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独りの時間


■物理準備室ではいつも独り

 私は現在の勤務校でも物理準備室(物理教室の隣にある)に独りでいます。職員室には朝の打ち合わせの時間など全体の集まりがあるとき以外ほとんどいません。授業や立ち番・巡回などの時間のほかはこの物理準備室で仕事をしています。授業の準備をしたり、実験の準備をしたりするのも全部この部屋です。物理の教員はもう1人いますが、この部屋にはたまにしか来ません。「担任をもっているから」とか「学年主任をしているから」とか話していましたが、今年度その任からはずれてもこの部屋に来るのは稀なので、どうもこの部屋は彼にとっては居心地がよくないようです。静かで大きな部屋に独りでいるのは、私が考えているのよりむずかしいことなのかもしれません。

 私は教員になって以来、中学校では理科準備室、高校へ移ってからは物理準備室にいつもいます。担任をもっていても生徒には物理準備室にいることを年度当初にしっかり覚えさせておくので、職員室にいなくて困ったことはありません。それに準備室は生徒のいる教室の近くにあることが多いので、生徒に何か異変があっても比較的速やかに現場に行けるのです。警察でいうと「交番」みたいなものです。前任校では、同じ東北出身のA先生と気が合ったのか、2人で物理準備室で雑談をしたり、物理の話題などで楽しい時間を過ごしていました。現任校に来てからは、ほぼ独りの状態で2年目を迎えました。

 職員室のように大勢の職員が動き回っている場所は私は苦手なので、この部屋に独りでいられる時間はとても快適です。休憩ではゆっくりコーヒーを飲んだり、読書をしたりしています。ふつうの教室と同じくらいのスペースのあるこの部屋に独りでいられることのありがたさをいつも感じています。理科の教員になれたことを幸運に感じる時間でもあります。他の教科にも同じような準備室があるのですが、社会科準備室以外はそれほど利用されているようすはありません。それに社会科ではこの部屋の半分ほどのスペースに7名ほど入っていますから、その人口密度は、職員室とほとんど変わりないのです。私は物理教員の特権なのか、この部屋に独りでいられることをしみじみ幸運だなーとおもっています。

■1日の生活(朝)

 この部屋で一体1日をどのように過ごしているのか?教員はどんな時間の過ごし方をしているのか?などは学校外の人にはわからない点が多いとおもいます。今年度の私の場合についてちょっと紹介してみます。

 登校するのは7時前後です。職員室はまだ開いていないので、代行員の方に職員室の鍵を開けてもらいます。そして、朝のお勤め、まずは出勤簿に捺印します。そのあとすぐに職員室を出て、この物理準備室に来ます。上着を脱いで白衣に着替えます(これは私の仕事着です)。お湯を沸かします。お湯を沸かしている間に、生徒の教室を巡回して椅子を机の上にあげたり、廊下・トイレのゴミなどを拾ってゴミ箱に入れてきます。これは私の仕事ではないのですが、汚れているのが嫌いなので、勝手にやっています。

 物理準備室にもどるとお湯が沸いている頃です。お湯をポットに入れて、日本茶を一杯飲みます。ついでにタバコで一服(禁煙したいのですが、どうもダメ)。一息つくと、その日の日課の確認をします。私は物覚えが悪いので、たえず確認しないと心配になってしまうからです。朝の職員打ち合わせは8:30からです。約1時間はたっぷり自分独りの時間を楽しめます。パソコンの本を読んだり、物理の本を読んだり、その日の気分にあわせて好きなように時間を使っています。何といってもまだ勤務時間外なのですから、だれに何も言われる心配はないのです。それに、この時間に出勤してきている職員はほとんど常連の数名しかいないのです。学校の中はシーンとしています。8:00を過ぎると、その日の授業の内容を再確認します。私は授業が上手ではないことは自覚していますから、どういう流れで授業を進めるかをおさらいするわけです。8:30からの打ち合わせが終わり、8:50からは授業がはじまります。曜日にもよりますが、少ない日で2校時、多い日で4校時の授業をします。私は午前中に授業をするのがやりやすいのですが(朝が早いため午後はもう眠くなってしまう)、午後に2校時も入っている日は頭がボーとすることもときどきあります。

■1日の生活(空き時間)

 さて空き時間は教員は何をしているとおもいますか?教員もさまざまですから、休憩室でタバコを吸いながら雑談していたり、授業の準備をしていたり、人それぞれのパタンで仕事をしています。私も全員のようすを観察したわけではないので他の職員のことは正確にはわかりません。

 私個人の場合は、自分の空き時間の利用法を計画して使っています。主なものは、休憩(コーヒータイム、喫煙…5月より禁煙中)・ラジオ体操・読書・パソコンを使ってのプリント作りなどです。次の授業の準備もこの時間にします。パソコンは朝スイッチを入れると帰宅時間までほとんどつけっ放しです。会議に出す資料作りなどもこの時間にします。会社員や役所の公務員などとちがうのは、食事の時間などが明確に決まっていないため、各自空き時間を利用してバラバラに食べていることです。4校時目が終わるのが12:40ですから、その前後に空き時間があればそこで食事を取ります。空き時間といってもそれほどのんびりしていることはありません。校内の巡回当番が入っていたり、急ぎの仕事が入ることも頻繁にあります。そのときは臨機応変に対応せざるを得ません。

■1日の生活(授業)

 授業は40名くらいの生徒に教えるわけですが、これはけっこうな肉体労働です。何せ立ちっぱなしで話したり、黒板に書いたり、生徒の雰囲気を観察して理解できていないなと感じれば、説明の仕方を変えたりなどその場での柔軟な対応を絶えずしないといけないのです。こちらの考えた授業どおりにできることは年間で数回くらいしかありません。授業が終わるとのどはカラカラになり、腕も疲れます。50分間生徒に教えるのはなかなか疲れる仕事でもあります。これが2・3時間続くと本当にぐったりします。静かに授業に取り組んでくれる学校ならともかく、勉強が不得手で学習意欲もない生徒が大半である現在の学校ではこの50分もたせるというのは教えたことのない人にはまず理解できないほど疲れる仕事です。

 1970年代に高校生だった人には信じられないような事態が現在の公立高校(上位レベル校ではまだ多少は以前の雰囲気はありますが)では進行しているのです。中学校からの教科成績がオール1であったり、入試の成績が250点満点で20点にも満たない生徒でも合格してしまうのが今の公立底辺校の実態なのです。これで高校の授業内容を理解せよというのですから、最初から無理だと私にはおもえます。それでも、授業の質を落としたりすることは、せっかく入学してきた生徒に申し訳ないですから、ていねいに指導するようにしています。勉強の苦手な生徒をバカにしたりする気持ちは私にはありません。だれにでも得意不得意はあるのですし、それがたまたま勉強だったというだけですから。それにていねいに指導すれば(ゆっくり指導するという意味ではありません)かなりの進歩を見せる生徒もけっこういるのです。このような生徒たちは、今までの小学校時代・中学校時代の学習の過程で落ちこぼれてしまったのです。残念ながら高校でこのハンデを克服できる生徒は稀にしかいません。返って入学時より学力を落として卒業してゆく生徒が多いです。これらの生徒にどんな内容の教育をしてゆくのが良いのかはじつにむずかしい課題です。

 次の授業の準備をするのは空き時間です。このときはせいぜい授業の流れを組み立てるくらいにしています。実際に授業をしてみると、こちらの思い通りに進行するわけではないからです。よく「詰め込み教育」を批判する人がいますが、教員が考えていることを生徒にどんどん詰め込めたら、それこそ奇跡に近いことです。常識とは裏腹に基本的な事柄ですら容易に「詰め込む」ことができないからこそ、現場の教員は苦労しているのです。教え方がわるいとか生徒が興味を持つように指導しないなどの指摘を受けますが、毎時間そんなことができる教員はめったにいるものではないのです。


 塾や予備校の講師で「私ならできる」という人もいるのは現実に知っています。しかし、種々の雑務をこなしながら、授業も塾・予備校並にするのは不可能です。大多数の教員はふつうの人間なのです。大学や大学院などで自分の専門的な勉強をそこそこにしてきたというのが、ふつうの教員の実態です。それでも私は現在の教員の質がよく言われるように低下しているとはとてもおもえません。私が受けてきた教育の中でも人間的にも学問的にも優れており自然に尊敬の念を覚えてしまう教員(これこそ教師というのかも知れません)はそれほど多くはなかったと断言できます。ましてや、「昔の教員は云々」などという話しは全く信用していません。人間的にも知的にも優れた教員は現在の方がはるかに多いとおもっています。ただ、時代の変化の速さはそれらの教員の能力を超える速さで変化しているために、そのズレがいろいろな教育問題で取り上げられるような事態を招いていると私は考えています。

 日本の教育は「詰め込み主義」で「これでは、創造性が育たない」などと議論する人が数多くいます。日本の教育を憂う気持ちはわからないではないのですが、日本の教育がそれほど悪いのなら、とっくの昔に日本という国は立ち行かなくなっていたはずです。一世代はおおよそ30年サイクルですから、戦後の「ダメな教育」を受けた人たちが現在の日本の主流となり、日本の衰退ももうすぐということになります。でも、そんなにかんたんに日本は衰退するのでしょうか?私もその年代に近いですが、そんなに変な教育を受けた覚えも認識もないというのが実感です。私たちが受けてきた教育はまちがっていたのでしょうか?私はそんなことはないとおもっています。どの時代にあっても、教育を受ける人も、教育をする人も、それぞれができる範囲で努力はしていたとおもうのです。それが良かったか悪かったかは歴史の判断に待つしかありません。良かれとおもったことでも、結果的には悪い方向へゆくこともあるでしょう。「詰め込み主義」も度をこせば、弊害にもなるでしょうが、きちんとした知識のないところに「創造性」などあるはずもないことはだれでもが知っていることです。問題なのはどんなときでも「バランス感覚」なのだとおもいます。

 私の目の前には、バイトか夜遊びで疲れた男子生徒が机にはいつくばるように眠っています。この生徒たちに「詰め込む」ことができるのか、私には自信はありません。

■そして、また独りの時間が…

 授業がおわると、毎日のようにいろいろな会議や雑務があります。私自身は「会議などこんなにあってもほとんど無意味」と考えていますが、会議の目的は内容を確認するというよりは、その会議の席に参加したことで暗黙の「責任分担」を図るためではないかと私にはおもわれます。つまり「あんたもこれを決めたときにいたんだよ。だから、何かあったらあんたにも責任の一半はあるんだよ。」ということの確認のためのようにおもえるのです。そう考えなければ、そんなに会議が必要なわけはないのです。今日もまた、放送で臨時職員会議の招集がかかりました。おそらく、生徒指導上の問題でしょう。しかし、私が全く面識のない生徒の処置にどれほど関われるのかは疑問です。

 会議が終わり、1日の仕事もまもなく終了です。パソコンで書いている「個人校務日誌」に今日のできごとを書き終えると、ようやくパソコンの電源を落とします。誰も来ない物理室の中が急に静かになり、帰り支度をします。仕事があるときには、毎日繰り返される「独りの時間」です。持病の「耳鳴り」の音がキーンと鳴りはじめるのもこの時間です。

 2000/08/02(水) 09:03 

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