TopPage


懐かしの瀬谷西高校生たち


■懐かしい顔、顔、…、名前?

 昨夜(2004/07/03(土))、横浜中華街のホテルで行われた平成10年(1998年)3月瀬谷西高校卒業の学年同窓会に出席してきた。できて間もない「みなとみらい線」を利用して、会場近くの駅に降り立った。ホテルまではちょっと迷ったが、ほどなく見つかり、無事到着。集合時間の20分前に着けた。受付で会費を払うと「大竹先生きょうはどうも」と見覚えのある元女子生徒に声をかけられたが、「エー…、と誰だったかな?」と早速の名前消滅症候群。顔は覚えているのだが、名前がまったくおもい出せない。「誰だっけ?」と訊くのも失礼だし、「元気そうですね」などと口ごもりながらもそもそ。ついでに、ちょっとだけ「寸志」も出して、空いているソファーに腰を下ろした。用意してきた「卒業アルバム」(数日前に何とか見つけた)をザックから出して、急いで卒業してから経つ6年という日々を埋めようとするが、困難を極める。不思議なもので、顔は意外に覚えているものだが、名前はまったくおもい出せないのだ。毎年変わる生徒たちの名前を入力しつづけていると、記憶の奥のほうへと入り込んでしまった名前はなかなか喉もとへもあがってこない。昨夜、そのときの同僚の名前も浮かんでこないので、「こりゃ、だめだ」と情けなくなってしまっていた。その同僚の名前は、何とか予習して覚えこんだが、生徒たちまでは手が及ばなかった。まあ、会場に入れば何とかなるだろうと、気楽に構えることにした。

 今回の学年同窓会は、その学年の有志が集まり、5月頃にやることを決めて、葉書きでの案内をおこなったとのこと。296名の卒業生に葉書きを出して、100名ほどは戻ってきてしまったと幹事役の生徒さんがいっていた。この夜集まったのは、総勢58名で内4名が教員だった。まずは、参加者全員で記念写真を撮り、その後、立食バーティー形式で式がはじまった。最初は遠慮がちだった雰囲気が、ビールでの乾杯のあとはすこしずつ打ち溶け合って、卒業後6年という年月を足早に埋めるかのように、会話に華が咲いた。わたしは、こういう同窓会には大抵「卒業アルバム」を持ってゆくようにしている。けっこう重いので、荷物にはなるが、生徒たちの間でもお互いの名前を忘れてしまっていることが多く、そういうときに役に立つのは経験的に知っていたからだ。もちろん、こちらの記憶喪失を助けてくれるのも…。今回もこのアルバムはかなり役立った。記念に何人かにはアルバムのメモ欄に書き込みもしてもらった。これが、また次回には、役立つことがはっきりしている。

 彼らは、わたしが瀬谷西高校で1年生から3年まで担任をした生徒たちなので、それぞれの学年で同じクラスだった生徒も多い。しかし、記憶が混乱してしまっていて、だれが卒業時にわたしのクラスだったのかは、このアルバムで確認しないと、わからない。何回も卒業生は出していても、かならずしも卒業時のクラスの生徒たちを強く記憶しているというわけではないからだ。中には1年次に担任した生徒をしっかり覚えていたりするから、記憶というのは何とも不思議である。ビールを飲みながら話しているうちに、ふいに名前をおもい出したりもする。アルコールで意識が緩みかけたときのほうが、過去の記憶は浮かび上がってくるのかなともおもう。わたしにとっては、今でも思い出に残る学年であったし、学年職員もいい雰囲気だったせいか、全体の印象がとてもいい。こういう機会というのは、職員にとっても、生徒たちにとってもそういつもあるというわけではない。教員と生徒たちの相乗効果がうまく働いたときだけに生まれるのだろう。いい学年に出会えて、よかったと今でもおもう。

■こういう会は幹事の気力次第

 わたしも自分で山岳会を長くつづけているからわかるが、こういう「〜会」というのは、声を出して「やるぞ!」という人次第で、つづくかそれっきりになるかが決まる。多少強引でも、その幹事役になっている人が、毎年仕切っていてはじめて長くつづく。幹事役になっている人は、だから、じつに大変ではある。が、こういう人々の出会いの場をつくってゆくのも、それなりの喜びのあることだとおもう。別に、これをやって、どうこうなるわけでもない。いい雰囲気で終わって当然のようにおもわれているし、こういう役をしたことがない人は、一生そういう大変さがわからないかもしれない。でも、誰かが声を出さなければ、こういう付き合いは絶対にはじまらない。

 よく幹事は持ち回りで、と考えられがちであるが、それはあまり効果的ではない。最初に声を出した人が、ずっと取り仕切るに限る。こういう声をはじめに出す人は、決して目立った人でないことも多い。不思議なことに、学校関係では、まず成績トップなどという人たちは、この手の声を出さない。多くの人たちへの連絡をしたり、会場を準備したり、雰囲気を気にしたり、と苦労は絶えない。それをしても、自分の身銭を切ることのほうが多いのだ。それでも、細かいことは気にせずに、明るくみんなとの出会いを楽しみに、こうした仕事をしてくれる幹事の人にわたしはいつも感謝している。本業でやっているわけなどない。ただ、そういう場を創ろうという意識だけでやっている。それは、人間としてとても大切な姿勢だとおもう。

 地方ならがっちりとした人間関係が出来上がっており、そうした役回りを持ち回りですることも可能かもしれない。しかし、都市部はそういう人間関係は希薄である。こうしたときには、幹事役になる人は、かなり強引にことを進めないと、なかなかみんなが動き出さない。こういうイベントに参加する動機のエネルギー準位は、みんなそれほど高くはない。ある程度の回数または年数をつづけて、ひとつの流れができるまでは、みんなを引っ張ってゆく強引さが必要なのだ。今回幹事をしてくれた松田くんや永島くんには感謝したい。そして、もし、この同窓会がこれからもつづくものならば、しばらくは大変だろうが、引きつづき幹事を頑張ってほしい。何でもそうだが、長くつづけることはじつに大変だ。それも、社会的な仕事の面でも、一番の働き頭になる時期と重なっている。大変なことはだれがいわなくても、当人たちが一番よく感じていることだろう。つづけていれば、きっと得るものはある。わたしたち、教員にできることは、同窓会に参加するということだけかもしれない。でも、わたしは連絡がくれば、万難を排して参加する。こういう席に呼んでもらえることは、教員にとっては、どんな賞や金品よりも、一番の喜びである。卒業してゆく生徒たちに再び会えるというのは、教員にとっても、そう確率は高くない。その出会いの場を創ってくれる人たちにわたしたち教員は大いなる感謝の気持ちをもつのは当然だろう。

 幹事さん!そして、忙しい中参加してくれた多くの卒業生のみなさん、本当にありがとう。また、会える日を楽しみに待っています。いい同窓会でした。

 2004/07/04(日) 10:05

■ 前のページへ ■ 次のページへ ■ メニューへ ■ TopPageへ