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底辺校の日々


■底辺校の日々

 今朝(2000/06/21(水) )、職場に出勤してきたら(7:03頃)、いつも車をおく駐車場周辺がどうも変な雰囲気です。花をきれいに植えたプランターがひっくりかえされ通路に散乱して尋常ではありません。さらに生徒用昇降口の前にはビールの空き缶が何本も投げ捨てられ、入口のそばに置いてあったジュースの自動販売機も倒されています。これは、あきらかに昨夜遅くにだれかが無断で校内に入り込み、イタズラ(これは、もう立派な犯罪ですが)をしでかしたに違いありません。消火器などもぶちまけてあり、荒らされたようすから、本校の生徒も関係していることは十分に想像できます。

 管理職が出勤してきて、先ほどこの現状に驚き、警察に連絡したようです。現場検証があるため、まだ後片付けはできませんが、出勤してきている職員はまだ4〜5名なので、片付けようにも人数が足りません。それに、一昨日、県教委の通達で「教職員の勤務における服務の厳正な取扱いについて」というのが出ており、時間外のことはやらないように指導を受けているので、まだ勤務時間に1時間以上もある現時点で、私のやることは特にないようです。こうやって記録を丹念にとっておくくらいが、私にできることでしょう。

 警察が来たが、近くの交番の警察官が一人来ただけでした。タバコ・ビールの空き缶・携帯の冊子・お菓子の食べ残しなど数多くの遺留品があるのだから、指紋でもとれば、すぐに犯人はわかるのだろうが、現在の青少年保護の風潮があるためそれもままならないとお巡りさんが話していました。これでは、犯人など絶対にわかるはずもないでしょう。たしかに過去には「冤罪」で苦労した人も多く、現場検証はきちんとおこなわれなくてはいけないが、ほぼ犯人の目安はわかっているのに、何にもできない無力感だけがのこってしまう。勤務時間外なので、空き缶の片付けなど少しだけ手伝うことにしました。もっとひどい状態(学校へ放火されるとか窓ガラスが大量に割られるなど)にならないと職員の危機意識はおそらく朝早く来ている一部の職員にしか伝わらないことでしょう。

 新しい情報では、昨晩9:00〜9:30ほどの間に10台くらいのバイクが学校へ乗り着けたようです。この学校の周囲はいつも暴走族が走り回っており、授業妨害も激しいです。それらの連中が昨晩校内に入り込んで悪さをしたのかもしれません。しかし、校内のものしかわからない消火器のありかを知っていたので、おそらく中に在校生が関係していることは間違いないでしょう。この暴走族の連中には無断で校内に入り込んでくる者もおり、危険がいっぱいです。生徒の服装は乱れているため、外部から黙って入り込まれても見分けがつかないのです。こういう底辺校にこそ、制服が必要なのですが、いくら指導をしても「もぐら叩き」の状態です。制服などいらない上位レベルの学校と同じようなことをこの学校でやろうとするのは、あまりに無茶というものです。こういう現場で指導や授業をしたことのないお偉いさんたちだけが、「理想の教育」などという空論を述べ立てているのでしょう。「教育改革」などを唱えるなら、せめてこういう現場で半年くらいは実際のようすをしっかり体験してから言ってほしいものです。

 1時間目の授業を終えて、出席簿を次の教科担当に渡すと、私は2階の男子トイレの前に陣取りました。ちょっと目を離すと、トイレの奥の洋式ボックス内で喫煙がはじまるからです。男子(女子も同じですが)のワル連中は群れをなしており、トイレの入口の前に大勢でたむろして見張りをするのです。そして、何人かが中に入りタバコを吸うわけです。昨日も洋式便座の中にタバコが10本以上捨てられていました。それを防ぐために1学年(今年は1年生がとくに悪い)の職員がリレーのバトンを渡すように、休み時間の見張りを続けてゆくのです。「そんなの放っておけばいいじゃない?」などとお思いの方は、その他大勢の生徒から「トイレに入りづらくて、何とかしてください」と言われれば、嫌でもそういう指導をせざるを得ないのが理解できると思います。1年生でタバコを吸うような連中は、中学校時代からもう常習者です。1日1箱・2箱と大人顔負けの本数を吸うのです。彼らに「健康に悪いから、吸わないほうがいいよ」などと説諭しても何の意味もありません。理屈が通じるくらいなら、とっくにこういうことはなくなっています。中学校の教員ができることといったら、そういう説諭くらいしかないので、彼らはもう耳にタコができるほどそういう話は聞いてきているのです。

 じつは教員の中にも「みんなストレスがあるから、吸ってもしょうがないんじゃないの?」などという人もいますが、生徒の受けばかり狙った、イカレポンチと言われても仕方ないと私は思います。そういう職員はこの手の立ち番は絶対にやりません。それでも「首にならない」のが教育公務員の実態です。文部省・教育委員会などの役所はほとんど無責任体制ですから(不祥事があれば、頭を下げていりゃいいのですから。自分の仕事を失うわけではない)、こういう現状の責任は全部現場の教職員に押し付けるだけです。たしかに痴漢をしたり、ワイセツな行為をしたりと問題を起こす教員もいますが、よく考えてみれば、その数が少ないからこそ、マスコミにもとりあげられるわけです。自分や同僚を弁護するつもりはありませんが、「教員の質はじつは世間で考えられている以上に高い」のです。これは、はっきりと言っておきたいと思います。と言っても「教員の質」とは何かとなるとはっきりはしないのですが…。よく昔の先生は…みたいな言説が唱えられますが、昔の教員の質が高かったなどということはとてもいえないと私は思います。私の両親の経験談や私自身が接してきて教員の中で、「いい先生だな」と素直に感じられた教員はそれほど多くはありません。現在とほとんど何も変わっていないというのが正直な印象です。いつの時代にもごく少数の優れた教員と数多くのふつうの教員、そしてごく少数のどう見ても変な教員がいただけではないのでしょうか。夏目漱石の『坊ちゃん』などはあの時代にもいろいろな教師がいたことをよく表現しています。「昔は…」と過去を美化してみても、その時代時代の問題があったことはいうまでもないことでしょう。

 「教員の質・質…」という人は一体教員のどんな「質」を望んでいるのか?私にはそれがよくわかりません。そんな風に言う人はこういう現場を自分では解決できる力はあると考えているのでしょうか?私は毎日の勤務の中で、現在の日本の教員の資質は世界的に見ても決して低いものではないと感じています。否、むしろ世界的に見えても小・中・高に関しては世界のトップレベルにあると思っています。もちろん画一化しているとか、サラリーマン化している(これをいう人はサラリーマンに大変失礼なことを言っていることは自覚しておられるでしょうか?)などと批判があることは知っています。しかし、そういうレベルの教員集団をもってしても、日々苦労が絶えないのが現在の教育事情なのです。現在の生徒が大きく変わってしまっている、それも急速に変質しているのです。こういう状態にあっても「金八先生」が全国に30万人もいれば、現在の教育問題は解決できるのでしょうか?私は教育の問題をすぐに学校教員の質の問題にすりかえようとするのは間違っていると考えます。大体、学校制度が日本ではじまった130年ほど前から学校の教員が全員「いい先生」だった時代などあったことがあるのでしょうか?そんなことは常識的に考えてもありえませんね。そうです、いつの時代にも「いい先生」もいれば「ふつうの先生」「悪い先生」も当然いたのです。それも生徒によって受け取り方はさまざまだったのです。教師の絶対的な評価など他の評価と同様に相対的にしかできないものなのです。絶対的な評価ができるはず、と思い込むところにこの「教員の質」の問題があるのです。誰が、どんな目的で、どんな基準に基づいて評価するかによって、評価の質はいくらでも変わる可能性があるのです。

■あれから、1年半経って

 上の文章を書いてから、もう早1年半が経とうとしています。今年は1年生の担任となり、毎日クラスの生徒と付き合っています。いわゆる「金八先生」タイプではない私は、生徒にとってはかなり煙ったい存在ではないかと想像しています。学校がある日はほとんど休みませんし、朝から厳しいことをどんどん言いますから、生徒にどう受け取られているかはその反応からほぼわかります。しかも、休み時間も昨年同様にトイレ前・廊下の非常口へと張り付いていますから、生徒を監視していると言われても「その通りです。」としか、返答できません。私は、学年主任もしていますから、私が先頭に立って行動しなくては他の同僚に無理を言うことはできないのです。この立ち番にしても私が、3月の新1学年学年団結成の際に、私が主任を引き受ける条件として提示したことです。4月からすぐにはじめ、今では全部の休み時間を張り付いていなくても、割り当てた数名ずつで交代しながらやれる段階まで来ています。私にとってもこの方法はずいぶんと助かっています。2・3年生でも続けて行けば、落ち着いた学校になるでしょう。

 おかげで、今年の1学年はトイレのタバコもほとんどなく(校外は相変わらずです)、「モク拾い」の仕事もしなくて済んでいます。そういえば、昨年は頻繁にあったコンビニからの苦情の電話も今のところありません。今年の新入生は当初の予想では昨年以上にひどい!という前評判が高かっただけに、私たち新学年団の危機意識は相当のものでした。入試当日や入学式のようすを見ても、「なるほど」とうなづくことも多かったのです。1学期はそれこそ、アリの這い出る隙も与えないほどの管理(監視?)を続けました。父兄からは文句もでるだろうことも当然予想していましたし、それに負けないくらいの実績を作っておこうとも日々考えました。甘やかされて適当に育てられた240名近くの生徒も、こちらの反応を見ながら、少しずつ学校での生活に慣れてきたようですが、それでも現在では20名近くがいろいろな原因で学校を去っています。この人数はまだまだ増えそうですが、毎日学校も休まず、授業をきちんと受けているかなりの数の生徒を考えると、学校を「託児所」と勘違いしているような生徒はどんどん辞めてもらおうと考えています。こういう私の強硬な考えを後押ししてくれている学年の先生方には感謝しています。おそらく内心では気乗りしない人もいることは十分承知しながらも、「実際の行動だけでもしてくれれば」と願っています。

 私が勤務してきた中学・高校はほとんどが問題のあるところばかりでした。おそらくこれからも転勤するところも同じようなところでしょう。カミさんからも「お父さんはそういう学校が合っているようだから、進学校など来ないんじゃないの…」と言われ続けています。たしかに自分でもそうかもしれないなーなどと最近感じることも多いです。だから、底辺校では、どういう風に学校を建て直していったらいいか?は少しはわかっているように思っています。厳しいだけではもちろんダメです。しかし、もっと悪いのは、「君たちが悪いんじゃないんだよ。学校や社会自体が悪いんだよ…」式の物分りの良さそうな偽善者ぶりがもっとも教育現場を悪くしていることです。これは、教員の思考法自体にも問題があるのかもしれません。教育は良くも悪くもその時代を反映することは避けられないですが、それを言い出したらすべて言い分けができてしまいます。もちろん教員も所詮は時代の子です。そうとわかっていても、仕事として選んだ以上は最低限、「時代や社会のせいにしない」覚悟は必要ではないかと考えます。

 ただ、私は「教育の危機」が叫ばれる中にあっても、それほど深刻には受け止めておりません。どの時代にあっても、大げさに叫ぶ者あり、淡々と自分の職務を果たす者ありで、私は後者の道を歩みたいといつも考えています。いい時代などというのはよく考えてみれば、あるはずもないのです。「理想の学校は、最悪の学校」です。理想が現実になったとき、それは最悪のものに転化するのはどのような制度においても本当のような気がします。みんなが余り学校や教育制度に頼りすぎず、そこそこの付き合いができるようになれば、教育の問題はかなり息苦しさを脱することができるような気がします。「なんでみんな”教育・教育…”と叫ぶんだろう?」といつも不思議に感じています。学校などは人生のほんの一部でしかないと思うのです。もちろん、学校で学ぶことで得るものもあるでしょう。しかし、それが人生のすべてのように思うなんて何とも哀しいではありませんか。「学び続ける」ことは大切なことです。しかし、それは自分でやるしかないものです。「いい先生」との出会いが人生にそんなにあるはずもないのです。それすら、自分で求めなければ得られるものではありません。教育は未完のものですし、いつの時代になったって、完全なものなどないのです。

 教育現場で毎日見ているものが「それほどの危機」なのか、私にはわかりません。生徒がいて、教員がいて、毎日悪さはするものの誰かが毎日死んでいるわけでもないのです。世界の現状を見たとき、「この静けさは一体なんだ!」とむしろ驚きすら感じるのです。たしかに、底辺校と言われるところは大変な職場です。しかし、「これはこれでそれなりの存在の意味があるのでは?」と思うのです。よく「この学校は託児所みたいなところだなー」などと話をしています。親の中には本当に託児所と勘違いしている人もいるようなのです。高校も「託児所化」しているのかも知れません。しかし、日本の歴史の中で16・17歳になっても若者がこういう場所で好き勝手にいろいろなことのできる時代がかつてあったでしょうか?しかも同年代の95%近くの若者が…。これで悪い時代だと言う人がいるとしたら、あなたは一体何を望んでいるのですか?と私は問いたいです。いい時代になったものです。これ本音です。

 また、明日から学校です。また学校へ一番乗りして、校内をうろつきたいと思っています。そういえば、面談をしていて少し厳しいことを言ったら「先生は、どういう考えで先生になろうとしたのですか?」と詰問してきた母親がいました。私は、この問いに即座に答えることはしませんでした(こういう場合、問題をすり替え、私の揚げ足取りをすることはすぐにわかった)。もし、教員になった理由を一言でいえるような人がいたら、私はそれこそビックリしてしまいます。強いて答えれば「偶然ですね」というはずですが、これでは怒られてしまいますね。でも、自分が今やっている仕事に就いた理由を明確に言える人なんてそれほどはいないでしょう。「あなたはなぜ母親になったのですか?」と聞いたら、その母親はなんと答えるのでしょう?

 2001/11/25(日) 17:59

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