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かなしい知らせ


■突然の訃報

 けさ(99/6/5)、先輩教師であり公私ともにお世話になっているY氏から職場に電話がありました。「A先生がなくなられた…」というかなしい知らせでした。死因はまだわからないとのことでしたが、とてもつらい気持ちがわきおこってきて、お通夜の用件などを事務的にきくしかできずに電話をおきました。目のまえには、あの日に焼けた笑顔のA先生の顔が浮かんできて時間がたつごとにつらくなってしまいました。

 この文章を書きながらも、あの優しいまなざしのA先生のおもいでが次々とおもいだされてきます。初任ではいってすぐに担任になり、右も左もわからずに必死で仕事に打ち込んでいた私にやさしく温厚な態度で相談にのってくださいました。あの当時のことをおもいだすと、目頭が熱くなるのを押さえることができません。角張った黒ブチのメガネをかけ、私がクラスのことで悩んでいるときにも親身になって相談にのってくださったあの姿や言葉がいまでもはっきりとおもいだされます。

 A先生はすでに10年ちかく前に退職されて、現在は自宅で悠悠自適の生活をされておられたようで、今年の正月にも年賀状をいただき、「今年こそはまたみんなで会いたいですね」と言葉をいただいたばかりなのに、もうお会いできる機会もないとおもうと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。せめてお元気なうちにもう一度「飲み会」にお誘いすればよかったと後悔の念がおこってきます。

■A先生のおもいで

 初任で中学校へ赴任した私は、そのまますぐに1年生の担任という仕事をすることになりました。私の机のすぐ前にはY氏が同じ1年生の担任としておられました。この学年の学年主任としてA先生が学年のまとめ役という大変な仕事をされることになったのが最初の出会いでした。お酒が好きな私とは対照的に、先生は「甘党」でいらっしゃた。お酒のかわりにコーヒーが大変お好きで、授業(国語)を終えて職員室にもどられると、よくコーヒーを飲んでおられました。その当時はタバコもよく吸っておられ、「胃がん」で一度入院されたあとはこの2つの楽しみは、すっぱりと止められたのです。本当に強い意志をもっておられました。

 釣りは大変な凝り様で、私もなんどか誘われて出かけたことがあります。「定年になったら妻の実家のある下田(伊豆の)で魚をとって暮らすんだ」となんども話しを伺ったことがいまでもおもいだされます。定年後は諸般の事情で下田への移住はされなかったようですが、毎年、年賀状では「エーゲ会をやろうよ」と誘いをいただいて、「今年こそは…」とおもいながら5年以上も過ぎてしまっていたのです。この「エーゲ会」というのは、私がA先生の下で3年生を担任していた年の11月に今の家内と結婚をして、その3年生が卒業した3月の下旬に新婚旅行で「ギリシア・エーゲ海の旅」に行ってきたのをキッカケに、同じ3年生を担任した先生方で結成してくれた「親睦会」の一種です。学校が変わっても横浜で飲んだり、夏休みには伊豆の下田周辺を旅行したりと、今でもたくさんのおもいでをつくってくれた会でした。ここ数年は幹事になるべき私の怠慢で開店休業の状態になっていたのです。A先生にはさびしいおもいをさせたのでは…と私が後悔しているのもこんな事情があったからです。

 あと4時間ほどでお通夜がはじまります。Y先生と1番乗りをしてご焼香をしないことには、私の気持ちがおさまりません。書いておきたいことも次々とでてくるのですが、まずはA先生への最後のお別れをしてこようとおもいます。

 「A先生!正直言ってぼくはガックリきています。ちょっと早過ぎるんじゃないですか?」

                                              1999/06/06/14:00

(追記)卒業生でこのページを見てくれている人もいるとおもいますので、故人には申し訳ないのですが、A先生とは「綾部政尾先生(国語)」のことであることをつけくわえさせていただきます。

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