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「白線流し」を知っていますか?


 ■卒業式ももう間近か
 ふとしたきっかけで、何年か前にフジテレビ編『「白線流し」をしっていますか』角川文庫という本を手にして、もう何度も読んでいます。とくに卒業式のシーズンを迎えると、何とはなしにこの話が気になっていました。飛騨高山市にある「岐阜県立斐太(ひだ)高校」で、伝統的につづいている行事だそうで、とてもすばらしい行事だと感心して、一度は現地を訪れてみたいと思っていました。この「白線流し」という行事は、カメラも入れない厳粛な卒業式のあとに、学校の前を流れるダイハチ川に、男子生徒は学帽につけていた白線を、女子は白いスカーフをみんなで結びつけて、この川に流して、学校を去るという行事なのだそうです。残念ながら、わたしは、この行事をドキュメンタリーにして放映したものも、それをドラマ化したものも見ておらず、本で読んだものをただ自分の想像で補って今まで来たのですが、いつか機会があれば、この学校を訪問してみたいという気持ちだけは不思議と持ち続けていたのです。もうすぐ卒業式。今年も3月1日にはこの行事があるはず。昨年、機会あって訪れたときのことを少し書いてみようと思います。

■飛騨高山へ

 2002年8月14日に時間ができたので、妻と娘を車に乗せて、早朝から飛騨高山を目指して中央高速を飛ばしました。5時間半ほどかけてようやく高山についたのが10時半頃。地図では細かいところはわからなかったので、一方通行の多い市内を適当に走り、途中で地元の人に「斐太(ひだ)高校はどの辺にありますか?」と聞いて、車を進めました。町のはずれの方にあるとのことで、車をゆっくり走らせながら進むと、小さな橋が現われ、その向こうに高校が見えました。上の写真にあるのがそれです。これは隣に車道もあるのですが、本当に小さな橋です。合崎橋というのだそうです。高校のグランドではちょうど野球部が練習をしていました。わたしも自分の勤務する高校では、野球部の顧問をしているので、グランドのフェンス越しにすこし練習を見ていました。この橋の下を流れる川(正式には大八賀川というのだそうですが)が通称「ダイハチ川」といい、「白線流し」の行事が行われるところです。行った季節は真夏ですから、写真のように緑も多いですが、卒業式の行われる3月1日には、まだ雪がたくさん残っているものと思われます。この川が、何度も読んだ本に出てくる川かと思うと、何てことない川ではあっても真剣に見てしまいました。川の両側に卒業生と在校生がそれぞれ岸を分けて整列してこの行事を行う姿が見えるような気がしました。おそらく、やっている本人たちは寒くて嫌だろうなと思いますが、それがまた時間が経って振り返ったときになつかしく思い出されるものなのでしょう。

■自分の高校の卒業式と重ね合わせて

 わたしも故郷にある福島県立会津高校を卒業して、早30年以上も経ってしまいました。男子校でしたから、本当にむさくるしい感じを当時はもっていたのですが、今となればそれもいい思い出です。ただ、わたしの記憶にあるのは、卒業式ではなくて、その前に行われた予餞会(?)のときのことです。じつは、卒業式には出席していないのです。3月1日に行われた卒業式に出る前に、国立1期校の入試が3月3日からはじまるために、会津を離れていたからです。当時は、首都圏や大都市にある国立の大学を受けるのがふつうでしたから、卒業式に出るという意識があまりなかったように思います。そのせいか、どうも高校を卒業した実感を持てないまま成人になってしまったような気がしていたのです。何か、大切なものを残したまま、それをいつまでも引きずっているというような感じでいたのです。この「白線流し」という本を読んだとき、自分が感じた「何かのケジメをつける」ということが、じつは卒業にあたって必要なことなのではないかと思えてきたのです。何か、普段やりそうもないことをきちんとやって、それで踏ん切りをつけるということです。そんなわたしにとって、「白線流し」の現地を訪ねることは、自分の高校時代に一つのケジメをつける旅のように思えたのです。これをまとめた、フジテレビのプロデューサーの方も書いておられますが、同じような気持ちでこの「白線流し」のドキュメンタリーとドラマを作ったということです。高校時代は、現在でも人生で一番印象に残る時期ではないかと思います。わたしにとってもそうでした。いろんなことに挑戦し、悩み、苦しみ、楽しんで送った高校時代。校舎はボロだったけど、今にして思えばなつかしい。そんな時期の生徒を今度は自分が教師として見ている不思議さ。そんなことが、次々と頭に浮かんでくるのが、この卒業のシーズンです。

■ようやく高校を卒業

 この小さな旅をして、自分の高校時代にピリオドを打つことができたような気がします。ふっきれたというか、心の奥底にひきずっていたものをようやく冷静にほぐしていけるようになったのです。卒業式なんてどうでもいいや、という気持ちが生徒のときにはあるものです。でも、きちんとケジメをつけておかないとやはり時間がたつに従って、その隠れたものが次第に気持ちの中に気になる部分として固化してくるのかもしれません。どっかでこれを溶かし込んで、時間の流れに流してゆくことも大切なのでしょう。

 わたしの勤務する高校でも3月5日( 本来なら3月1日のはずが、入試の発表がずれ込んでこの時期に)に卒業式があります。ここで紹介したような行事はありませんが、それぞれの生徒が3年間の思い出を胸に、新しい世界に羽ばたいて行きます。毎年ある学校の行事ですが、毎年その感じ方は変化しています。自分自身も年々年老いて、送る生徒たちとの年齢も離れるばかりです。彼らの未来に希望あれ!と祈らずにはおられませんが、これからの人生にきびしさもあることは言うまでもないことです。万年ヒラ教員のわたしにとって、彼らが自分の人生を自分自身にとって悔いのないものにするように精一杯やってくれることだけが願いです。

 卒業の時期になると、どうも涙腺が弱くなってしまう昨今ですが、ようやく自分自身の高校時代にケリをつけた気持ちを思い出して、今年からは明るい拍手をもって卒業を祝いたいと思っています。卒業生の健闘を祈っています。

 2003/02/23 (日) 18:19:41

★TVドラマ「白線流し―25歳―」を見ました(「白線流し」その後)

 昨夜(2003/09/06(土))、「白線流し」をTVドラマ化したものをはじめて見ました。知らぬはわたしばかりで、妻や娘たちに聞いたところ、このドラマは2年おきに、卒業後の仲間たちを追う形で放映されていたとのこと。昨夜見たものは、卒業後7年経った(ドラマの中で)人間模様をやっていたのです。高校を卒業して7年経てば、それぞれの生活ぶりも当然変わり、みな違う人生を歩んでいる。そんな中にあって、やはり高校時代の仲間が、お互いどうし心の中で支えあっている姿が描き出されていて、ひさしぶりにTVドラマを最後まで見てしまいました。21:00〜23:09までの2時間ドラマでしたが、途中でダレることなく見れました。そういえば、自分にとっても25歳くらいのときは、人生の岐路でもあったなーなどとおもい出しながら見ていました。

 このドラマでは、長野県の松本市が彼らの母校のある場所に設定されていますが、もちろんこの「白線流し」という卒業時の行事が行われているのは、上に書いた岐阜県立斐太(ひだ)高校です。でも、TVドラマにするには、やはり飛騨高山でよりは松本市のほうが知名度や風景などの点からも利点がありますから、そういう設定でドラマが作られたとおもいます。このドラマのもとになったドキュメンタリー「別離の歌〜飛騨高山の早春賦・『白線流し』〜」は92年3月29日深夜1:00〜2:30にフジテレビで放送されたそうですが、もちろんわたしはこの放送を見ていません。そして、このドキュメンタリーを連続ドラマ化して放送されたのが、96年1月11日〜3月21日(連続ドラマ化)だそうです。こちらもわたしは見ていません。それから、このドラマは2年ごとにやっているとのことでしたが、うかつにもすべて見逃し、今回はじめて見たわけです。ほとんど本だけの世界でいろいろ想像していたのですが、ドラマで見ると、やはり自分の描いていたイメージとはかなりちがいました。ドラマでは、7人の仲間たちのそれぞれのつながりが中心に進行しているのですね。ドラマですから主人公にあたる人物がいて、その人を中心に流れを作っていかねばなりません。ですから、この高校を卒業した生徒たちが、その後どのような生活を送って大人になっていくのかを全員分描くことはできません。ドラマですから、それでいいのです。わたしが勝手に想像していたのとは違うのが当然です。それでも、しっとりとしたいいドラマになっていると感じましたから、今度また放送されるときも見たいなとおもいました。

 こういうドラマを見てもおもうのですが、学校などで教えている立場にある人たちというのは、自分もふくめて本当に高校なり大学なり、どのレベルの学校でも気持ちの上で卒業しているのかな?という疑問です。わたし自身について内省してみると、どうもいつまでもそれらの学校をひきずって生きているような気がしてならないのです。卒業できていないので、いつまでも学校にいるのかもしれないなーとおもうのです。学校ものの本やTV番組・映画などに知らず知らず惹かれている自分の中では、まだそこから卒業できないでいる自分がいるような気がするのです。ひょっとすると、一生そういう状態から卒業できないとすると、本当に「一生学校漬け」で終わってしまうかもしれません。いつまでも、気持ちも身体も「立派な大人」として社会的にも見なされる存在にはなれないのかもしれないのです。こういうドラマを作っている人たちも、それを見て昔を懐かしんでいる人たちも、そういう意味では、みんな「卒業できない」人たちなのかもしれませんね。わたしの妻などは、この手のドラマなどにはほとんど無関心です。彼女は立派に卒業してるにちがいないのです。「何かに捉われている」人は、それを卒業できない人なのか、ともおもえてきます。

 わたしもあと残り10年ほどで、教員生活も終わりになります。はたして、それまでにきちんと気持ちの上でも「学校」を卒業して、残りの人生を自由に楽しめることができるか、ここ数年が大事な時期かなと自分ではおもっています。50歳代は人生の中でも一番病気やケガなどで死亡率が高い時期なのだそうです。この時期を乗り切るのは大変だろうなと感じています。自分なりの習慣をきちんと見直して、プランを立てて生活していきたい。そのときの、心の支えは小学校からはじまる学校時代に付き合ってきた友人たちなのかな、と最近ふとおもうようになってきた。同級生の中にはすでに事故や病気などで他界してしまった人もいる。今、友人たちと過ごしてきた長い学校時代を静かに振り返っています。

 2003/09/07 (日) 19:15

★TVドラマ「白線流し・夢見る頃を過ぎても(最終章)」を見ました

 昨夜(2005/10/07(金)21:00〜23:22)、フジテレビでドラマ「白線流し」の最終回を見ました。その日の朝刊で放映を知り、チェックして職場に向かいました。前回の放送からほぼ2年ぶりです。当初のスケジュールでは、今朝(10/8)から八ヶ岳に登山に行く予定になっていたのですが、諸般の事情で中止になってしまっていたので、幸いにもこのドラマをゆっくり見ることができました。「今夜は飲み会があってもいかないぞ…」と決めていました。

 ドラマでは高校を卒業して、8年後の仲間たちのようすが、淡々と映し出されており、それぞれの日常生活の中でだれにでもあるような悩み・苦しみ・喜びなどが自然に描かれていました。もう、10年目になるドラマということで、ドラマの世界ではあるけれど、共演者の人たちの演技もごく自然にかんじられ、時の重みをかんじました。今回が最終回ということで、それぞれの俳優の方々にもせまる思いもあったようです。ネットで「白線流し」を検索してみたら、ものすごい数のヒット数がでました。なんでも、このドラマのファンの会もあるようで、その集いの案内もでていました。「白線流し」が実際におこなわれている岐阜県立斐太(ひだ)高校での本物の現場写真も公開されていました。今回の放映では、上に載せたこの高校の校門前でのシーンもあり、訪問した際のことも思い出されて、懐かしかったです。

 ドラマが終わって、妻と話しているとき、「何で、学園ドラマって高校なんだろうね」とふとおもいました。「韓国のドラマでもその発端は高校のときがほとんどだよ」と韓流ドラマにはまっている彼女もいっていました。人生の中でのたった3年間がそんなに人生に影響しているのかは、わたしにはわかりません。これは、人生においてもっとも多感とおもわれる16歳から18歳くらいに高校がかさなっているせいかな?などともかんがえてみましたが、これも憶測です。もし、これが今はやりの「中高一貫」ともなると、6年間もの期間になるから、おそらくこういうせっぱつまったような感情になるのかは、なんとなく疑問におもわれます。

 とにもかくにもドラマの「白線流し」はおわりました。ドラマを演じた人たちも、それを見て自分の高校時代に想いをはせた人たちもそれぞれが自分の「白線」を胸に人生をおくられるのでしょうね。わたしもこのドラマそして原作の本を読んで、自分の高校時代がいかに自分の人生の中でずっしりとした重みをもっていることを感じさせられました。毎日、高校で接している生徒諸君は、ちょうどその青春の真っ只中にいるわけです。それを、見守り、応援していく立場にいるわたしには、彼らにも「白線流し」と同じ思い出をもって卒業していってほしいという願いがあります。「白線」が同じときを、同じ場所ですごした仲間の象徴なのだろうとおもうのです。

 2005/10/08 (土) 9:39 

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