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金太郎飴『管理職』


■どいつもこいつも

 本年度4月から私の勤務する職場の管理職(学校ですから校長・教頭)が2人とも変わった。前校長は退職を、前教頭は校長へ昇進して他の職場へ移った。その後任として2人の管理職がやってきた。2人ともはじめての管理職であるためか緊張していることは端で見ていてもわかったが、それにしても着任してはや3ヶ月。もう、職場に慣れて仕事も板についてきたのかなとおもっていたが、どうもようすが変だ。さらにもう7ヶ月がたってしまった(これを書き始めたのは4ヶ月前)がやはり変だ。

 まず、私の勤務校は学区の最底辺校で学区外からもあまり感心しないタイプの生徒が多数入学してくる。それで、通学マナーの悪さや校内での喫煙・喧嘩・いじめなどが絶えず、それへの対処策として授業時間中の巡回(これをやると授業の成り立っていないクラス…教員が悪いのか生徒が悪いのかわからんが…たぶん両方?)と休み時間の徹底的な立ち番を昨年度から実施している。現3年生のクラスはもう手のつけられないほど荒れてしまっているので(3学年は1学年時から学年全体がガタガタ)、校舎も棟が1・2年と別れているのをいいことに3年生だけは見放して好きなようにやらせている(早く卒業して出て行ってくれ!)。話はもどして、この巡回・立ち番については職員の完全なボランティア的活動に頼る形で何とか実施しているので、前年度までの管理職は私などの口うるさい職員にいわれて時々は巡回・立ち番をしている職員に声をかけにようやく出かけることになってきたところで、終わりとなった。

 今度変わった管理職にもこのことは何度も話をしたのだが(学年主任という立場で)、2人とも2学期が終ろうとしている現在になってもまったく校内を回って生徒の実態も見たこともないのだ。いつも校長室と職員室にそれぞれ引きこもって事務仕事をしており、学校内のことにはほとんど顔を出さないでいる。いつになったら行動を起こすのか興味をもって見ている。そんな彼らでも、新しいカリキュラム作りなどというと元気に大声を出しているのである。大体、そのカリキュラムで教育を受けるべき生徒の実態を何も知らないものがそんなものを作ってみたところで一体何の意味があるというのだろう?作るだけ作って自分たちは2年程で他校に転出するに決まっているのだ。まったくの無責任体制になっている。それと、とくに最近になって強く気づくことなのだが、管理職としてやってくる連中の全くの「無能さ」と県教委への「忠節の強さ」である。まるで、学校に県教委の出先機関みたいな気持ちでやってくるのだ。元々教員上がりなのだから、一般教員の気持ちもわかっているのだろうという期待は無理である。何せ、ヒラメのように上ばかり眺めて仕事もろくろくできず、研究会とかの仕事に精出し、同じようにしてなった上役の校長・教頭に気に入られてはじめて管理職の道が拓けてくるのだからだ。だから、来る管理職、管理職がまるで「金太郎飴」のように同じような行動をとるものばかりになってしまったのだ。管理職に諌言するようなうるさい職員は返って疎まれてしまうのがオチである。

 こんな状態で、県は「教育改革」などと文部科学省の猿真似のようなたわ言を言い出しているのを現場の教員たちは冷たい視線でシラーと見ている。もちろん、この一般教員にしたって、本当にまともに仕事ができるのは2割である。あとの6割も何とか仕事をしているだけで、最後の残りの2割はほとんど仕事にならない。生徒たちからも相手にされないので、授業は完全崩壊である。これは、どの学校へ行っても同じである。自分も時々はどの範疇に入るのかを胸に手をあてて考えてみるが、6割の中にかろうじて入れてもらえるかな、とおもっている。上に述べた管理職になるような人はどこに入るかというとどうも仕事のできる2割に入る人は本当に少ないというのが職場で見ていての実感である。

 現在でもまだ公立の学校の管理職は役所と同じで「名誉職」になったままだ。本当に仕事ができてなるような職階ではないのだ。むしろ、責任感をもってリーダーとして職員をも引っ張っていけるような人物は返って管理職などにはなれないようなシステムになっているのはまちがいない。私の身近な先輩でも、どう考えても校長として職員の信望を集め、リーダーシップをとっていけるような人が管理職にならずに、どうでもいいような人物、ほとんど仕事もまともにできず不倫などには精出しているような人物がいつのまにか校長などになっているのを見ると、まったく笑いがとまらなくなってしまうのが現実だ。(ちなみに「リーダーLeader」のLeadというのはLead(鉛)が語源で、要は鉄砲の玉(鉛製)から来たとのこと。一番先頭にすっ飛んでゆくのが、その意味。おそらくそんなことなど私の職場の管理職は知る由もないだろうが……)

 藤原和博氏の書かれた『プライドー処世術2』新潮社にピラミッド型の人事でなくて、リサイクル人事みたいな面白い提言があったが、私も賛成である。一旦校長までなったくらいの素晴らしい人なら、数年校長をやったらまた一般教員にもどり、その見識の高さを現場の教室で生かしてから教員を引退するというものだ。これで、本当の実力が十分に発揮できるというものだ。教室で生徒に教えることのできなくなった教員を「教師」とは呼べないはずだからである。教員になったら最後はもとの教員にもどって引退を迎えるのが「スジ」というものであろう。これこそ本当の「天下り人事」で、役所でもこれを取り入れたら、官僚の世界はあっという間に変わってしまうだろう。私の天下り案は、「校長は50歳から56歳までとして、残り4年は一般教員として勤務して定年を迎える」というものだが、どうでしょうか?みなさん!

毎度毎度、管理職などの批判がましいことばかり書いているので、「お前さんが管理職になったら、本当に仕事ができるのかい?」という意見も出てきそうにおもう。がしかし、心配はいらない。私は管理職などになりたいわけではなくて、学校そのものを新しく自分で作ってしまいたいとかんがえているからだ。管理職でなく経営者として学校作りをしたいとおもっている。校長などと言ったって所詮は中間管理職。学校を自分の理想に近づけるためには、学校そのものを自分で作るしかないとかんがえている。ただ、まだ機は熟していないのと、資金が足りない(これは、頭の使いようだろうが…)ことだ。それに、「学校制度」そのものに疑問があるのが難点だ。学校組織はもう時代の流れからは取り残された遺物でしかないような気がしている。だから、新しい「学びの場」をどのように作ってゆくかが今後の課題になるとおもっている。

★★ついでにもう一つ。かなり前に買って放っておいたクリフトフ・アンドレ&フランソワ・ルロール著、高野 優訳『自己評価の心理学』紀伊国屋書店という本を読んでみたら、これが実に面白い。このホームページでもコーナーを作って少しだけ書いてそのままになっている(実は、どういう風に書くか迷っている)「ピーターの法則」の心理面にせまるような内容になっており、少しずつもつれた糸がほぐれ出している感覚を味わっている。もう少しで読み終えるが、この本はあまり人には薦めたくない。教えたくないが書いておく。私も本屋で立ち読みして、面白そうなので買ってみたが、当然1冊しか置いていないマイナーな本のようで、内心\(~o~)/であった。こういう何も関係のないようなところから、新しい展望が開けてゆくのは何とも楽しいものですね♪♪

 2001/11/04(日) 09:48

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