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教員の転勤の実態(その1)


■はじめに

 この4月から新しい職場に転勤しました。今日(99/4/5)が初出勤の日で、生徒たちの前で着任式も終えたところです。神奈川県の教職員の異動は1400名近くおりましたから、私もその中の1名ということになります。初日ですからいろいろと戸惑うことも多いのですが、そう慌てても始まりません。どうせ、毎日仕事をして行く中でひとりでに多くのことがわかってくるでしょう。教員にとって、学校をかわるということは「会社をかわる」こととおなじです。仕事上のおおきな変化はないにしても、人間関係や雰囲気はかなり変わるため、新しい職場になれるにはしばらく時間がかかるのは民間の方の転職とおなじことなのです。環境の変化はあっても、生徒たちの前では以前とおなじように振舞わなければならない点などは返ってつらいこともおおいのです。

 各都道府県で同じように、この4月に多くの教員(もちろん初任の人も含めて)の方が新しい職場に異動をしたことと思います。それぞれの都道府県で異動の方法は違いますから、それを比較してどれがもっとも良いのかを論じてもあまり得るものは少ない気がします。それより、具体的に神奈川県という1つの県でどのように教員の異動が行われ、そして3月末日の新聞発表までに至るのかを当事者の1人として、書いておこうと思います。民間の会社などとの比較はそれほど意味のあることとは言えませんが、「教員とはこんなふうに異動をしてゆくのか?」という1つの例として参考にして頂けたら嬉しいです。

■どのようにして転勤が決まるか?

 神奈川県の県立高校では現在、教員の過剰が問題になっています。といっても、これは現在の教育制度で1クラス40名の規定があるのと、生徒の増加に合わせて「100校計画」なる神奈川県独自の政策で新設校をそれまでの60校前後から現在の165校近くまで増やしたために教員も多く採用された結果です。すでにこの計画が始まった段階で現在のように生徒が減って来ることは予想されていたはずですから、今に至って慌てて教員を減らそうとしているのも、何ともおかしな話しではあります。

 文部省や県のお役人は優秀な人材が多くいるはずですから、その辺はすでに予想していたはずですが、あまり優秀な人材が多くいると返って相殺効果が出て具体的な実行の段階になるとできないのかも知れません。

 それでは具体的な転勤のプロセスについてお話しして行きましょう。

 神奈川県立高校の教職員の異動作業は実際に異動をする前年の10月に始まります。まず管理職より「職員現況・意向調書」という用紙が全職員に配布され、その用紙に次年度の異動を希望するかどうかを記入します。これは毎年10月の上旬に各自が記入して管理職に提出します。これと平行して同じような内容の用紙に同様のことを記入したものを各職場の教職員組合の分会役員(分会長と書記長)へも提出します(組合に入っていない人は管理職に提出する用紙だけ)。この提出が終わってしばらくすると、異動希望を出した教員と管理職の面談があって少し詳しい内容について話し合いが持たれます。異動希望の地区の確認や通勤時間の確認などの他に異動希望を出した理由なども聞かれることがあります。

 そのときのマニュアルとして県教委と教職員組合との合意に基づく「人事異動ハンドブック」なる冊子が作られています。ここには、人事異動に当たっての基本的な流れが記されています。この中にも記されていますが、「4校運動」というのがあって、これは「できる限り進学校・中堅校・職業校・定時制校・教育困難校(底辺校)などをまんべんなく4校は経験しましょうね」という申し合わせのようなものです。その他に1校には最長12年、新採用で勤務した学校には最長10年いたら他の学校に異動することなども記されています。後で述べることになりますが、教育困難校には8年以上勤務(6年で8年と読み変える便宜的なこともあるそうですが、詳しくはわかりません)すると、その後はその手の学校には行かなくてもよいとの話しも聞いています。生徒指導の大変な教育困難校には誰もが進んで行くことはまず考えられませんが、実際そのようなケースは非常にまれです。県内のそれぞれの学区には必ず「底辺校」がありますから、そこに勤務することは大変なストレスになることは誰にでも想像できることです。教員といっても普通の人間ですから、あえて困難を承知で勤務を希望する人はいないのは、当然のことです。このようなマニュアルができたということが、そもそもそういう学校にも円滑に教員を配置するのが最大の目的であったといっても過言ではないでしょう。

 管理職との面談も終わると、後は書類が県教委の人事担当のところに集められ、そこで4ヶ月ほどかけて人事異動の組み合わせ作業に入ることになるようです。「ようです」と書いたのは、その作業は関係者以外外部には知らされませんから、「密室の作業」になるわけです。この間異動希望を出した職員はどんな学校が提示されるのか心配しながら、1次内示(98年度は2月20日前後)を待つことになります。どの職員も生徒指導にあまり手のかからない学校(ということは世間でいう進学校あるいはレベルの上位校)が提示されることを望んでいることはまちがいのないことです。口では「どんな生徒でも云々」と言ってはいてもいざそういう学校が提示されるとほぼ躊躇するのを見てもわかります。すでにそういう学校を経験して来て、「免罪符」を手に入れている職員は割と楽観的に構えていることができますが、進学校などに満期ぎりぎりまで勤務していて強制的に異動をしなければならない人は戦々恐々として結果を待つことになります。

 最近では「行政」への異動や他校種(小学校や中学校)への異動も勧奨されるようになり、不安は大きくなるばかりです。1校の勤続年数も4・5年ほど前までは最長15年でしたから、一旦進学校などに勤務すると満期が来るまで居座り続けるのは常識でした。それが12年になったときには、大量の人が異動を余儀なくされたものです。反対に底辺校で8年以上も勤務する人は少なく、平均4・5年で異動をしていたのです。ところが、上が12年になったのに合わせるように、下も8年と期間が延長されたので(上で述べましたが)、すでに底辺校を4・5年で出た人にも再度底辺校への転勤の可能性が出てきてしまったのです。底辺校へ勤務したことのある人ならすぐに同意してもらえると思うのですが、そこでの勤務は上位校の数倍は疲れるものなのです。「教育者が何だ!その情けない気持ちは…」と怒る気持ちもわからないのではないのですが、そういう人も一度その現場に勤められたら、きっと私の言っている意味が実感として理解できることでしょう。(その2へつづく)

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