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スマトラ沖地震被災地(プーケット)視察


タイのプーケット国際空港よりBaron58にて、これより津波被災地の視察につく。奥がインド洋。

タイのプーケット国際空港よりBaron58にて、これより津波被災地の視察につく。奥がインド洋。

中央の島が津波で多くの被災者を出したピピ島。右奥はプーケット島の南端。

中央の島が津波で多くの被災者を出したピピ島。右奥はプーケット島の南端。

ピピ島の上空へ。左奥のインド洋から大津波がこの島へも直撃したらしい。奥の島はプーケット島だ。

ピピ島の上空へ。左奥のインド洋から大津波がこの島へも直撃したらしい。奥の島はプーケット島だ。

プーケット湾とプーケット市街地を飛ぶ。湾内には米海軍空母リンカーンが停泊している。

プーケット湾とプーケット市街地を飛ぶ。湾内には米海軍空母リンカーンが停泊している。

無謀にも空母リンカーンに着艦をこころみる。何とか無事着艦できた。

無謀にも空母リンカーンに着艦をこころみる。何とか無事着艦できた。

■スマトラ沖地震津波の被災地プーケットを視察

 まさか、このような大惨事になるとはおもいもしないで、昨年夏ごろから毎晩のようにタイのプーケット湾に停泊している米海軍空母アブラハム・リンカーン上できびしい訓練をしていた。あの地震そして津波以来、被災地のことをおもうと、なかなかその空を飛んでみようという気持ちにはならなず、飛行訓練も厚木での訓練だけにしていた。ようやく気持ちも落ちついてきたので、被害の大きかったプーケット島とそのすぐ隣のピピ島周辺を飛んでみることにした。被災者への哀悼の意味もふくめて…。

 05/01/09(日)13:30、タイのプーケット国際空港をBaron58で飛び立った。いつもは、空母での発艦・着艦訓練で飛んでいるところなので、地理勘はある。しかし、F/A-18E Super Hornet(Team FS KBT氏作)での訓練が主であり、周辺の島々もそれほど意識して飛んだことはないため、きょうはプロペラ機でできるだけ低空を飛びながら、現地の地理や位置関係などをみてみることにした。わたしの手元にある世界地図では、プーケット島まではくわしく載っているのだが、ピピ島などは島名すら載っていない。新聞の記事に載っていた地図で、すぐにどの島かはわかっていたので、それをたしかめるのが、主な目的だ。

 飛んでから気づいたのだが、この周辺にはピピ島(これはかなり大きな島)以外にも、大小さまざまな島々が点在している。おそらく、それらの島でも、相当の被害があったと想像できる。日本のマスコミなどでは、日本人が滞在していたとおもわれる島だけが大きく報じられているが、これらの中の小さな島にもひょっとすると滞在者がいたのかもしれない。でも、それらを知る手がかりは日ごとにむずかしくなるだろう。亡くなられた方々に鎮魂の意を示すために画面上で合掌した。

 このプーケット湾には、わたしがいつも訓練用につかっている米海軍空母アブラハム・リンカーンが停泊しているので、その上も飛んでみた。そこで、急に「このプロペラ機でも空母に着艦できるのではないか?」とふとおもいたち、それではと急激に高度を落としながら空母の背後に回りこみ、強引に着艦をこころみてみた。もうすこし、スピードを押さえられればとはおもったが、時すでに遅し。そのまま進入して、空母の甲板をすれすれまでつかってようやく停止した。着艦フックなどないため、ブレーキを目一杯つかっての無謀な着艦であった。こういう気まぐれなところが、この飛行での特徴でもあるので、勘弁してほしい。

■日本人はどこにも…、そして教訓

 今度の巨大地震にともなう大津波で被災したインド洋沿岸の地域では、多くの日本人の被災しており、まだ亡くなった人が実際にはどれだけいるのかも、さだかではない。リゾート地として有名なプーケットなどは日本人の観光客も多いようだが、ほとんど話題にものぼらないすぐ近くのピピ島などにも日本人が滞在していたことで、被害が広がる一方だ。観光ででかけている人以外にも、仕事や保養などでいっている人もいるようで、ここプーケットどころか、被災した全地域に日本人がいっている可能性もある。世界のあらゆるところに日本人は進出しており、昔の中国人を連想させる。「こんなところにも日本人が…」とおどろくことが、とても多い。

 日本のマスコミは「日本人が…」という視点からだけ報道することが多く、まるで日本人以外は問題にしていないみたいだ。日本人以外の人々は、「総勢16万人」となる。これは、大新聞だけでなく、地方紙も同じ。そんなに同胞愛に燃えているともおもえないのだが、国外での災害などでは急にどの新聞・マスコミもじつに愛国的である。この辺はじつにおもしろい。

 現地では、まだ復興どころではないらしい。これからどれくらいの時間で、何とか生活できるようになるのかもわからない。しかし、いつまでも亡くなった人々をそのままにもできない。高温多湿の地域なので、今後の対応では、伝染病などの心配もある。すみやかに亡くなられた方々を荼毘にふし、被害の拡大を防ぐ必要がある。復興には相当な年数がかかるだろう。過去にも同じような被害があった可能性もあるだろうが、どうもその記録はないらしい。自然災害もきちんと記録に残すようにしていくことで、後世に被害の苦味を伝えることができる。今回の災害が、今度またくるであろう地震・津波の教訓として生かさせることを切に願っている。

 2005/01/09 (日) 17:33

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