TopPage


文化祭


■学校ごとに文化祭もさまざま

 今年の文化祭も終わった。今日は、秋分の日(9/23)で本来なら祝日であるが、昨夕終わった文化祭の後片付けのために午前中だけ生徒の登校になった。すでに、生徒たちは片づけを終えて、帰宅していった。生徒ばかりでなく教職員も今日は午後は休みなのだが、私は顧問になっている野球部の練習があるため、きょうは夕方までは学校に残っている。明日と明後日は振り替え休日になる。今日の午後の部活動については、振り替えようにも授業が毎日きちんとあるためそんな日は取れないので、ま、勝手にボランティアという形でやっている。今、ちょっと見てきたら、グランドをラグビー部と半分ずつ使い、練習をしていた。三塁に走者をおき、スクイズの練習のようだった。監督は野球部OBの大学生に嘱託という形で来てもらっている。こんなことはどうでもよかった。とにかく文化祭が終わってこちらも何となく虚脱感を感じている。

 先週の金曜日(9/20)に全日準備ということで、授業はなしで生徒たちも夜遅くまで準備に燃えた。そして、土日の文化祭本番では、ほとんどの生徒たちが(当然一部には、こういうのに燃えないタイプもいる。実は私もその一人です…昔から)私という転勤して来てはじめての文化祭を迎える者から見ても驚くほど、燃えていた。「若さのオーラ」とでもいうのか、とにかく男子も女子も本気でやっていた。あの授業中、机に顔を張り付けている睡眠くんも、まるで人が変わったように踊りまくっている。こちらは、PTAのお母さん方が販売している50円の焼き芋を頬張りながら、その生き生きした身体の動きに目を奪われている。久しぶりに見る「高校生らしい文化祭」である。見学に来ていただいた方たちも、「なかなかやるなー」というような顔をしながら見てくれている。生徒たちもその視線を感じるのか、いつになくエキサイトして、そのパフォーマンスに力がはいる。スポーツの盛んなこの学校では、身体を動かして踊るような演技はかなりのクラスが取り組んでいる。校舎と校舎にはさまれた広い場所(中庭とか呼ばれている)は格好の演技場と化す。周囲にはテントが張られ、その中では飲食団体のクラスによってたこ焼やカレー、お好み焼きなどなどが売られている。調理も思った以上に上手で、お客の評判も悪くない。私が想像していた以上に生徒たちが自分で動いている。担任に頼るというような雰囲気はほとんど感じられない。私が副担任になっているクラスも担任が「何も準備しないので、困っている」と洩らしていたが、直前になって動き始めるやすごい集中力でなかなかのパフォーマンスを完成させていて、私も驚いた。

 今まで25年近く、中学・高校の文化祭を見てきた。それぞれの学校事情もあるので、単純に比較しても意味はないが、この学校の文化祭は外部の人が見に来てもそれなりに満足して帰ってもらえるだろうな、と初めて見た感想として持てた。いろいろなレベルの学校へ行けば、もっと違った感想を持つのだろうが、何せ「底辺校回り」の年数の多かった私にとっては、比較する対象が限られてしまう。こうして、部活中の部員を監督さんに任せて(と言っても顧問のいない部活はありえない!)駄文を書いているのも、おそらく何年もこの学校で文化祭を見ていれば、これが当たり前になってしまい、こうした印象もそれほど感じなくなるのはわかっているので、終わったばかりの感想を残しておくのもそれなりの意味はあると思ってのことである。

 今回の文化祭を見るまでは、「文化祭など時間の無駄で学校に必要ない!」と本当に思っていた。今は「これだけできるのなら、やるだけの価値はあるかな?」と正直考えが少し変わってきた。あまり自分の考えを変えるのは好きなほうではないのだが、いいものはやはりいいと認めるしかない。この学校にもいろいろな考えの教師がいるから、感想もさまざまだろうが、私は正直なところ、ここの文化祭は気に入った。企画している生徒会や文化祭実行委員会そして生徒会担当職員の方々の苦労は大変だったと思うが、そういう裏方の仕事は、見に来てくれた人々の満足そうな顔で十分に報いられると思う。今年はクラスの副担任という立場で、どちらかというと、この行事を覚めた目で見ているのかもしれない。来年度にクラス担任にでもなれば(本人はその気でいるのだが)、また生徒たちの違った面を見ることになり、感想も変わってくることだろう。むしろ、それでいいのだと思う。生徒もこちらも毎年(いや瞬間瞬間ごとに)変わっているのだから。

■文化祭ってなんだろう?

 まだ、昨夕までのあの喧騒とした校内の音が耳についているのか、シーンとなった物理準備室でこれを書いていても気持ちにあの余韻が残っている。よく言われる「祭りのあとの物悲しさ」ともちがう、何か大きな仕事が終わったあとのちょっとしたエアーポケットのような気持ちか。ただ、この係りに当たった人たちともまたちがう気持ちのように感じる。文化祭は学校では年中行事化している。毎年秋になる頃、いろいろな学校でこの行事が行われる。何でか?実は、私にはわからない。おそらくは、まだ学校制度がそれほど浸透していなかった明治の中頃に、帝国大学辺りで、一般庶民に研究の一端を紹介するために行われたのが最初なのかもしれない(これは、私の憶測なので何の資料的な証拠もないけれど)。文化祭だから、「お祭り」の一種なのかなと思うと、どうもそうでもないらしい。教員の側から「文化祭にふさわしくない」とかの意見も出るところを思うと、文化祭にはある許容範囲があるらしい。私にはわからないのだが、文化に見合うような何ものかがあるのかもしれない。

 大学や高校では、今や文化祭では出店やライブ演奏(大学などでは本物の歌手を呼んでのコンサートなど)が定番になっている。研究発表などを地道にやっているところもあるのだろうが、そういうところにお客はあまり行かない。お祭り気分を味わえるようなところに自然と人が集まってしまう。言うまでもないと思うのだが、地域でよく行われているお祭りも立派な文化である。それを、学校でやろうとすると、どうも教育の臭みがついてしまう。「教育」という言葉は、何にでも使えるあいまいな言葉だ。何とでも解釈できる。この「教育」とこれまたあいまいな「文化」とさらには「祭り」が合体しているのだから、機動戦士ガンダムではないが、トンデモナイ形になってしまう。でも、終わると「いい文化祭だったなー」などという。まったく訳がわからない。

 文化祭を「文化的なお祭り」と考えてしまうと、いろいろ意見をいう人もいるので、「学校祭」「学園祭」などと言ってしまえば、「三社祭」のようにもう立派なお祭りになる。祭りに七面倒くさい講釈はいらない。普段の学校生活は「褻(ケ)」の日であり、こういうお祭りのときは「晴れ(ハレ)」にあたるのでしょう。学校というところは、普段は授業などで生徒も息が苦しくなっているものですし、たまに「ガス抜き」の意味も込めて、こういう行事も必要なのかなとも思います。ただ、今もって「文化祭」を学校でやる意味はよくわかりません。それでなくても、完全5日制になり、授業時数の確保も容易でないのにもかかわらず、これで1週間もつぶしてしまうには惜しい気もするのです。ま、「こういう経験もまた勉強」などと言われれば、そうかもしれませんが、お祭りなど地域にもどればいくらでも経験できることですから、それをわざわざ学校で…というのがいつも疑問に感じていることです。

 現任校での文化祭はそれなりのものを感じさせてくれたので、私の考えにも少し変化がありましたが、また、いずれか「底辺校」辺りにもどれば、また「文化祭など不要だ!」とわめくかもしれません。生徒は動かず、担任が追い立てるようにして、かろうじてできる行事になっていますから。状況によって、考えが変わるのも情けないような気もしますが、それがふつうのようにも思えます。生徒が自主的に動いてくれるようなレベルの学校ばかり勤務しておれれば、こんなひねくれた考えをもつこともなかったのかな?とふと過去を振り返っています。

 2002/09/27(金) 15:16

■ 前のページへ ■ 次のページへ ■ メニューへ ■ TopPageへ