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ホームページをつくれ!


■ホームページをつくれ!

 役所というところは面白いもので、「やれ、情報公開だ!」「インターネットの活用だ!」となったら、途端に学校へも「ホームページを作れ!」というお達しが来るようになりました。内容はこれこれと指示を出し、もう命令口調です。例によって、内容チェックもしっかりやり、学校や県の教育委員会などに不都合な内容は表に出さずに、「学校要覧」のようなものでお茶を濁すつもりです。とにかく、「情報公開してまーす」という”形”をとりたいという意図が見えみえです。わたしの勤務する高校へもこの通知が県から来て、窓口になっている「総務部」(わたしは今年度はこの分掌に所属)へ通知がまわってきました。「いついつまでに出せ」みたいな感じです。

 わたしには、どうもこれらの通知を出す「お役人」の人たちは何か思い違いをしているのではないだろうか?といつも疑問に思えてしかたないのです。インターネットという貴重なメディア資源をこういう形のものでうめつくしていっていいものだろうかと…。わたしもこのような「全く個人的な」ホームページでネット上を汚しているためか、学校のホームページ作成にあたっての意見をもとめられるのですが、正直なところ返答に困ってしまいます。県単位というおおきな組織としての論理(いいわけ)があるのでしょうが、165校近くもある県立の高校がいやいやながらホームページを作って公開する意義がどこにあるのでしょうかね?それも、内容はしっかりチェックされているものをです。きょうもこの件に関する緊急の総務部会があります。期日までに内容の再チェックをしろ!との通知があったからです。なんか、ホームページのイメージがどんどんくずれていくなー。自発的にホームページを作っている学校のものは、内容もとてもいいと思っているのですが、こういう形のホームページなど自分ではまず見にいかないだろうな、と思います。一体、県(神奈川)はだれにこれらのページを見てもらいたいのでしょうか?わたしにはよくわかりません。それも、これは税金を使ってやっているのですから、もうあきれてしまいます。だれも文句をいう人はいないのかな?

■ホームページとは?(私見)

 ここからは、わたしの個人的な考え。学校で自発的に情報を発信したいというのなら、それは自由にやっていいと思うのです。もちろん、自分たちの予算でです。会社なら自分のところの宣伝を思い切りするのは当然のことです。ホームページに影響される人もいるかもしれませんが、それはどんなメディアでも同じことです。資本主義を標榜する現在の日本では、このことは自由にできなければ返っておかしいですね。しかし、ほとんど強制的に「ホームページをつくれ!」というのは、なんとも解せません。ホームページがある学校があってもいいし、ない学校があってもいいのではないでしょうか?みんながみんな足並みそろえて「ホームページ!」と唱えている構図のおかしさをお役人たちは感じていないのでしょうか?そもそも自分でホームページを作ったことがあるのでしょうか?情報を発信するということは、役所の「お達し」とはちがうとわたしは考えています。優れた情報の「ありか」には、自然に多くの人が集まります。できる限り「なまの正確な情報をだす」というは、理想的ではありますが、ネット上での大切なマナーではないかとおもうのです。わたしも自分のこのホームページでは、できる限り正直に情報を発信しようとかんがえ実行しています。それが、だれの役に立つのかはわかりませんが、わたしが疑問におもったり、わからなかったりすることは、どこかに同じことで困っていたりする人がいるはずだという確信があるからです。「情報」ということばがいかにも新しい発想でもあるような印象をあたえていますが、梅棹忠夫さんの書かれた『情報の文明学』中公文庫などを読みますと、かんがえる人はもうとっくの昔にかんがえていたことがわかります。「情報化」ということばにおどらされるのもやめにしたいというのが、わたしの感想でもあります。

 わたしは「物理学」というのを専攻しましたが、物理でえられた知識も自然に関する「情報」の一種です(かなりフィルターはかかっていますが…)。物理学的にも「情報」はなにかの「媒体(なにかとなにかの橋渡しをするもの)」によって運ばれます。さかんにいわれている「電子化=デジタル化)」ということばもほとんど意味がわからないまま、雰囲気だけで使われているようですね。情報をデジタル化するといっても、たんに電気的なフィルターをかけて不要な部分をカットして「0」と「1」の数字の配列に変換するだけです。これを電気的な信号におきかえて電波または電線などで送信・受信してそれをコンピュータ内でもとの文字情報や画像情報へなおすということです。これらの形態はたしかに今までの紙を媒体とするような情報形態とはちがう可能性があるとは思いますが、デジタル化したといってももとの情報が「ゴミのようなもの」なら「ゴミのようなもの」がでてくるだけです。コンピュータが「ゴミ」を「金(きん)」にかえるような、錬金術のようなことをしてくれるわけではないのです。コンピュータに夢を描いてもそれは無理というものです。

 ホームページ作りがこれほどさかんになったのは、ここ数年のことですから、これからどのように変化していくのかわたしには予想もつきません。ただ、みんな「自分の情報を伝えたがっている」というエネルギーの高まりは感じています。ただ情報を発信するだけでなく、得られた情報を自分の頭で吟味して取り入れるという「受け手」としての知識や技術もそれと並行してみがいていかないといけないな、と自戒しています。

 「学校のホームページ、むむー、むずかしいなー!」

1999/12/03(金) 09:05

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