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電子メールの距離感


■■年賀状は届きましたか?

私は昨年末に60枚近くの年賀状を出しました。どういうわけか、その中の2枚が戻って来てしまいました。住所も確かにあっていますし、本人が元気で居られることも確かなのですが、「配達者不明のため」ということで返されてしまったのです。不思議なことです。

年賀状は出さずに「電子メール」で年賀の挨拶を送った人も相当います。こちらは、まだ1名を残して(?だれかな?)、何とかメールが届いたようです。電子メールといっても、パソコン通信を使って送るときとInternetで送るときではメールの配達経路がちがうことはよく知られています。パソコン通信内では、相手がいつメールを読んだかも知ることができますが、Internetでは相手がメールを読んだかを確認することはできません。ただ、受信した方はメールの上の方にある(ヘッダという)、変な記号みたいなものを解読すると、どういう経路を通って送られて来たかはわかります。それでも、返信メールが返って来ないことには、相手が読んだかどうかすらわからないわけです。電話のように「生の声」で話すのとは違って、気の短い人でしたら話になりませんね。この忙しない時代に「来るまで待とう」式の電子メールがどうして流行るのか、ちょっと不思議な気がします。携帯電話(歌にもありますが、ベルの鳴らない人もいるとか…)やPHSの方が、圧倒的に便利ですし、そちらを愛用している人の方が多いでしょう。

でも、世の中には電話の苦手な人もけっこういるものなんですね。そういう私も電話は非常に苦手です。東北のしかも山奥の会津弁で口重たいのも原因してます。それと、向こうからこちらの都合もかまわず、「押し寄せてくる」あの感じがたまらなく嫌なのです。結局は「わがまま」なのですが、自分のペースが狂ってしまうのです。そういう意味ではTVも視覚と聴覚を奪われるので、あまり好きではありません(ラジオは不思議と好きですが)。手紙や電子メールのような、こちらで「見たければ見る。返事を書きたければ書く」式の方が、どうも私には合っているように感じるのです。

人それぞれですから、自分の気に入ったメディアで連絡し合うのがいいのでしょう。

電子メールは距離感を狂わす?

電子メールは毎日使っていると、電話や手紙とはちがった「不思議な感覚」を感じるようになります。その1つが「距離感の喪失」です。この正月、2通のメールが「あれ?」と思う人から届きました。1通は故郷「会津」からウチのカミさん宛に、もう1通は大学の友人の奥さんからでした。カミさんの友人のダンナが奥さんの代わりに子供の病状を伝えるものでした。病院で子供に付き添っている奥さんが年賀状も出せずに申し訳ないという気持ちをダンナさんが切々と書いたものです。モニターの画面を私と一緒に心配そうにのぞく家内に代わって、何通かのメールを出したのは言うまでもありません。特に、「会津」からのメールは、雪の風景とその中で淡々と生活する人々のようすがすぐそこにあるような生生しさを感じさせました。

大学時代の友人の奥さんから頂いたメールは、私のホームページを見て、その感想を送って来てくれたものです。年賀状にしっかりホームページのアドレスを入れておいたので、コンピュータ関係の仕事をしている奥さんがそれを見て、ダンナさん(私の友人)と相談してメールを下さったようです。もう20年近くも会っていないのですが、何かネット上で同窓会をやっているような雰囲気になってきました。

「科学史ML(メーリングリスト)」というグループに入っていろいろ情報交換をしていることもあって、そちらのメールは毎日のように来ます。おかげで、いろいろな考えの方を知ることができ、自分の「井の中の蛙」的な考え方にも、大きな変化が出てきたことを実感します。自分から飛び込んでいけば、とてもマスコミや本などで得ることのできない世界がすぐ身近にあることを痛感させられます。

電子メールの距離感

電子メールを頻繁に使うようになると、すぐ実感できるのですが、思ったよりも電話やFAX・手紙などに比べてはるかに素早くしかも正確に(メールの書き方にもよりますが…)反応が返って来ます。しかも、論文を添付してもらったり簡単にできますから、より正確な情報がほとんど瞬時に得られます。もちろん、「give&take」の世界ですから、こちらからも出来る限り正確な情報を提供するのは「ネット上のマナー」です。

こういう事を毎日やっていると、本当に「距離感」というものを意識しなくなってしまいます。この「距離感の喪失」にはいつも驚くばかりです。もう、民間の会社や研究機関などではInternet(当然メールやメーリングリスト・ネットニュスなど)は常識です。というより、これなしでは、世界中の最新の情報や研究などを知ることは事実上不可能になっています。このことの善し悪しではなく、Internetがそれらの需要に欠かせないものになってしまっているのです。日本の教育の現場ではまだそこまでは行っていませんが、いずれは…と考えるのは私だけでしょうか。近いうちに私の勤務する学校のパソコンもInternetに接続されるというような話も聞いています。まだ、パソコン通信を使って入試のデータを学校間で送受信することを始めたばかりですが、もう目の前にはInternetが見えています。

電子メールは、今までの手紙とは違い、時間的な極端な短縮をもたらしました。その結果、かかる時間に比較的比例していた距離的な感覚にまで大きな影響をもってしまったように思えます。これは、飛行機などの例でも見られた現象です。交通手段(飛行機・電車・船・自動車など)によってかかる時間を元に地図上の場所を置き換えてみると、私の故郷・会津は、横浜から出発したとして、北海道の札幌より遠くなってしまいます。現実の距離と大きく食い違ってしまっています。こういう事が、これからますます増えてくることを考えると、少し冷静さを失うような感じがします。100数十年前の日本では、どこへ行くにも基本的にはテクテクと自分の足で歩いて行ったのです。今から見ると確かに不便な時代だったかもしれませんが、自分というものを身体を含めて実感できた時代だったのかな、と妙に感じいってしまう昨今の私です。98/02/01

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