出の地へ行ってみるなどということもできる。これは、まことに不思議ではあるが、これも1つの現実である。

 毎週旅に出るのも疲れるので、来週はのんびりしようとおもう。桜の開花も間近かのようだ。桜の下で、現実の酒を飲み、まるで夢の中のような話をして、気がつくと自宅の布団の中で寝ていたというのは、まさしく現実とバーチャルの混合だ。そうすると、桜を見たというのも本当かあやしくなるなー。

 2004/03/14 (日) 17:16:23

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