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2005年元旦を飛ぶ


2005年初日の出6:51羽田空港滑走路で離陸準備、これより初飛行に出発。

2005年初日の出6:51羽田空港滑走路で離陸準備、これより初飛行に出発。

元旦の初日が昇ってきた。レインボウブリッジの真上を上昇中のANA747-400。

元旦の初日が昇ってきた。レインボウブリッジの真上を上昇中のANA747-400。

初日にむかって飛ぶ。今年もいいフライトができるよう祈念しながら元日の寒空を飛ぶ。

初日にむかって飛ぶ。今年もいいフライトができるよう祈念しながら元日の寒空を飛ぶ。

房総半島を一周して、まだ薄暗い羽田空港にもどる。今朝の初日はまさにこのとおり。

房総半島を一周して、まだ薄暗い羽田空港にもどる。今朝の初日はまさにこのとおり。

■2005年(平成17年)元旦を飛ぶ

 昨日(2004年大晦日)は、関東地方でも昼頃からこの時期としては21年ぶりになる雪の晦日となった。どんどん降ってくる雪を見ながら、わたしは昼過ぎから例年自分の分担になっている「年越しそば」作りをしながら、もう飲みはじめていた。雪が積もってしまえば、車で買い物とかもかんがえなくてもいいし、もう家の中でゆっくりできる。我が家には暖房類はこたつもどきが一つしかないため、これに足をつっこんで一升瓶を横においてときどき飲んでいた。わたしが作業をはじめる前にはカミさんが故郷会津で年越しによくつくる「ザクザク(正式には小づゆというらしい)…これはわたしの実家でのいいかた」をこれまた例年どおりにつくっていた。これができあがったので、その味見を兼ねながら、一杯はじめてた。外の雪はというと、夕刻近くまで降っていたが、突然ピタッと止んでしまった。積雪は3cmというところだろう。元日はどこへも出かける予定はいれていない。いつもどおり、FS2004での初飛行をこのときはもう決めていた。

 天気予報どおり、関東地方はきょうは早朝より快晴だった。当初の予報では、初日の出は期待できなかったが、雪をもたらした低気圧がおもったより早く通過していったため、ひょっとすると晴天になるのでは…、という期待がでてきた。そして、今朝、そのとおりになった。6:50ごろ外にでて雪のある道路を少し歩いていたら、6:53ごろ初日をおがむことができた。自宅近くから大きく見える丹沢山系もあちこち白く雪を抱いてきれいであった。自宅にもどり、まずは仏壇へのあいさつ。それから、お湯を沸かして、コーヒーを一杯。昨日の残りの年越しそばがあるので、元日は特別にこれで朝食。そして、昨日作ってある「ザクザク」を肴にお神酒を頂く。ぐい飲みに3杯。1年中で朝から日本酒を飲むのは、この日だけである。旨い。一段落していると、カミさんが起きてきたので、正式に年始のあいさつ。よし、これで、いよいよ気合を入れて、2005年の初飛行ができる。と、準備にはいった。コースは例年同じ。羽田空港から離陸して、成田方面に飛び、房総半島をぐるーと回ってから、また羽田にもどる「年賀コース」である。

 FS2004を起動して、日本の羽田に空港を設定すると、ちょうど時間が6:50であった。今朝見ていたのと同じ時間である。これ幸いと、ANA Boeing747-400のスロットルを全開にした。グングン速度を上げてゆき、滑走路の切れる手前でようやく離陸。機体が重い。レインボウブリッジの上を通過しながらどんどん上昇をつづける。10000ftくらいで成田方面に向きを変えると、昇る元旦の朝日が正面からまぶしい。ゆっくりと大きく旋回をするように太平洋上へでて、房総半島をぐるっと回って、また北上して木更津の辺から羽田に侵入する。Boeing747は機体が大きいので、早め早めに機体を動かさないとなかなかおもい通りには飛んでくれない。滑走路を正面に据えたところで、徐々にスロットルをしぼりながら高度を落としてゆく。滑走路のランプがきれいだ。海すれすれのところから、滑走路に着地して、逆噴射。ブレーキングを利かせてようやく、停止。そのまま、ターミナルの方へ機体を移動した。およそ、30分ほどのフライトであった。今年もまた、いろいろなフライトがあるだろうが、まずは正月の元日初飛行は無事終了した。これで、また、落ち着いて飲める。

■スマトラ沖巨大地震&インド洋大津波

 年末にまたまたおもいもよらない大きな災害がおこり、おどろいてしまった。それも、FS2004で空母からの発艦・着艦などの訓練をしていたタイのプーケットやその近くのピピ島などでもものすごい数の被災者がでているようで、他人事とはとてもおもえなかった。まだ、援助活動もほとんど進んでいないみたいで、何ともやりきれない気持ちだ。あれだけの災害になると、もう科学文明がどうのこうのというのは、まったく役立ちもしないことがはっきりとわかる。

 きょうは、元日で時間があるので、本当ならプーケット周辺での訓練もできるのだが、不思議なものであまりやる気はしない。あの辺りが落ち着くまではそうとうの年数がかかるだろう。亡くなった多くの人とそのご家族にお悔やみ申し上げたい。自然災害に文句をいってもはじまらないが、災害がおこってみると、例によって、「以前から対策をこうじるように…」と勧告がでていたとかの話しが伝わってくる。しかし、どうかんがえても200年近くも何もおきていない場所で、津波の対策などとる人間がいるだろうか。日本でも、この大津波の発生を受けて、国内の海岸線の点検をしたところ、問題のあるところはごまんとでてきている。地震国日本にしてこれなのである。被害にあった国々の人たちにそれほど偉そうにいえるわけもないだろう。

 まだまだ復興などの段階にははるかに遠い。被災者の人数もはっきりしたことはわかっていない。毎日、その人数も変わっている。また、マスコミの発表する人数もそのメディアごとに異なっている。発表する側自体が、本当には人数の把握などできていないのだろう。これまた、責めてみても仕方ない。どこだって、同じ状態なのだ。人知を超えた自然災害にわれわれはただ呆然とする。そして、時間の経つにつれて、少しずつ回復してゆく。それが、過去からの、そして、これからの復興の仕方なのかもしれない。

 2005/01/01 (土) 14:26

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