TopPage


殺し文句(その1)…生徒のために


■「生徒のために…」

 昨年の職員会議でこんなやりとりがありました。昨年度の1年生は荒れており、校外のコンビニなどから、放課後に本校の生徒が店内で飲食をしたり食べ散らかしたりで困る、との苦情電話が何度もあったのです。そこで、1学年の担当職員がそのコンビニに何度か出かけたのです。電話があってそのコンビニに着いた頃には、生徒たちはすでに姿を消し、結局無駄足になってしまったのですが、このコンビニからはそれ以降も何度も苦情電話があったのです。そこで、わたしは「こういう校外でしかも放課後の生徒指導など実際上無理なのだから、すぐに警察に連絡してもらえばいい」という趣旨の要望を生徒指導部・管理職に出したのです。そうしたら、笑ってしまうことに、いつも職員会議には出席もしないA教諭(クラス経営もガタガタ)が「すぐに出かけて行って生徒の指導もしないで、すぐに警察などに頼るのはよくない。そういう発言は生徒のことを考えていない発言だ」との意見が出たのです。わたしは、反論する気持ちは起きませんでした。普段の生徒の指導ぶりを十分に見せてもらっているので、反論するまでもないと考えたからです。

 過去に勤務した職場にもかならずこのような教員が何人かはいたものです。生徒の側に立った「金八先生きどり」の教員が…。決り文句は「生徒のことを考えて…」です。生徒の指導をきちんをやろうとすると、それは「生徒の自主性」を尊重しない良くない教員になってしまうのですね。この人の頭の中では。その反応振りはまったく驚くほどワンパタンです。「おそらくこう反論するだろうな…」と予想しながら発言すると、決まったように同じような反応があるからです。自分は「いつも生徒の立場を守る正義の味方」を気取っており、それが他の職員や生徒になどの及ぼす影響を自覚してませんから、始末におえません。

 毎日、学校で仕事をしていると、じつはこういう教員はとても多いのに気づきます。私自身の中にもそういう傾向はありますし、ときおり「生徒のために…」などと口にしている自分にハッと気づき、「これってウソだよなー。本当は組織や自分のためだよなー」と思いなおすこともあります。神の身ならぬ俗人の身において、「生徒(他人)のために…」というのは、あまりにきれい事すぎるように思えます。しかし、現実の学校においても、この魔術のような殺し文句「生徒のために…」は教員のみならず、子どもからも父兄からも出てくる言葉なのです。吉本隆明氏ではありませんがこれは「共同幻想」を抱いているにちがいありません。

 「生徒のために自分の時間もつぶして指導に当たってくれる教師」「生徒の将来を考えて進路指導に懸命に打ち込んでくれる教師」「生徒のために寝る暇も惜しんで、教材の研究に没頭する教師」等々、どれも政治家や文部省が涙を流さんばかりに喜ぶような教師像です。私にはこういう幻想は「バッカじゃないの?」としか思えませんが、こういう教師像を世間一般も求めているのも確かだろうと感じています。自分にできそうもないことを人(他人)に求める心情はわからないわけではないのです。しかし、「生徒のために…」というような、よく考えないと正論に思えてしまう「殺し文句」によってその期待を無言のうちに強要するのには賛成できません。この言葉の論理のおかしいところは、言っている本人も本心では「自分ではやりたくないが…」という自分でも意識しない気持ちが前提になっていることです。そう、他人にはやってほしいのです。だから、それがきれい事であればあるほど、簡単に口にできるのです。人を教育することの心もとなさや決してきれい事ではすまされない教育の現場を知っている人からこういう言葉はまず出てこないと思うのです。大多数の教員はほとんど外部にこういう発言もしないで、毎日もくもくと仕事をしています。毎日毎日の積み重ねが教育の根幹だからです。たまに1日くらい学校へ行って面白い話題を提供すれば、生徒もそれなりに反応することなど、教員なら誰でも知っています。そういうことはたまにやるから、目新しさがあって生徒も話を聞いてくれるのです(それなりのレベルの学校だとです。生徒の質が悪いと全く相手にもされません)。教育が何年も続く作業だからこそ、根気がとても大切になるのです。何度言ってもわからない生徒に根気強く繰り返し教え込む(こういう表現を嫌う識者も多いですが)ことが教育のもっとも大切な部分であると私は考えています。

 心底から「生徒(自分の関係する)のことを真剣に考えている」教員なら、まず「生徒のために…」などというきれい事は言わないでしょう。黙って毎日の仕事を自分なりに精一杯やって家路につくはずです。口ではきれい事を言いながら、自分のクラスはゴミだらけで、生徒もやり放題、などというのは、周りの職員にも保護者にも信じてもらえないのが当り前です。「生徒のために自主性を尊重している」クラスがこれでは、怒りを越えて情けなくなってしまいます。「生徒のために…」という言葉が、自分の怠慢や失敗を隠すための口実に使われているもっともいい例です。

 その「金八先生」の役を演じていた歌手の武田鉄矢さんがTVで面白いことを言っていて感心しました(私自身はあのTVドラマは好きではありませんが…)。「人の為に」という言葉の「の」を取ると「人+為→偽り」だと。なるほど言いこというなぁとすぐに頭に入れました。本当はほとんどすべてのことは、「自分の為」にやっているのだという真実を素直に語った名言だとおもいました。たとえ、この言葉が彼自身が考えたことばでなかったとしても、あれだけの名演技をした彼が言えば納得できるでしょう。
(昨年書いておいた文に少し追加をしました)

 2001/05/27 (日) 11:58:28

■ 前のページへ ■ 次のページへ ■ TopPageへ